「嫌な人とは付き合わなくていい」
優しさと毅然さのバランスを考える
「みんなと仲良くしましょう」という社会的ルールは、平和で調和の取れた社会を目指すための教えです。しかし、このルールが誤って解釈されると、優しい人が意地悪をする人々に対して寛容すぎる態度を取ることになり、意地悪をする人々に付け込まれることがあります。つまり、「意地悪をしても優しい人は受け入れてくれる」という誤解が広がると、意地悪をする人々がますますその行為を続ける可能性があります。
人の気持ちを考えずに自分の主張ばかりしてくるような人と、仲良くしなくてはいけないのですか?
答えはノーです。
なぜならば、自己主張ばかりしたり、いじめてくる人は、その人たちが自分自身の学びをすればいいからです。
人に攻撃的な人は攻撃が好きな人と仲良くすればいいでしょう。
なぜ、優しい人たちに接してくるのでしょうか・・・
答えは、自分の都合や利益、望みを簡単に叶えたいからです。
自分の思い通りに動いてもらいたいからです。
望みは自分で叶えればいいのです。
人の上に立って人を支配し、自分の至福を肥やそうとする背景には
幼いころから競争させる社会教育が原因です。
それに気が付いたら、自分はその仕組みから抜け出して、子供にもそうゆう環境から抜け出す道を与えられるといいですね。
人の気持ちを思いやれない人と、人の気持ちを思いやれる人は全く違います。
似たもの同士が心地いいのに、わざわさ、似てもいない嫌な人を仲間に入れようとするから、お互い、居心地が悪くなるのです。
みんなと仲良くの概念が、すりこまれて嫌な人とも仲良くしなければいけないとコントロールされてしまっています。
善人ぶらなくていいと、自分に許可すればその悩みから解放されます。
親子だろうと家族だろうと、仲良くしなくてはいけないなどというルールはありません。
「あなた、嫌なこというね」くらい言える勇気を持てるといいですね。
そこで重要なのは、意地悪をする人、嫌なことをする人、言ってくる人に対しても毅然とした態度を取ることです。意地悪をする人々を無条件に受け入れたり、自分にも学びがあると自己反省や、自分を責めるのではなく、自分自身に「意地悪する人を受け入れなくても良い」という許可を脳に与えることが必要です。
人に親切にしなくてはいけないとか、好き嫌いしてはいけないとか、みんなと仲良くしなくてはいけないという社会的ルールは、きちんと守ってる人は、守っていない人にイライラしたり攻撃的になりやすいですね。
ほどよくゆるく、自分がそうしたいから人に親切にしている人は、人にイライラしたり攻撃的にはなりません。
この違いがわかりますか?
この考え方は、国と国との関係にも当てはまりますね。国際社会において、暴走する国と無理に仲良くしようとする必要はありません。毅然とした態度を取ることで、優しい国々が利用されるのを防ぎたいものです。
幼少期に競争からスタートした子供が、大人になって社会を担えばそのような社会になってしまうので、幼少期の教育から取り組むことが重要ですね。
「みんなと仲良くすること」は、ただ優しい人が歩み寄るだけではなく、意地悪をすることで誰も仲間に入れてくれなくなり、自分が困ることを小さい頃から学ぶことが大切です。意地悪をする人、嫌なことをする人、言っている人が悩まず、優しい人々が悩んでしまうような世の中では、優しい人が生きにくいですよね。
支配されない人生を築き、皆が幸せになれる世の中を望んでいます。
これからは、優しさだけでなく、毅然とした態度も重要です。
意地悪や自己主張、支配が許されない姿勢を持ちながら、真の調和を目指して、誰もが安心して楽しく暮らせることを望んでいます。
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