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第一章 すり足走法からの鮮烈なデビュー

最近大学レポートやら課題やらであたふたして、投稿をどんどん後回しにしてしまってました、、、

ごめんなさい!!!

それでは続きをどうぞ

ついに走り出したしばお少年。

僕が入ったのは師匠が指導している「ミラクルランナーズ」というチームです。OBには全国高校駅伝を走られた方もいます。

練習は午後5時半からで毎日ジョギング。だいたい20〜30分程度で長い時で40分くらいでした。ペース各自で、遅い人と速い人では何周差もつきます。

始まりの挨拶もなく師匠が来たら走るみたいな感じでした。入るのも辞めるのも自由でした。

必要なお金は大会の参加費だけでした。今考えるとなんで良心的なんでしょうか。それだけ走りみるのが好きなんだなとつくづく思います。

師匠の指導法はとにかく走るのを習慣にする。ただそれだけでした。小学生へのペース走やインターバルなど強度の高い練習は否定的で一切行いません。早熟にならないようにだと思います。

唯一スピードを出した練習といえば試合前日のジョギングが終わってからの流しのみです。(当時は師匠とダッシュしても勝てませんでした)

(今思えば、師匠の指導のおかげ今の自分があると言っても過言ではありません)

しかしサボったり歩いたりしていると「おまえどまなーんばしよっとか〜!」と怒号が飛びます。そして終わりの挨拶でゲンコツを喰らいます。笑

僕も何十発も喰らいました。

それが嫌で木の裏側や岩の間に隠れる奴もいました。
というか時々練習に顔を出すと今でもそんな子がいます。

そんなチームで僕は小学校時代の陸上人生を過ごしました。

僕は毎日友達の家に遊びに行き、5時のチャイムがなったら小学校に移動してみんなとサッカーをする。
そして師匠の白いワゴンが見えたら「おっちゃん来た!!」と逃げるように走り出していました。笑

しかし、その走りは酷いものでした。

腰は落ち、腕もまともに振らず、肩はぶれ、何より足が地面から少ししか離れない。

すり足走法です。

これじゃあ走れるものも走れません。

長距離は持久走大会で4位くらいの実力でした。母親曰く短距離は速かったらしいです。(やる気の問題でしょう)

別に走ることに対してのプライドもそんなにありませんでした。練習にジーパンできて股擦れ起こしてこともありました(当時の僕には練習着という概念がありませんでした)

そんなこんなで毎日すり足ジョギングをしていました。

そして僕の陸上人生最初の分岐点は突如訪れました。

確か秋口でした。師匠の三男のはるのぶくんがたまたま練習を見にきていました。
ぼくがすり足走法で前を通り過ぎると

「かずき〜。走る時は足はかかとからつかなんとよ」

と言われました。

ほうほうと思い。実践してみるとあら不思議!

脚が自然と前に進み、腰は上がり姿勢は美しくなり、腕が触れるではありませんか!!

この時のことは鮮明に覚えています。(ちなみにはるのぶくんはこの時、ベージュのジャンバーを着ていました。それくらい克明に記憶してます。笑)

そしてミラクル(ランナーズ)に通い出して、最初に結果が出たのは小学校の持久走大会でした。

結果は1位。
練習した成果が少しは表れたのと、1番になれたという喜びが大きかったのを覚えています。(その後6年生まで5連覇します。)

結果が表れ出したのもあり練習にも比較的真面目に打ち込んでいくようになりました。(周りが歩いてるけど自分は走ってる。くらいのレベルですが。笑)

しばらく大会には出ず、小学校3年生になりました。

ミラクルでのデビュー戦は2月の末にあるいちごマラソンで、初の大会ということもあり、かなり緊張していました。

お正月に家族で阿蘇神社に初詣に行った時、「とりあえず優勝お願いしてけば何かしら結果はついてくるでしょ」と思い「今度のマラソン大会で優勝できますように」とお願いしました。

しかし所詮神頼みであることは重々承知で、緊張は本番に近づくにつれ増して行きました。

そして大会当日、会場に行ってみると沢山人が、、、

参加者は約8000人くらいでした。

小心者の僕は大会の規模に圧倒され、さらに緊張してしまいました。
当時おしゃべりだったさすがの僕もあんまり喋らなかったのを覚えています。

ユニフォームは使い回しで、卒業した人からもらうシステムでした。僕はまだユニフォームをもらってなかったので体操服で走りました。

因みに靴は俊足です👟

スタート地点に行くと100人以上が道路にビッシリ並んでおり、師匠に割り込んで2列目くらいに放り込まれ、僕は知らない人たちに囲まれ緊張のピークでした。みんな自分より速そうに見えました。

「スタートの時前の人を押さないでね!毎年こける人がいるから!」と言われ、スタートってそんなに激しいものなのかと思ってるうちに

パンッ!!

号砲が鳴りました。
何人かこけましたが、それには巻き込まれず
号砲と同時に緊張はスッと身体から抜け、身体が軽くなりました。

結果は、、、


優勝でした🏆


とりあえず自分のペースで一生懸命走ったら先頭でゴールし、あれ?1番?っという感じで全く実感が湧きませんでした。

当時の賞状です。今見てみると駅伝の強豪校で活躍してるような人に勝ってるので驚きです。

ちなみに2位の人とは、その後大会で勝ったり負けたりを繰り返して、高校になっても大会で同じ組を走るときなどは、喋ったりするようになりました。

今考えると鮮烈なデビュー戦でした

デッカイ優勝カップをもらい、いちごマラソンなのになぜか大量のみかんをもらいました。

初めていろんな人から褒められて嬉しかったのを覚えています。走る事がほんのちょっとだけ(海の水のコップ一杯分くらい)好きになりました。

ここまでが僕がまともな走りを身につけ、鮮烈なデビューを飾るまでのお話でした。


本当にどうでもいい記憶ばかり鮮明に残っていますがどうかお付き合いください。笑
全てを鮮明に覚えているわけではないので、これから先の大会などの結果は掘り出した賞状等を元に振り返っていくので、抜け落ちてるものもあるかもしれないのでその点はご容赦を。


次は小学校4年になります。

が、早々に心を折られます。笑

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