垣根を作らず、デザインを手段として課題解決に挑めること——tsukuruba creative室 室長 柴田紘之
この記事は自社メディア用に書き下ろしたインタビュー記事です
力を付け、とにかくフリーランスのデザイナーになることを目指した
柴田がデザイナーを志したのは、高校生だった2000年初頭。クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏が手掛けた、『Drink! Smap!』のプロモーションとの出会いがきっかけだった。
柴田「『Drink! Smap!』のプロモーションは、とても印象的でした。CDの発売にあわせてドリンクを販売。渋谷の街中にある自動販売機をジャックして、SMAP缶のドリンクを売りまくっていたんです。その光景を見て『こういうものを作る仕事をしたい』と興味をもち、調べたら佐藤可士和さんが手がけていたことを知り、デザイナーという職種と出会いました」
ちょうど進路を選択する時期だった柴田はデザインを学べる学校を選択。しかし、進学した先では授業の内容では満足できず、独学でアプリケーションの使い方を覚えたり、課外活動を自主的にしながら学んでいった。卒業後は、好きだった音楽に携わるデザインをしたいと考え、レコード会社が運営するメディア部門に入社。音楽×デザインを軸にデザイナーとして働いた。その後、Webの制作会社を経て、社会人4年目に柴田にとって転機となるデザイン会社へと入社する。
柴田「デザイン会社を選んだのは、デザインスキルをとにかく上げたいという気持ちからでした。前職では、デザインを教えてくれる人はいなくて、デザインはしているものの『これでいいのだろうか』という迷いがあったんです。当時、僕は30歳になったらフリーランスになろうと漠然と決めていて、そこから逆算すると、独立するためにはデザイン力を高めなければならない。そう思い、とにかくアウトプットのレベルが高いデザイン会社を選びました」
デザイン会社には4年在籍した。入社から2年経った頃に上司が退職し、デザイナーとしては柴田がトップに。同時期に、中国進出に向けて社長が現地に発ったため、東京の事務所は実質的に柴田が率いることとなる。受注するか否かという営業判断から、マネジメント、後身の育成までデザイン以外の業務もこなした。4年間濃密な経験を重ねたあと、柴田は退職。いよいよ、フリーランスとして独立した。
ひとりでできることの限界を感じ、ツクルバへ
念願のフリーランスになった柴田は、慌ただしい日々を過ごしていたある日、とある企業のインハウスデザインの業務を受注する。社内のさまざまなデザイン業務を請け負うが、デザイナーとしての価値を発揮できない環境に徐々に悩むようになっていった。
柴田「当時の仕事は、こちらから提案するようなものではなく、言われた内容で見積もりを作成して受注し、作って納品するような仕事。徐々に食べるためのデザインになってしまい、『本当にこれがやりたかったことなのか』と疑問に感じるようになっていました」
フリーランスを目標にデザインスキルを高めてきた柴田だったが、1人でできることには限界があると感じ始めていた。インハウスの仕事をやめ、ゼロからフリーランスとして再スタートするか、再度企業に入るか。未来に悩んでいた頃に出会ったのがツクルバだった。
柴田「もし志を一緒にできる会社があるなら就職するのも選択肢のひとつだな、と考えていたんです。その頃に『cowcamo』のベータ版がリリースされたというニュースを目にし、ツクルバに興味を持ちました。話を聞きにいくと、ビジョンや目標、課題感等について、お互いフラットに話せた。ここならやっていけそうだと思い、入社を決めました」
柴田が入社した当時のツクルバはわずか10名強。社内のデザイナーは柴田ひとりだけだった。ツクルバはcowcamoに力を入れるタイミングだったこともあり、柴田もcowcamoに従事していく。1つのサービスに継続的に関わっていく経験は、柴田にとって非常に刺激的だった。
柴田「前職までは予算などの都合で、1つの事業やサービスに長く関わることがありませんでした。『ここまでやったほうがいい』と思っても、工数を考えるとやりすぎないように動かざるをえず、もどかしいこともありました。事業をデザインの力で全力で後押しする経験をできたのは、大きな収穫でしたね」
垣根を作らず、手段としてデザインを考える
柴田が入社から2年間は、柴田ひとりがデザイナーとしてツクルバを支えてきた。この1年弱でデザイナーは一気に8名(2018年2月現在)まで増加。柴田もデザインを実際に行うプレイヤーとしての業務に加え、チームとして何ができるかを考えるようになってきたという。
柴田「入社当時は僕ひとりだったこともあり、cowcamo以外のデザイン業務まで手が回りませんでした。それが今は8人。デザインチームとしてどのように価値を最大化できるかをよく考えるようになりました」
チームとしての動き方を考えるようになったのは、tsukuruba studiosの存在も大きい。studiosが立ち上がり、「remark」をはじめいくつかのプロジェクトが動き始める中、デザイナーとしてチームにどのような価値を提供できるかを考え始めた。
柴田「同じ空間にさまざまなメンバーがいることで、ある課題が存在するとき、解決するために必要な手段が多様に存在する状態になりました。アーキテクトやエンジニアもいる中で、デザイナーならどのような手段を持っているのか、どのような価値を発揮できるかを考える必要があると思っています」
異なる領域のメンバーと触れる機会が増すことで、デザイナーの、デザインの価値とは何かを考える機会も増す。これはtsukuruba studiosらしさにもつながる。柴田が考えるstudiosらしい人は、「自ら垣根をつくらない人」だという。
柴田「『わたしはUIをやりたい』という人ではなく、自分の持っている能力でなにができるかを自ら考えられること。UIを手段ととらえ目的化しない人が必要になります。自分のスキルを持って何ができるか、何をしていきたいかを考え、自分のビジョンと会社のビジョンをマッチさせて楽しめるといいですね」
柴田自身ツクルバで働く中で、他のメンバーがもつ、価値観や手段から日々影響を受けてきた。とくにアーキテクトから受ける影響は大きいと柴田は振り返る。
柴田「たとえば、建築はモノとして存在する期間が長い。広告のデザインをやっていると、長くても半年~1年程度のスパンでしか注力して携わらないのに対し、アーキテクトの人は『50年後の東京にこういうものがあったら素敵じゃない?』という話をします。50年後から逆算する視点はすごく素敵だなと思いますし、今までに考えなかった視点からの刺激を受けることができるんですよね」
権威あるデザイン事務所と同じくらい、tsukuruba studiosには価値がある
異なる手段や視点を持ち合い課題解決に挑むtsukuruba studios。このチームだからこそ実現できるアウトプットを柴田は考えているという。
柴田「たとえば、空間をメインにブランディングに携わることも可能です。インテリアデザインだけでなく、VIまで携わり一貫したブランドを構築していく。これまではリソースの問題で実現できていませんでしたが、これからはチームとして実現していくこともできます。他にはないアウトプットが増えていくことで、ツクルバらしさを発揮できるようになると考えています」
デザインを通じて、柴田はツクルバを「これからのデザイナーにとって価値ある場」にしたいと語る。
柴田「いまデザイン業界は転換期を迎えていて、役割が多角化しています。何のために、何をデザインするかを考えられる会社が今後求められてくるでしょう。ツクルバはインハウスで事業に関わるデザインもできるし、制作会社のデザイン業務に近いこともできる。何のためにデザインをやるのかを常に考えられる会社になるポテンシャルがあるな、と思っています」
これまでデザイナーのキャリアはインハウスか制作かを選ぶ必要があった。しかしツクルバにはその双方が存在する。単にかっこいいビジュアルをつくるだけでなく、どんなビジョンを実現するために、自分はデザインという手段を通して、何に携わるべきか。それを考え選択できる環境がツクルバには存在する。
柴田「ツクルバで取り組むことのできるデザインの領域や範囲、選択肢は、権威ある事務所と同じくらい、価値あるものだと思っています。僕は、tsukuruba studiosのデザイナーが、権威あるデザイン事務所のデザイナーと同等の憧れられる立場にしたい、という野望があります。ツクルバがこれからデザイナーを目指す人たちにとっての希望になり、目指したいと思われる姿にしていきたいと思いますね」