脳性麻痺の子に取った3つの行動と大切な1つのこと
もし、あなたのお子さんが脳性麻痺で生まれたらどんな気持ちになりますか?
僕の次女が生まれて、障害があることを知ってから、
1つ目にやったことは、
毎日必死になって、
将来少しでも症状が軽くなる方法がないかと、
病院を訪ねたり、ネットで調べたり、
障害児の親の会へ入って、
情報を集め続けていました。
次女が2歳になったくらいでしょうか
イギリス発祥のフレインウェーブという
理学療法と作業療法が合わさった療法を
ネット見つけて興味を持ちました。
そして、
日本でその療法を紹介している
NPOに連絡を取ったんです。
すると、
ちょうど、近々イギリスから日本に来て
訓練指導を行う予定があることを知りました。
僕と嫁さんは、藁をも掴む気持ちで、
会場のある東京まで、
家族全員で車に乗って、学びに行きました。
それ以来、
それが2つ目に注力することになって、
一生懸命その訓練をやりました。
例えば、僕と嫁さんで、
次女の両足をもって、逆さ吊りにして、
ブランコのようにゆらゆら揺らしたり、
強制的にハイハイの動きをやったり、
筆を使って、顔や、手の平や甲に刺激を与えたり、
いろんなポーズをさせたりして、
神経を刺激し続けました。
まだ若かったばあちゃんにも、
手伝ってもらって、
家族総出でストイックにやりました。
それでも、2年ほどでギブアップ、
ある種の挫折感が残りました。
その後、次女が小学校に入るまで、
嫁さんだけが、ボイタ法という
別の理学療法を学んで、
こつこつ訓練し続けてくれました。
それでも、だんだん次女の体が大きくなると、
月一回の外来での訓練だけになり、
小学校に入学する頃には、
次女の成長を自然に任せる
そんな風になっていきました。
これが、3つ目にやったこととなのかもしれません。
次女のためには、
絶対に訓練をし続けなければならない、
最初は強い気持ちでいたはずでした。
でも、その思いだけでは結局続かなかった。
そもそも、結果が良くなっているのか、
悪くなっているのかさえ、
わからなかったからかもしれません。
それまでの記憶といえば、
大泣きしてばかりの次女の姿の方が、
たくさん脳裏に焼き付いています。
でもね、
小学校入学以降、
僕と嫁さんは、次女の成長が、
不思議とよく見えるようになりました。
だとしたら、
次女のために正解を探し続けて、
自分たちを追い込み続けていた、
あの時、あの瞬間、何を見ていたのか?
この子は普通になれるはずだ。
それは、将来次女に向けられる
他人の目を気にしてきただけ、
なのかもしれません。
目線を変える
あの時の次女のかわいさは、
今は写真でしか見れません。
今ようやく、
大切にすべき1つのことに気づきました。
将来のことだけをみるのではなく、
生きている、その瞬間も大切にする。
そんな生き方も、幸せな生き方ではないでしょうか。
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