8月22日の彼女
構成作家、動画制作業をしているFANさんと、
楽曲制作、デザイン業をしている千代園るるさんが、
大喜利の場で出会って組んだ 8月22日の彼女。
既存の男女お笑いコンビでは、あまり見た事がないような雰囲気というか、2人に隣接してるカルチャーや嗜好してるファッションなど含めて、提示される面白さに妙な生暖かい感触を覚えるのが魅力だと感じています。
FANさんのやや籠もった声質で聴き手を自動的に引き込む低音から繰り出される 大喜利の回答やネタの設定は、突飛で分裂的でありながらも何故かどこか親近性を感じさせます。
しかも、
それが分かりやすい安心感や身内感というよりも、
等身大のグロテスクさというか
同族に対しての心の距離というか
整理された上での狂気というか
なんかそういう自意識を俯瞰した時に生じるザワッとするような気持ち悪さをも脳のいち情報として処理して一口サイズの発想に施して笑ってしまえるインテリジェンスとフェティシズムを融合させた骨太さがあるように思えます。
そして、
千代園さんのハッキリと聞き取りやすく芯のある声質でありながら、どこか常に若干上擦り気味の口調が耳に残り、それが所作なども込みでトークやコントの中の登場人物にある種の無垢性を散りばめながら観衆の興味を引っ張り続けていると感じています。
ただ、
それがいわゆる昔ながらのアイドル的な天然感や透明感と言うよりも、
少しばかり不安定なメンタリティっぽさ
表層の隙間から薄く漏れるアンニュイさ
愛想笑いにも取れる間を埋めるテンポの良さ
そういう感じのグラついたバランスのまま保たれた均衡なのではないか と受け手に勝手に捉えさせる、大人びたあどけなさと崩れきったあとのような儚さを纏った不思議な愛嬌が空気として漂ってる気がします。
そういった、いわば繊細さと大胆さの割合に独特な混ざりがある2人が組み合わさる事で、偏執的で変態的な面白さが出来上がっているのではないでしょうか。
通常なら描き紡げない朧げなニュアンス、公然では掘り下げきれない生々しいポイント、そういった心理的機微や抽象性の高い感覚をお笑いという俗物表現に落とし込めてるいち成功例だと感じています。
FANさんのボソボソとした喋りから醸し出るなんとも言えないカリスマ性と、
千代園さんの控えめだけど巻き込み的に注目度を集めるシャーマン性は、
なぜか信仰と忠誠という言葉が似合います。
両者共に実はツッコミ気質だと感じてて、
その醍醐味はオリエンタルラジオやPOISON GIRL BANDとかと近い、積み上げ式でグルーヴを作った先にある抜け感だと思っています。
普段は落ち着いているFANさんがネタなどで、何かの対象について独自視点の言及台詞を重ね続け段々とボルテージを上げてそれがピークに達した時、それに千代園さんが空を切るような金切り声を発して場が包まれてゆく。その瞬間に、謎の爽快感を覚えました。