【短篇】ふしぎをふしぎと知るための距離
『ふしぎをふしぎと知るための距離』
これは、キリン。これは、ゾウ。これは、ライオン。
乾いた砂の上に描かれたものを、一つ一つ指さしては、クイズに答えるように玲玲がみなみに確認して、その都度みなみがころころと笑い声をあげる。風が吹くとあたりに散らばる紅葉がかさかさと流れていき、きんもくせいの香りがふわりとする。澄みきった青空は高く、雲間から漏れ出る午後の日差しが燦燦としている。
身支度をして、外に出て、歩いて、人と話して、そうして脈々としたリズムが生まれて、体の動かし方を少しずつ思い出していく。玲玲は日向の温もりに包まれると心地よくなって大きく伸びをした。すると凝り固まっていた全身に勢いよく血液が流れていき、そしてちょっとしためまいに襲われる。玲玲は開放的な公園の片隅に、ずきずきと痛む頭を抱えてしゃがみこんだ。それを見たみなみは、玲玲のすぐ隣にしゃがんで、玲玲の様子を覗きこむ。
「ちょっとは手伝ってくれてもいいじゃん」
藍斗は両手にいっぱいの枝を抱えて、玲玲とみなみがしゃがみこんでいる公園の、ゲートボール場になっている一角へ、不平を鳴らしながら歩いてくる。藍斗は靴底で砂をこするように歩くので、真っ白なスニーカーの側面に砂埃がついて、まだら模様になっている。
「焚火がしたいって言ったのは君でしょう」
みなみは玲玲の背中を心配そうにさすりながら、藍斗に向けて大きな声を張って、それから隣にいる玲玲に向けて小さく呟いた。
「大丈夫? リンちゃん」
「うん。大丈夫。なんでもないよ」
玲玲とみなみは立ち上がり、その足元の砂の動物たちの上に、藍斗が林から集めてきた枝を落とした。三人は出来上がった枯れ木の小山から画一に距離をとって、しばらくじいっとした時間が過ぎていく。
「じゃあ、やろうか」
折を見て、藍斗はそう言うとポケットからライターを取り出した。
「火は? 枝につくの?」
みなみは両手をコートのポケットに突っこんだまま、足元の砂を蹴り上げて小山にかける。ざらりと何かが溶けていくような音がした。
「落ち葉、集めないと」
玲玲が率先して動きだして、三人は散り散りになって落ち葉を拾い集めた。途切れ途切れに鳴く虫の声がやたらと耳について、玲玲は気を紛らわそうと視線を上げて藍斗に話しかけた。
「なんで焚火をしようと思ったの?」
「だって秋だもの」
藍斗は人一倍枯れ葉を集めて、枝の小山に敷き詰めている。
「そもそも、焚火ってしてもいいの? 公園で」
みなみは二、三枚の枯れ葉を拾ってから、入念に手を払い、再びコートのポケットに両手を入れた。「もういいよ、リンちゃん。たぶん」
「うん」
玲玲も拾った枯れ葉を持って小山まで戻ると、それを枝の隙間に差し込んだ。
「なんかさ、こうやって綺麗な紅葉を入れると、なんか華やぐね」
「そうかな?」
「そんなこともないか」
「そうだよ」
「まあさ、していいのかわからないけど、せっかくだからしようよ」
藍斗が再びライターを取り出して、火をつけようとしたけれど、何度かカチと着火しても、仄かな火はすぐに風に吹かれて消えてしまう。それを見たみなみは両手で藍斗の手元を囲み、火を守るようにした。
「ありがとう」
「いいえ」
「じゃあ」
藍斗がみなみの様子を気に留めながらゆっくりと、敷き詰められた枯れ葉に一枚ずつ火をつけていく。しかし、なかなか焚火らしくならず、枯れ葉は火を飲みこんで灰になってしまう。
「なんか、結婚式みたいだね」
玲玲は悪戦苦闘しながら火を育てようとしている二人の写真を撮って、それを見て何気なく呟いた。
「そうかな?」
「私、結婚式行ったことないからわからないかも」
「そうなの?」
「うん」
「でもさ、何かしらの儀式ではあるよね」
ぼそぼそと話していた藍斗の手先から、唐突に炎が燃え上がった。「あ、ついた」
「おおー」
みなみは藍斗の手元を覆っていた手をパチパチと叩いて感嘆の声をあげた。
「きれい」
あかりを煮詰めたような煌めきがぱあっと広がって、風に揺れている。三人は息を飲んでそれを見つめている。
しばらくすると炎の勢いは弱まってくる。それまで三人は一言も発さないでいる。
「そうだ」
玲玲が地べたに置いていた鞄から紙を取り出して、火の中に入れた。炎はそれをたちまち引き入れて、少しだけ勢いを取り戻す。「私、これいらないから」
「なに? それ」
みなみは玲玲に尋ねつつ、焚火を覗きこんで燃え尽きそうな紙の模様を確認すると、驚いたような声を上げた。「通知表じゃん」
「うん。なんか入ってた」
「なんか入ってたんだ」
「入ってた」
「びっくりした。いらないんだね」
「まあ」
玲玲は小首をかしげて、それから胸いっぱいに煙の匂いを吸い込んだ。「いらない」
「そっか。私は」
みなみも広場の隅のベンチの上に置いてあった鞄の底から水色の紙を取り出して、焚火の中に放り投げた。「これ燃やしちゃおう」
「それなに?」
「手紙」
「誰からの? もしくは自分で書いたの?」
「内緒」
みなみは口元を抑えて深く微笑んだ。「藍斗くんは?」
「ええ、なんもないかも。ああ」
藍斗は背負っていたリュックからスナック菓子の袋を取り出して開封した。「これかな」
「ええー、なんかつまんない」
「もったいなくない?」
「炙って食べようよ」
藍斗は袋から菓子を取り出すと焚火にさらした。じんわりと油が浮いて、黒い焦げ目がつく。両面に調理を施すと藍斗はそれを口に入れた。「おいしいよ」
「ふつうは焼き芋とかだよね。たぶん」
「でもいいじゃん。ほら食べてみなよ」
「ほんとだ。おいしい」
そんななんでもないような、ふしぎな、一瞬のことを秋になると思い出す。
(けむり)