月を見つけた瞬間が好き。でも人前で「月がきれいですね」と言わなくなった話。
月を見つけた瞬間が好き。
見つけた瞬間が好きなだけで、別に月に強い関心があるわけじゃない。
ずーっと眺めていたら結構はやめに疲れてくるタイプだと思う。
別に、月の構成物質も知らないし、裏側に誰が住んでいるのか興味があるわけでもない。
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見つけた瞬間だけが好き。
例えば、夜空に満月がこうこうと輝いているのを見つけてしまったらスルーできない。
絶対言いたい。
「月、超きれいだね!」
とか。
でも、この感覚を共有できる人は人生で少なかった気がする。
たぶん奥さんも「ふーん」くらいで終わる。
この感覚を当たり前だと思っていたころ、ある出来事があってから、あまり人前で月に反応するのをやめた。
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同僚に元ギャルがいる。
学生自体は駅前でパラパラを踊りまくっていたような人。
今では30歳も過ぎ、見た目も落ち着いて普通。
でも中身はギャル時代の余韻が残っているのか、男性や上司にも思ったことをすぐ言えるタイプの人だった。
入社して2~3年経った夏の終わりのある日、仕事が早めに終わって18時頃に同僚たちと会社を出た。
外はまだ夕方と夜の境界だった。
夜に差しかかろうとする空はきれいな青と黒のグラデーションで、星はまだ出ていない。
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そこに、一つだけこがね色の満月がピャッと浮かんでいた。
じんわりコバルトブルーを滲ませている月を見つけた私は、
「わー満月じゃん、きれいだね」
といつも通り言った。
すると元ギャルの同僚が、
「しばいぬさんってロマンチストだよね」
と言った。
しかしこれは、私のつぶやきについポケットからキュンが出てきたわけじゃない。
半分は苦笑いで、悪く言えば「もうそれ、いいっしょ」と飽きたような言い方。
その場にいた仲の良い同僚たちも「ハハハ」と同意していて、元ギャルの反応は周囲の代表意見だった。
この時にはじめて「いままで他の人もそう思っていたのかも」と急に気恥ずかしくなった。
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特にキザに決めたかったわけでもないし、ロマンチストを気取っていたわけでもない。
だって、いま見ている月の光は何千年も前から変わらず煌めいている。
弥生時代のあの人や、戦国時代のあの人と、時空を超えて同じものを見ているのだ。
それってすごい。
諸行無常といわれるこのワールドで、変わらぬ月の輝きを見て、愛する人や共に戦う者たちに想いを馳せた先人たちと、同じ瞬間を味わっているのだ。
月の輝きには、感慨深く思わせる何かがある。
毎回、素直にそう感動しているだけだった。
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でもいまは思う。
こうやって書いていても改めて思う。
こんなことを考えるのは、ロマンチスト以外ありえない。
これは間違いなく、それはもうびっくりするくらい、キザなんだと思う。
1日働いて「ようやく終わった腹減ったー」と思っている矢先に、同僚からこんなロマンチックのかたまりをプレゼントされたら、誰だってびっくりするだろう。
ここでさらに思った。
かの夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月がきれいですね」に訳したことは有名だ。
これには「だから、これは誰かれかまわず言うセリフじゃないよ」という意味もあったのだ。
そうか、そうだったんだ。
おそろしい、夏目漱石。なんて実力。
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だからいまは、ひとりで感慨にふける。
外は控えめなハロウィンが街をにぎわせていた。
ちょうど夜空は「ブルームーン」だった。
「ブルームーン」は1か月で2回目に見れる満月のこと。
ふつう、満月は1か月に1回。
非常にレアで、日本では46年ぶりのブルームーンだった。
私の住む東北の大都会は、夜空に摩天楼が突きささることもない。
あの日のように抜けるような群青色の夜空に、満月がうつくしく浮かんでいる。
今はひとりだから言わせて欲しい。
月がとても、きれいですね。