#7 幸せとは(2)
幸せとは、どこまで行っても感情の話だと思う。
結局私が言う「幸せになりたい」とは、それはずっといい気分でいたいということだ。
だからずっといい気分でいられるように、前回の記事を書いてから、細心の注意を払って自分を観察するようにした。
それは、嫌な気分になったとき、「何が自分を嫌な気分にさせたのか」の原因を突き止めて、それをなくすことで自分を少しでもいい気分に戻すということだ。
そして意外なことに、大体の原因は、自分の頭の中にある。
例えば、昨日(4月30日(金))、仕事に行くのが嫌だった。
そのとき、「自分を嫌な気分にさせているのは仕事だ」とかそういう単純な話ではなくて、仕事に行くことの何が自分を嫌な気分にさせているのか?ということを突き詰めていった。
思い当たったのは、昨日は緊張する仕事があったため、これを上手くできるかどうか、という不安。それと、GW前なのに思いのほか仕事がたまっていて、このまま連休に入ることへのプレッシャー。
そして、その不安とプレッシャーをなぜ感じているのかをさらに突き詰めていくと、結局私は「自分はこの緊張する仕事を上手くできないのではないか」「仕事をためてしまって、なんで自分はもっと早くできないんだろうか」という自分へのダメ出しをしていたのだった。
この自分へのダメ出しが、自分を嫌な気分にさせていた。
ということは、自分の気分を良くするためには、そのダメ出しをやめればいい。
そのために、私は自問自答してみた。
「明日の仕事、そんなに上手くいかないことあるかな?今までも何とかやってこれたし、大丈夫じゃない?」
いやでも何か不測の事態があるかもしれないし・・。
「できる限りの準備もしたし、大丈夫じゃない?ていうか、もしそれで不測の事態が起きたら、それはその時対処するしかなくない?」
確かにそうだ。やれることはやった。あとは本番を迎えるのみだ。何かあったら周りに助けてもらおう。
このような考えに至ったことで、ただ漠然とした不安を感じていたときよりも、だいぶ気分が軽くなった。
仕事をためてしまったことについても、
「仕事が溜まったのは仕方なくない?最近忙しかったし」
いやでも、前任者だったらこんなに仕事をためずにできていたんだろうし・・・
「前任者よりできる人と思われるために仕事しているの?これが自分の実力なんだから、無理に大きく見せることなくない?」
確かにそうだ。無理して自分を実力より大きく見せたら、後でそれを保たなければいけなくなってつらいだけだ。これが自分なんだから、ありのままを見せればいい。そもそも誰にも怒られたり急かされたりしていない。
このような考えに思い至り、結局、私は他人によく思われたい、仕事ができる人だと思われたいと思うことで、自分を苦しめているのだと分かった。
「無理して自分を取り繕おうとせず、ありのままを見てもらえばいいんだ。それでたとえ評価が低くても、それが自分の実力なんだからそれでいいじゃないか。それに、別に私はこの仕事で認められて登っていこうとか思ってないんだし」
ということに気づいたら、だいぶ楽になった。(これは今後もすぐ忘れそうだから、心に留めておかねば・・)
そして、少し気が楽になって出勤した昨日、結局どうなったかというと、緊張する仕事は上手く行き、たまっていた仕事は思いの外片づいて(少し残業はしたけれど)気持ちよくGWを迎えることができた。
自分を一日中気にかけて、自分の感情の動きを観察していると、嫌な気分になったとき、だんだんその理由探しが上手くなってくる(私の場合、だいたいは自分へのダメ出しだ)。
そして、こんな風に自分の感情を気にかけることは、#6で書いた「自分を愛する」ということに繋がるのかもしれないと思った。
何か嫌なことがあったら、自分で自分の話を聞いて、対処法を考える。
話を聞いてくれる誰かがいなくたって、こうやって一人二役をすることで、人は一人でも幸せになっていけるんじゃないか・・・そうだったらいいなと思う。(まだ仮定なので、今後も実践して試してみようと思う。)