コンビニに扇情的な表紙の雑誌があることは「差別」なのか?
ポリタスの「コンビニの成人向け雑誌問題をあらためて考える(前後編)」を見ました。
※前編は2024年1月27日、後編は2024年1月28日まで無料で見られるようです。
番組の構成をざっくり説明すると、登場するのはポリタス側の2人(水野優望・佐藤※仮名)とゲストである新日本婦人の会2人(池田亮子・西川香子)。
いずれもコンビニに扇情的な表紙の雑誌が陳列されることに反対の立場をとっており、陳列されていた雑誌表紙や新日本婦人の会の調査結果について語り合うというものでした。
おぞましい本
まず、ポリタス側も新日本婦人の会側も、コンビニに置かれている扇情的な表紙の雑誌に対して「見るのがつらい」「ゾッとする」「異様」「取り扱い注意」「有害雑誌」「目に入ることが有害」「堂々と陳列することそのものが有害」など、始終「おぞましいものである」という姿勢を取っており、発表の前には「※暴力的な文言を引用します。体や心の調子を優先して、ご覧になったり、途中でやめたりしてください」と注釈をつけていることが印象的でした。
性的な表現に対してこうした注釈が加えられることは近年珍しくなくなりましたが、冒頭に「暴力的な文言」「体や心の調子を優先して」とアナウンスすることは、「今から見るのは不健全で良くないもの」というバイアスをかけることでもあります。
4人は、コンビニに扇情的な表紙の雑誌が置かれることを「女性に対する性暴力の容認であり、犯罪意識を低下させる」としており、番組はそれに対して反対意見を持つ人がいない構成になっていました。
前後編を通して、異論も反論もなく「コンビニに扇情的な表紙の本があることは良くない」という話が進行するのです。
批判の対象となる本は……
さらに驚いたのは、彼女たちがコンビニに置くには問題がある「成人誌」とした雑誌は、『週刊ポスト』や『週刊SPA!』のような週刊誌、『実話ナックルズ』や『実話BUNKAタブー』といった実話系雑誌、DVD付きソフト路線のエロ雑誌などであり、そもそも成人誌ではなかったことです。
表紙に水着女性が載っているものもありますが、露出自体も際どくなく、もちろん局部や乳首などの露出もありません。今回彼女らが問題としている要素のほとんどは、扇情的な見出しの言葉なのです。
週刊誌や実話誌など、そもそも「成人誌(18禁)」ではない雑誌の、見出しの表現を取り上げて、当たり前に「有害雑誌」「目に入ることが有害」「堂々と陳列することそのものが有害」としていたことには驚愕しました。
ポリタス側の2人は「こういう雑誌を世の中から抹消したいと思っていません」「ゾーニングしてほしいだけ」と主張するものの、18歳未満禁止のマークも「エロ本がここにある」という目印になっているだけなので意味がないというので、実質的にはゾーニングの仕様もない気がします。
そもそも、2018年以前からコンビニに「成人向け雑誌」は置いていない
そもそもの話なのですが、現在も、そして2018年に撤去される以前も、コンビニに置いてある「扇情的な表紙の雑誌」は厳密な意味で「成人指定」「18歳未満禁止」の本ではありません。
一般に「有害図書」と言われるのは、地方自治体が成人向けマークのついていない書籍を対象に青少年の健全育成を阻害する「有害図書」として指定するものを指します(「指定図書」。東京都の場合は「不健全図書」)。
これに対し、出版社などの製造者が自主的に青少年閲覧は不適当であると認め「成人マーク(18禁)」を表示し、書店の成人コーナーのみで販売しているのが「表示図書」であり、流通に厳格なルールがあるためコンビニには置かれていません。
2018年までコンビニに置かれていたのは、日本フランチャイズチェーン協会基準のもと、自主規制として青いシール留めをつけて雑誌の中が見えない状態で販売されていた「類似図書」です。「類似図書」は法律や条例で流通が規制されてはいませんが、「18歳以上の購入推奨」とされていました。
2018年以降、コンビニで「18歳以上の購入が推奨」の「類似図書」の取り扱いが中止されてからは、類似図書の出版社はヌードページの割合削減や、着衣や水着などの表紙にするなど、よりソフトな表現に変更した雑誌をコンビニで流通させているようです。
番組では、こうした雑誌の「区分」についてはいっさい語られず、定義の紹介すらなく批判が展開されていました。
なお、いくつかの雑誌の「表紙の見出しが扇情的で下品だ」という指摘だけはその通りかと思いますが、これには条例による事情があります。
2001年の都条例によるゾーニングの義務化、2004年の成人向け雑誌の立ち読み防止用のシール止めの義務化以降、「類似図書」は書籍シール綴じにより立ち読みができなくなった結果、内容を想像させる手段が表紙のみになったため、情報過多で扇情的なデザインが主流化したのです。
コンビニエロ本問題の振り返り
ここで、2018年にコンビニからエロ本が撤去された問題も振り返ってみましょう。
2020年に開催予定であった東京オリンピックを控えた2018年以降、
①子供や女性客への配慮
②外国人観光客増加による配慮
といった観点から大手コンビニが成人雑誌の取り扱いをやめていきました。
千葉市からの働きかけをきっかけに2018年1月をもって販売中止しミニストップを皮切りに、セブンイレブン、ファミリーマート、ローソンと、成人雑誌の取り扱い中止は続きました。
背景にあるのはオリンピックに向けた都市景観や美化キャンペーンだけでなく、インターネットの発達や成人誌ユーザーの高齢化に伴う売上低下があるといわれています。
「置いても売れない商品は置かない」というのは私企業の選択としては当たり前であり、事実、本が売れない時代といわれる近年ではコンビニの雑誌コーナー自体が縮小傾向にあります。
その一方で、過疎化などの影響で、近隣にスーパーや本屋がない立地にあるコンビニが、生鮮食品や本の種類を揃え、スーパーや本屋の代替え機能を担う事例もあります。
都内でも寺院が多い地域では仏花を扱うなど、コンビニの品揃えは立地や地域特性、消費者のニーズに合わせて異なる現状があります。
また、大手コンビニのひとつは、新日本婦人の会の本部訪問調査において、「成人誌(に類する雑誌)」が店舗に置かれる要因として、特定のジャンルだけ「売らない」というのは中小の出版社への優越的地位の濫用にあたるため、どのような本を陳列するかは加盟店の判断、 最終的に個々の店舗の判断にまかせる。との旨を回答したといいます。
実際、新日本婦人の会の調査においても、「オフィス併設のコンビニには成人誌※はなかった」「病院近くのコンビニには子供向けの絵本が置いてあり、成人誌※はなかった」など、コンビニが地域特性や消費者に合わせた商品選択をしている様子が報告されていました。
(※新日本婦人の会の表現、前述の通りコンビニでは成人誌を扱っていない)
しかし、ポリタスの2人も、新日本婦人の会の2人も、各コンビニ店舗のオーナー判断で販売を継続されている扇情的な表紙の雑誌の背景にあるニーズに対して想像力を働かせてみることはしません。
婦人団体の「功績」
新日本婦人の会は、「私達は撤去したと思っていたし、なくなった瞬間を知っている」と、2017年にコンビニ成人誌の撤去申請をし、2018年以降撤去されたことを「成果・功績」として誇る一方で、扇情的な表紙の雑誌がコンビニにあったことを「どうなっているのか」と嘆き、状況を知るべく3日間、合計517店舗のコンビニのプレ調査の実施や大手コンビニ本社訪問を行ったそうで、今後はさらに調査範囲を拡大したいとのことでした。
調査結果を見ると、『週刊現代』『FRYDAY』『ヤングジャンプ』『FLASH』と、週刊誌や写真週刊誌、青年漫画誌、それに前述の実話系雑誌などばかりです。
新日本婦人の会によって「成人向け雑誌」「成人向け漫画」と判断された雑誌は8冊ありましたが、Amazonでググってみると、年齢確認が入ったのはそのうち1冊だけでした。(追記:なお、Amazonでは全年齢対象の作品でも独自基準で年齢確認が行われることがあるそうです。)
なんというか、せめて対象の「オンラインストア」くらいは明記してもらいたいものですし、初手から記載と食い違う情報が多く、調査の精度も疑わしいと感じてしまいます。
「成人誌」未満の「類似図書」を禁止しても、「水着が」「グラビアが」「見出しの煽り文句が」と、どんどん「禁止」のゴールポストを動かし、成人向けゾーニングの印すら、「エロ本がここにある」という目印になっているので意味がないという。
無限に要求を拡大するだけで譲歩はしない人たちと、建設的に話し合うことは可能なのでしょうか?
エロ本とSDGsの関係?
各コンビニ店舗のオーナーの判断で販売を継続されている扇情的な表紙の雑誌の背景には、本屋がない地域やネットに疎い人、高齢者などのニーズがあります。
現在のコンビニではSDGsが推進されているのに「多くの女性や子供が軽んじられ取り残されている」。
「誰一人取り残されない」がスローガンであるにも関わらず、多くの女性や子供が軽んじられ、エロ本を見たくないという消費者の声が無視され、女性の品格を損なわれている。子供に見せられるものではない。
と、番組では特定の女性とその女性が考える子供の視点からしかSDGsの問題が語られませんが、ネットに疎い人や高齢者の性は取り残されても問題ないという認識なのでしょうか。
コンビニに扇情的な表紙の本があることは女性蔑視で暴力の問題?
今年(2024年)はSDGsの中間見直し年であるため、アジェンダの一つである「ジェンダー平等」にかこつけて、問題提起や国際的な外圧として日本の現状を批判したいのかもしれませんが、コンビニに性的・扇情的な見出しの表紙の雑誌があることは、女性蔑視で暴力の問題なのでしょうか?当たり前ですが、性表現の作り手や受け手には、女性もたくさん存在します。
性表現を行うことを強要されている女性がいるのであれば、それは個別具体的な対処が必要な問題ですが、今回の問題提起はそうではありません。
私は、コンビニにエロそうな本が存在することを「加害」と感じませんし、「エロそうな本がコンビニにあることでジェンダー平等が達成されない」とは微塵も思いません。
彼女たちはまた、コンビニは災害時のライフラインであり、「まちの安心安全の拠点」であるから扇情的な表紙の本はあるべきでないとしていますが、精神的にも肉体的にも消耗が激しい災害時には娯楽も必要でしょう。
そのエロ本、親と一緒に読めますか?(親と一緒に読めない本はコンビニで売るべきではない?)
番組ではコンビニに扇情的な表紙の雑誌がある問題として、「ご自分の保護者さんと一緒に読める?」「お子さんお孫さんと一緒に読める?」「学校に置ける?」という点もあげますが、この「問題提起」の仕方自体が問題です。
そもそも、エロ本を家族と一緒に読む人ってどれくらいいるのでしょうか。
ご自分たちは親や子供と一緒にエロ本を読んできたのでしょうか。
性はプライベートな問題であり、「隠蔽すること/されていること」が社会におけるスタンダードです。
入試や就活で性癖を記載することを求められたら多くの人は「ハラスメントだ」と言うでしょうし、子供に自分のセックスを見せびらかす親も、よほど特殊な場合を除いていないでしょう。
エロ本以外の本だって、たいていは親と一緒に読まないはずです。「親と一緒に読めない本をコンビニに置くべきではない」という論点そのものがおかしいのです。
「学校に置けるか」を基準にするのも同様におかしいです。
小中学校なら、菓子やジュース類、化粧品やくじの景品など、本や雑誌以外でも、コンビニに置いてあるほとんどのものが校則で持ち込みを禁止されているはずです。
「学校に置けないのだから、コンビニで菓子やジュース類を取り扱うのを禁止しろ」という主張は見たことがありませんし、コンビニは学校ではないのですから理屈が通らない難癖です。
なお、美少女コミック研究家の稀見理都氏によれば、「子供に見せられますか?」「子供と一緒に読めますか?」といった問いは、「有害図書」を指定する青少年健全育成審議会のやり取りでもよく出る意見だといいます。
こうした「子供のため」を主張するものは、実際には無意味な基準であるにもかかわらず、道徳的によくないという錯覚を起こさせることに関しては強力です。
ポリタスの「コンビニの成人向け雑誌問題をあらためて考える(前後編)」を見て、第一に「めちゃくちゃだなあ」という感想が湧きました。
でも、こんなめちゃくちゃな内容でも、メディアでまことしやかに拡散されるのです。
「差別だ」「暴力だ」「加害だ」と言えば、神妙な面持ちで、事実など確認しないまま賛同することがよしとされ、疑義を呈することすら●次加害と扱う風潮すらあるのです。
個人的には、近年「リベラル」とされる人たちが、恫喝的に「健全なあるべき性」を押し付けることに躍起になっている背景には、清潔で快適で、自分と異なる不愉快な価値観を持った人などいない状態を「当たり前」にした結果、体感治安で「不愉快」を「加害」と思い始め、「正しいか/愚かか」という新しい階級意識のようなものすら生まれているのではと思っています。
そういう人たちは、ときに「子供のために公園からホームレスを排除しましょう」といった具合に、「物言わぬ健気な弱者」を盾にして「不愉快に見える弱者」を排除しようとするのではないでしょうか。
これは、「エロだから」「別になくても困らないから」という問題ではなく、もちろん「女性差別」「女性への暴力」の問題ではなく、「不愉快な他者を許容できない」ことにまつわる問題であるように思います。
最後まで読んでくださりどうもありがとうございます。
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物事の定義って大事だし、「調査」の結果が正しいかはうのみにしちゃダメですね。近年のジェンダーやフェミニズムについて書くときは特に……。
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