光を追求すると闇を知ることになる
光と闇
表と裏
陽と陰
男と女
この世は相反するものが一体になっています。
例えば光を追求するとします。
追求するってことは、わからない部分があるから
そこを追い求めることになります。
単純に考えると、光に関することだけ知ればいいじゃないかとなりそうですが、冒頭申し上げた通り、光と一緒に闇までついてきてしまいます。
これって、そういう仕組み?決まり?法則?
だから必然なんです。
神様に「豊かさを知りたい」とお願いしたら
なぜか「貧しさ」を味わうことが起こります。
豊かさを知りたいってことは「私は豊かさを知らないですよー」って同時に宣言していることになります。
知らないってことは「今私は貧しいですよー」と宣言していることになりますよね。
宣言していることが現実化するので「貧しい」状態を経験するわけです。
これが豊かさと貧しさは一体ということになるんです。
「知らない」と思っているうちは、ずーっと貧しさが続くわけで、少しでも「知ってる」と思えるようになると少しずつ豊かになるわけです。
プラスの状態を認知していれば、プラスの状態になるということなのです。
シンプルに、意識がどの位置にあるかで現実が決まります。
一体ということは本来、豊かさも貧しさもなくて中間のゼロの位置でバランスします。
中間にいればバランスが取れるのに、人間はなぜか中間にいると上を求めてしまうんですよね。
鉄棒にぶら下がった状態で逆上がりしようとした時、いったん逆へ反動をつけますよね。
上に振れようとしたエネルギーは同じだけ下へ振れてしまうんです。
上にいたらいたで、今度は下に落ちていかないか心配してみたり、人の心は偏ると揺れ動くわけです。
なかなか難しいのですが、中間にいて上の状態を感じているのが理想的なのかもしれません。
これまで私の人生は
幼い頃からいつも「自由」を求めていました。
次男として生まれ、いつも兄のおさがりばかりでした。
大人になって外へ出ても、戻って家業を継いでも、いつも上には兄がいました。
「このままでは自分の思い通りに生きられない」
と思って生きてきました。
いつもお伝えしているように
人生は、自分が何の疑いもなく思っていることを現実として経験します。
だから現実が思い通りにならなかったわけです。
その根本には「自由」を求めていた潜在意識が常にあって、自分が欲しいものは我慢しなければならないという抑圧された現実を招いたわけです。
私にとっての自由は抑圧からの解放でした。
それはお題の通りで、自由を追求してたから抑圧を知る必要があったのです。
世間一般に次男は自由と思われがちですが、今世の私は、わざわざ次男として生まれることを選択して、不自由さを設定した人生を送ってきたかもしれません。
そして今、やっと家業から離れて、ずーっと同じだった職から外れて、やっと自由になれた気がしています。
人生って不思議ですね。
自分で生き辛さをわざわざ味わって
今、晴れて生き易さを知ったわけです。
お題から飛躍しますが、地球は宇宙の一部です。
この地球で生きている私達は宇宙の中にいます。
宇宙では、上も下も右も左もありません。
自分の立ち位置から見て「上が良い」とか「左はイヤ」と言っているに過ぎません。
宇宙から見たら、今自分がいるところが今の自分にとってのベストなんじゃないかなぁ。
これがシンプルに宇宙の真理なのかもしれません。