憧れの人がいたんだ
これまでの人生を振り返ってみると,自分のことばっかり考えていた,と思う。
でも,その事実に気づいたのは,つい最近のことで,
その事実に気づくまでは,自分は他人のことを常に考えている,と思いこんでいた。
他人の心を読めれば,その人の思い通りに振る舞えるのに,
他人の望みを先回りできれば,その人を心地よくさせてあげられるのに,とか。
他人の心を先読みするだなんて,なんておこがましいんだろう,と今なら思えるけど,思春期の頃,自分が大嫌いだった私は,「どうすれば他人の気持ちを満たせるか?」ばかりを考えていた。
当時の私の日記には「他人の心が手に取るようにわかるようになりたい。自分は他人の望みを叶えるために生きたい」と書かれている。
一方で,とても極端な願いを持っていた。
例えば,自分がどうすれば ”すごい人”になれるか,を考えていた。
”すごい人”になれば,自分の思い通りの人生があると,信じ込んでいた。
誰かに会いに行ったり,仲良くなろうとするのは,
自分が”すごい人”になれるんじゃないか,
という下心が常にあって,
純粋に楽しいだとか嬉しいだとか,
を感じる人間関係を築いてこなかったと思う。
私は、他人を”すごい”かどうかで,勝手に判断し,
”すごい”相手の機嫌を損ねないように常に気を使って,
自分の言動をいちいち監視して、
「あぁ言わなきゃよかった」とか,
「あの言い方じゃなくて,こう言えば,もっと相手を気持ちよくできたのに」とか、常に一人反省会をしていた。
そんな私も,思春期がようやく終わって、30代に入って、ようやく気づいた真理がある。
それは、
”すごい人”が,私にとっては,”すごい”人だけど,
誰にとっても”すごい”人ではないこと。
例えば、芸能人だとわかりやすい。
私が好きな芸能人は,友達も好きとは限らないし,
もしばったり会ったとしても,”すごい!”と思う人と”へぇ,そうなんだ”くらいにしか思わない人がいる。
結局,”すごい”は、私の指標でしかないのだ。
子どもの頃の雑誌やテレビで見た人たちは,たくさんの人に知られているだけで,”すごい”とは限らない。
”すごい人”はすごい,に縛られていた思春期の私が答えられない一つの質問があった。
「憧れの人は誰ですか?」
自分が”すごい人”になりたいに縛られている過去の自分は,”こうなりたい”という気持ちを全く持ち合わせていなかった。
”すごい人”に近づいて,その人に気に入られることばかりを考えていた。
自分の”すごい”と思う人に気に入られることで,自分がすごい人になった,と勘違いしていた。
そうしたら”すごい人”の顔色を伺うばかりで,私が「どうしたい」という意思のようなものは全く持ち合わせていないし、「どうすればいいか」がわからなかった。
”すごい人”の近くに居続けるだけの、目的に始まり、知識や能力を持ち合わせていなかったのだ。「どうすればいいか」がわからないということは、何を努力して身につける必要があるかもわからない。
ただ”すごい人”の近くにいるために、顔色を伺うだけだった。
一人の女性を思い出す。
その人は、大学の軽音楽サークルのギターボーカルの先輩だった。
その人は、とても誰もが耳を傾けずにはいられない特徴的な歌声だった。彼女が歌い始めた瞬間から、歌い終わりまで、息継ぎのタイミングさえも聞き逃せないような、”ハッ”とさせる歌声の持ち主だった。
でも、その先輩は、大学にはほとんど来ておらず、単位も落としまくっているような人だった。
当時の私は、その先輩を”自由な人”と思っていた。その先輩の天性の歌声や存在感、カリスマ性みたいなものを、自分とは住む世界が違う人くらいにしか思っていなかった。
そんな雲の上だと思っていた先輩と、ひょんなことから仲良くなったのは、私が自分で歌を作って、路上ライブをするようになってからだ。
その頃、先輩はバンド活動をしていた。先輩のバンドは某有名作曲家のコンテストで賞をもらったりしていて、先輩は、相変わらず雲の上の存在だった。
路上ライブをしても、人っ子一人立ち止まってもくれないようなつまんない唄しか作れない私に、先輩はとても良くしてくれた。
失恋した時は、なぐさめてくれたし、それで勢いづいて引越しを決めた時には、吉方位を調べてくれたりした。
「行きたいところに行こうという気持ちがないと、そこには行けないよ」
つまんない男(当時はそう思っていなかったけど)との失恋話をいつまでもぐだぐだ続ける私に、その先輩は笑いながら言っていた。
私は、先輩の作る曲が本当に好きだった。それまで、”すごい”から好きとか、”ここではそう思っておいたほうがいい”とか、そういう計算だとか、損得感情みたいのが、全然生まれてこなかった。
ただ、好きだと思う気持ちが、私の中に存在していたことにとても驚いた。
先輩は本当に不思議な人だった。
こちらが頑張って顔色を読む必要が全然ない。かといって、先輩といる時間が居心地が悪いわけではなかった。私は、”すごい人”といるはずなのに、先輩の気持ちを先読みして、先輩が喜ぶようなことを私が言うのを全く待っていない人だった。
別に気持ちの良い言葉だけを選んで並べる必要はなく、私の頭の中で浮かんでは消える言葉を表現してもいい雰囲気を作りだすのが、先輩は上手な人だった。それが先輩の「自然な状態」だったのだと思う。それが、私の最初に感じた「自由な人」ということだったんだと思う。
その先輩が作り出した雰囲気にいる私は、そのままの「私」が受け入れられた、初めての瞬間だった。その時の私は、処女喪失後の気まずさに似たバツの悪さと恥ずかしさを感じた。
おそらく、”憧れ”という感情の端っこを掴むには、十分な経験だった。
そして、先輩は恋多き女だった。サークル内でもたくさんの男が彼女に恋をした。
別れた後でも「あの人との恋愛は良い思い出」と言える先輩は、私にとって、やっぱり憧れだった。
私が先輩に近づいたとき、確かに先輩は”すごい”人だった。
私は当時気づいていなかったけれど、確かにそれは”憧れ”という感情だった。
私にも、憧れの人がいたんだ。