kyoko

「共に生きる」を楽しく考える日々の記録。 幸せおひさまカフェ店長。作業療法士。 支援学校高等部に通う息子と公立中学に通う娘の子育て中。

kyoko

「共に生きる」を楽しく考える日々の記録。 幸せおひさまカフェ店長。作業療法士。 支援学校高等部に通う息子と公立中学に通う娘の子育て中。

最近の記事

ほんとのところ どうなのか。

先日、私の数少ない友達の1人とお茶をした。 不登校の娘の話をしていて、 私と担任との会話の内容を話したら 彼女は涙を流しながら怒っていた。 彼女の様子を見て、 私もその担任の言葉に怒っていたことに気付いた。 あぁ 私、怒ってたんだ。 私、悲しかったんだ。 でも、 ハナから期待してないから。 話しても伝わらないだろうし。 怒ってもどうしょうも無いし。 悪気はなくて言ってるんだよね。 なんて色んな別の感情で表面を覆って 自分のほんとの感情が 自分でも分からなくなっていたこと

    • どうせ不登校するなら、不登校にしか出来ない体験を。

      不登校の選択肢は 思った以上に少なかった。 フリースクールとかってこんな少ないんだな。 市内の学びの場は週1回の午後だけだった。 田舎だから余計かな。 足を伸ばして探してみることにする。 それでも10年前に比べれば 選択肢は増えているけど。 フリースクールにも通えるかどうかは 分からないし 無理に通わせるつもりもない。 ただ、 合った場所があるかもしれない という可能性は色々探していくことにする。 何事も当事者にならないと分からないものだな。 とにかく 「不登校

      • マスクが思い起こさせた感情

        今日は私の話。 先天性エナメル質形成不全症。 骨のエナメル質形成がうまくいかず ボロボロの5ミリ程度の歯だった。 小学校に入ると からかわれたり いじめられたり。 骨の成長がある程度止まるまでは 差し歯などの治療も出来ず 中学卒業と同時にやっと治療できた。 初めて会う人の目線が 必ず口元にいくのが分かった。 からかわれるのは ほんとは嫌だけど 気にしてないふりをして 冗談にしたり 笑ってごまかすことが上手になった。 今思えば、 思い切り泣き喚いたり 怒りくるったり

        • noteを始めて、また言葉が溢れてきた

          アメブロを始めたのは9年ほど前。 友達のブログを見ようと アカウントを作ったのがきっかけ。 ブログのタイトルは思い付きで 2人の子どもたちの名前の漢字を1つずつもらって 「幸せおひさま」とした。 それがそのままカフェの屋号になろうとは その時は思いもしなかった。 自分のカフェとして 色んな想いを綴っていって たくさんの繋がりができた。 それが福祉事業所の中のカフェとなった時 だんだんと書けなくなっていった。 そんな中で、この場所を見つけて あくまで私個人の想いを 文

          「人からどう見られるか」という自分が自分を裁く目に怯えている

          人の目を気にする と言っても 結局のところ 人の目を気にするという 自分の目を気にしている。 人からどう思われるだろうという 自分の思いに囚われている。 人から監視されているのでなく 自分が自分を監視している。 人の多い場所は 人の目が増える。 監視する自分の目が増える。 . . 今でこそ、非常識と言われる私。 息子の子育てをしなければ 今でも人目を気にして生きていただろう。

          「人からどう見られるか」という自分が自分を裁く目に怯えている

          おうちカフェを始めた時のこと

          7年前、おうちカフェを始めた。 共に生きる場所がないなら この手で作ってやる。 その為の小さな小さな一歩だと思った。 何もせずにはいられなかった。 親亡き後のこの社会が 少しでも優しくなるように 笑顔で生きていけるように。 7年間経っていた。 今は、福祉事業所内のカフェとなっている。 私は何が出来ただろうか。 社会には何の影響も与えてないけど、 一歩踏み出すことで たくさんの学びがあった。 これから少しずつ 綴っていきたい。

          おうちカフェを始めた時のこと

          休職するという選択

          1年半ほど前 自分自身がリウマチを発症しても 休職という決断は出来なかった。 出勤を減らして 休みの日にはちゃんと休む。 それが精一杯で 責任感を全て外すことは出来なかった。 だけど、今回は 完全に休むことを決めた。 もちろん職場の方々が 私の選択を受け止めてくれたから それが出来た。 側にいることしか 今は見当たらないけど それが今大事なのだと思う。 「学校に行く」 という勝手な目標は 置いておいて 目の前の子どもをただ信じる。 今はただ それが出来るように

          休職するという選択

          目標やゴールっていつだって必要?

          学校でも職場でも 時には子育てでも 当たり前のように 目標が定められる。 目標があることが 当たり前になり過ぎて 必要か不必要かなんて 疑問に思うこともないくらい。 もちろん自然と目標が生まれる人も多いだろう。 でも、 「目標を持たなくちゃ」 「目標を持つことが普通だから」 「目標を持つことが良いことだから」 って目標を作って 自分に目標があることに 安心する人も多いのかもしれない。 その目標、 本当に必要なのか? もう一度 自分に問い直していきたい。

          目標やゴールっていつだって必要?

          人に言ってはいけない

          私が大きな声で伝えていきたいと 思ったきっかけは。 「人に言ってはいけない」 と言われたこと。 息子がウエスト症候群という 難治性の てんかん を発症した時、 ある人に言われた。 「てんかんという病名を人に言ってはいけないよ。言ったらこの子がかわいそうだよ。」 こう言われた私は みんなに言わなくちゃ 衝動的にそう思った。 人に知られてかわいそうな病名があるのなら そんな社会ならば その社会を変えていこう。 何ができる訳でもない なんの力もない 私が出来ることは

          人に言ってはいけない

          人生のテーマなんて大げさだけど。

          「共に生きる」 って言葉がずっと胸の真ん中にある。 障害 病気 食 不登校 次々と目の前に現れる現実に いかに楽しく向き合うか。 共に生きるって何だろう。 共に生きるって 共に同じ場所で 共に同じ時を 共に過ごすことからしか 生まれないのだと思う。 noteに綴ることで 色んなことが 深まっていけばと思います。

          人生のテーマなんて大げさだけど。