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8月15日の敗戦記念日と積極的平和主義

先月15日は戦後75年目の「敗戦記念日」。
僕のおふくろの命日でもあります。

近隣諸国と日本国民に数百万人もの犠牲者を出した、負ける戦争に突き進んでしまった日本と関係国の「歴史」に謙虚に向き合い、原因と課題は何だったのかを反省し検証せずに「積極的平和主義」を語るのは、今年の敗戦記念日の日本の首相式辞としては、ちょっと物足りず、空虚な言葉に感じました。

当日の日経新聞の社説を読んで見たところ、安倍首相が5年前に発表した戦後70年談話では、「1920年代の国際協調の潮流を(日本は国際連盟の常任理事国でリーダー国であった)日本自らが満洲事変を引き起こして壊し、力の行使によって国家の行き詰まりを解決しようとした。」、「何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた。」ときちんと断罪していました。

1920年代の日本が外交や経済で行き詰まり、1930年代のテロ、日中戦争、太平洋戦争と言った破滅の道に至ったのは、日本だけの理由ではなく、「米国の排日移民法による人種差別」、「中国の国権回復運動による反日運動や内戦」、「英米の対中外交政策変更で生じた中国国内の力の空白」、「日露戦争で得た満州権益への米中ソからの挑戦」、「ソ連による共産主義波及」、「ナチスドイツの力による秩序変更の勢い」や「世界恐慌による日本経済への打撃」等危機の20年間の国際情勢も影響しているはずです。其々の事象の作用、反作用を客観的に検証して、日本の当時の指導者はいつ、何処で、如何に道を間違ったのかの歴史認識を国民レベルで共有すべきと僕は考えてます。

話を今年の安倍首相の式辞に戻すと、何故5年で謙虚で国際的に受け入れられるスタンスが後退してしまったのでしょうか? 「戦略的平和主義」をいくら唱えてもこの客観的な歴史認識を欠いてしまっては、国際社会には通用しない戦前の「空想的軍国主義」や戦後の「空想的平和主義」と似た絵に描いた餅の様な政治理念に戻ってしまうじゃないかと、漠然と心配してしまいます。

立憲民主党の枝野代表や日本共産党の小池書記局長の談話も、「歴史」や「現実」に謙虚に向き合っているとは感じられませんが。

菅新首相には、自らの言葉で「歴史観」と「世界観」を国民と世界に向けて語り掛けて欲しいと思います。

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