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睦月都 歌集『Dance with the invisibles』とても素敵です
今年初めて買って読んだ歌集、睦月都さんの『Dance with the invisibles』がとても良くてこの記事を書きたくなりました。
花山周子さんの装幀で、とても素敵な歌集で、持っているだけでも嬉しくなってしまいます。短歌作品も素晴らしくて、スプーンや窓辺、小鍋、砂糖、猫などなど、ごく普通の言葉がとても特別な存在感をもって短歌の中にあり、大きな世界を読者に見せてくれるように思います。現実的なことがモチーフになっていても、子どものころにおとぎ話にふれたときのような不思議な世界のように感じられて、睦月さんの短歌によってつくりだされた世界の雰囲気が好きになりました。すごく魅力的な歌集です。その中から私がいいなと思った作品をいくつか紹介したいと思います。
花提げてゆく妹の影ひとつわれの日傘の影に入れたり
妹を直接、自分の日傘に入れるのではなく、妹の影を自分が持っている日傘の影の中に入れるという行為によって現実の世界とは別の世界がつくりだされているようでおもしろく、影の世界を操っているような雰囲気もいい。
ゆふぐれの小鍋に落とす三月の三温糖の小さじ一杯
小鍋に小さじ一杯の砂糖を入れるという情景が、「ゆふぐれの小鍋」、「三月の三温糖」と表現されることで、とても優美な世界が映しだされてくる。小鍋がただの小鍋ではなくなる、三温糖が砂糖としての三温糖ではなくなるような、そんなふうに言葉がそのものを意味するものとしての言葉をこえてゆくことが短歌の詩情というものなのかなと教えてもらった。
いつか小さなアパートになつて冬の日の窓辺にあなたの椅子を置きたい
自分が小さなアパートになって、あなたのための椅子を置いて、それごと包み込んであげたいという発想に惹かれる。「冬の日の窓辺」、そこがもう温かな場所のように想像される。
ひと冬に少女が費やす砂糖菓子を煮詰めたやうな香水をもらふ
心臓に部屋がいくつもあることの それも光の当たらぬ部屋の
雨音のまどろみのなかを抱きよせて猫とは毎朝届く花束
上の3首はそれぞれ喩えがおもしろいなと思った歌。1首目はものすごく甘い香りが漂ってくる。2首目は人間や生き物は光の当たらない部屋をもっているのだという発見がおもしろい。3首目は猫を花束に喩えていて、なるほどなと思った。花束を差し出されたら大切に抱えるし嬉しくなるなあと。
霜月の森に入れば甘い匂い いづれ会ふまでの時間を歩く
とまり木にとりどりの鳥、鳥は鳥の骨格通り羽を広げる
そっと手にかければ脆くくづれゆく優しい秘密主義者のミルフィーユ
雨に濡れた落ち葉が道をあかるくする坂のないまちをあなたとあるく
女の子と夜遊びしたい ともしびに小さな煙草の火を分けあつて
1首目の「いづれ会ふまでの時間を歩く」、2首目の「鳥は鳥の骨格通り羽を広げる」、3首目の「秘密主義者のミルフィーユ」、4首目の「雨に濡れた落ち葉が道をあかるくする」という表現に惹かれた。2首目の歌には「とり」の音が繰り返されているのもおもしろい。
5首目の「女の子と夜遊びしたい」にドキリとするけれど、「ともしびに小さな煙草の火を分けあつて」と続き、なぜだかわからないけれど惹かれる魅力がある。
作品の紹介は以上です。
お読みくださり、ありがとうございました。