他者とつむぎだす世界
上に引用したものは、物理学者の中谷宇吉郎(虚雷)と数学者の岡潔(海牛)による連句の一部です。
一人ではつくれない世界が生みだされる連句に興味をもちました。
最初の人がつくった575の句と次の人がつくった77の句の間(あいだ)におのずと何か「間(ま)」のような休符のようなものができて、そこに味わいの深まりがあるように思いました。ゆっくりと場面が展開していくような深みがあるように思います。
将棋やチェスの対局での駒の一つ一つの動きも相手との勝負のなかで生みだされてゆくもの。
小説『猫を抱いて象と泳ぐ』(小川洋子著)の主人公である、チェスを指す少年の言葉を引きます。
チェスは勝負だけれど、盤上で自分の駒と相手の駒とを響かせながら終わりに向かって一手一手すすませていくものだと知ったとき、何か芸術表現をしているもののように感じました。
私は将棋もチェスもやったことがなく、ルールもよくわからないのですが、駒の動きを記録した棋譜に詩や物語を読みとれる人に憧れます。
映画『三月のライオン』(原作 羽海野チカ 漫画『三月のライオン』)を観たときに、主人公の棋士が、他の棋士たちの対局の棋譜を読む中で、そこに一篇の冒険譚を読んでいるようだと表現する場面があり、将棋のことを勉強してみたくなりました。棋譜を読めるようになりたいなと思うこの頃です。