「いい感じ♡」の「♡」に込められた殺意
いい感じ♡なことが世の中には多すぎる。
いい感じ♡とは、私の高校時代の数学教師(人生においての大恩師)の名言なのだが、何か嫌なことや辛いことがあったときや、「はぁ?」って思った瞬間に「いい感じ♡」と心の中で唱えるとちょっと楽になるよ、という訓である。「いい感じ」ではなく「いい感じ♡」である。「♡」が大切なのだそうだ。
「いい感じ♡」と唱えながら「殺す」と思うと効果的らしい。「○ね」ではなく「殺す」なのが自発的で、とても恩師らしい。
(この恩師はめちゃくちゃ変わり者でエピソードがたくさんあるので、これからnoteにちょくちょく書いていこうと思っている)
小学生の同級生(くそ嫌いな人)と職場で再会した(その人は最近辞めていった)のも、「いい感じ♡」。
電車から降りてくる人が多すぎて電車を一本逃したのも「いい感じ♡」。
電話で変な客をひいてしまって、営業終了時間30分前に「今すぐ来てくれ」って言われて無理ですと答えたら「いいから来いって言ってんの!分かんない?!あなたバカですか?!」と言われたのも「いい感じ♡」。
電車で鞄振り回しババアに遭遇して、私と背中合わせになって鞄を振り回していたババアがあまりにも振り回すのでもう面倒すぎて身体ごとババアの方に反転した途端、鞄振り回しババアが後ろ(私の方)を振り返ったときにびっくりされて、その途端にオドオドし始めて鞄振り回さないババアに変わったのも「いい感じ♡」。
買おうと思っていたアイスが売り切れていて、泣く泣く別のアイスを買って帰ったのも「いい感じ♡」。
水筒のパッキンを付け忘れて鞄の中でお茶が漏れていたのも「いい感じ♡」。
酒飲み過ぎてお腹が死んで瀕死で仕事したのも「いい感じ♡」。
教えてもらってないことを教えたと思い込まれて語調強めに「教えたよね?(暗黒微笑)」って言われたのも「いい感じ♡」。
カラオケで某アーティストのコメントが流れていて、それを録画している最中に「(ノック音)失礼しまーす!こちらドリンクです〜!」と店員さんが来たのも「いい感じ♡」。(ドリンクありがとうではある)
職場の例のババアがちょっとしたきっかけで人が変わったように優しくなったのは本当に怖すぎて「いい感じ♡」(人が変ったように突然優しくなるのがこの世の人間の中で私的には一番怖い存在)。
色んな「いい感じ♡」なことが生きていると多々ある。「いい感じ♡」と思うことのキャパシティは人それぞれ違うので、人それぞれ自分の「いい感じ♡」があっていいと思う。
その人の辛さや耐えられる容量は当人にしか分からないし。
それもあって「頑張って!」という言葉を誰かから言われるのも、自分が誰かに対して発するのも苦手だ。
その人はその人の限界値まで既に頑張っているかもしれない。私の発した「頑張って」の一言がその人を追い詰めてしまったらどうしよう、と思ってしまう。なので代わりに「応援してる!」というようにしている。
同じように「あけましておめでとうございます」も言わないようにしている。「あけましておめでとうございます」ではない出来事があったかもしれない。人に言わないだけで身近な人が亡くなっているかもしれない。私は祖母が亡くなったときに友人たちにそのことを言ってなかったので普通に「あけましておめでとう!」とLINEが来て、「あけましておめでとう」のダメージを受けた。
「あけましておめでとう」の代わりに「去年はありがとう!今年もよろしく!」にしている。
「いい感じ♡」な出来事がたくさんあるけど、なんとかやり過ごして「いい感じ♡」の「♡」を大切にして生きていこうと思った。
そんな夏でした。(過去形なあたり、もう夏終わってくれという気持ちが溢れています)