いつ来るか分かっている別れと突然やってくる別れ。胸の痛みの違い。(仮題)

大っ好きなミュージカルEndless SHOCKが今年で終わっちゃう。終わっちゃうのよ、、

博多公演観に行った次の日のレポ見て泣いたの。

私が観た日、光一さん声しんどそうで最初、心配もありつつ、でもそれがshow must go on なんだって思ってなんだかんだ気付いたらのめり込んで終わってて。

次の日のレポ読んだら、
「連続公演にも耐えられない身体となってしまい、幕を下ろすのは正解かと」(意訳)
と光一さん言ってたみたいで、ちょうどJVKEのgolden hour聞いてたのも相まって涙出た。(直前にNetflixのボーイフレンドを見てたのよ)

自分で下した決断。それをもう一度これで良かったんだと確信を持つことがこんなに切ないことってあるのかと、胸がギュって息が止まるくらい締め付けられた。

過去に泣くほどの別れって私には唐突にやって来た別れしかなくて、卒業とかでは次の出会いの方が楽しみで悲しみがあまりないタイプで、身近な人との今世の別れは構えてる時もあれど大抵が突然だから衝撃と理解で二段階で泣いて、でもどこかでそういうものかって俯瞰してる自分もいた。
(恋愛の別れでは一切泣いたことがない、、むしろ毎回スッキリする。そんな私こそボーイフレンド履修必須。)

私にとって堂本光一主演のSHOCKが観れなくなることはいつ来るか分かってる別れなんだよね。今のところあと一回だけ観に行くことが決まってるの。まだ私の観ていない所では続いているけど私にとっての最後は決まっていて、SHOCK自体の最後も決まっていて。来年はもう今までのように桜の咲く頃に観られないんだって、先の自分を想像してもう既に悲しい。

先にタイトル書いてみたんだけどなんだか言いたいことは違ってきた気がする。

ある程度俯瞰して、グッズも必要最低限でストックは要らないミニマリストオタクで、自分の生活が1番、生活の上に推し活があるって考えだったんだけど、やっぱり私SHOCKが無くなることはどうしたって悲しいんだよね。光一さんのカーテンコールレポ観て改めて気付かされました。

ついつい自分の考えはこうって自分に決めつけて、こういうので悲しんだりしません私はって思ってたけどそうじゃないんだね、

物事があって、それに対して動く感情がある。その動き方に傾向と対策なんて無いんだ。

自分が感じた感情を否定なんてしてやることない、自分がこんなこと思うはずないなんて思っちゃならない。思ったならそれが自分なんだ。

もっとピュアに素直に自分の感情を認めてあげようって思った夜でしたとさ。
とりあえずみんなボーイフレンド観て、SHOCKも観れるなら観て、
食べられるもの食べて!!!
いっぱい寝よう!!!!
おやすみ!!!!

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