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「恨ミーナ」は私から生まれた

義母と義叔母が心配して会いにきてくれた。こういう気遣いがありがたい。そして話していて分かったこと。

実家に逃げた夫を、事前に頼んだ通り、上げ膳据え膳ふんぞりかえるまで甘やかしてくれて、これは頼んでないけど酒まで飲ませて寝かせてくれたと。

酒まで、というサービス精神満点すぎる女将さん仕事が、夫を甘やかして私に苦労をかけている、と恨めしく思った。

そして、義母は言った。

あの子はもう、もう直らんわ。なんもさせずに育ってきたから。

それを聞いた義叔母は、私の言い分をよく理解してくれているので、まずい!という表情をして義母を牽制しようと視線を送ったが、私はその視線だけで十分だった。義母は息子を愛し、悪気はなく、そしてそれが真実だから。

そう、直らない。

気質も性格も行動も、40年もきてたら直らない。

臨月の妻を置いて、何がリフレッシュ?と、作り笑顔の裏でまた「恨ミーナ」と「皮肉リーナ」が顔を出す。昨日酒を飲む間に陣痛がきたら、どうするつもりだったの?コロナの影響で、登録してある夫以外は病院には入れない。酔っ払いで親に運転してもらい、病院に来るつもりだったのか?常識がない。これは本当に、常識がない。


でも、酒を飲んでいなくとも、私は夫を恨んで皮肉を言っただろう。臨月の妻をいたわらなかったから?不要不急の仕事に向かい、私から逃げたから?

私はそもそも、何にこれほど恨みを抱いているのか。何をこんなにズルいと感じているのか

突き詰めると、それは、自分にはない環境に抱く不満だろう。

私には里帰りする家がない。実母はとっくに死に、実父は全てを失って、今では金の無心しかしてこない。幸せな環境だった幼少期と、苛酷だった思春期以降、私の人生は反転した。

私こそ、かつては「逃げ癖」のひどい子供だったのだ。ピアノの練習をしてないのにしたという、公文の宿題を大量に溜め込む、片付けはしない。しかも神経質な子供で、幼児の頃から不都合があると「死にたい」と口に出す病的な一面のある子供だった。それでも、私を責めず、言い訳を聞いてくれる母がいて、逃がしてもらえる環境が私にもあったのだ。私は幸せだった。

17才で母が死んでから、生きるために必死で料理を覚えたが、掃除と洗濯は大嫌いだった。なぜ、私がしなければならないの?仕事の受注が無くなり、毎月多額の赤字を出すしかない父は、仕事をたたみ、仕事を変えて家事をすれば良かったのだ。私は大学受験を控えていた。私は自分の未来をつなぎたかった。父に引き摺り下ろされたくなかった。

経済的な虐待を受けながらの大学生活。多額の奨学金は仕送りに消え、バイト代で生活費をまかなった。授業料は免除がかかったが、後半はリーマンショックの影響で対象者を増やすため、半額しか出なくなった。最後、私の授業料は父のパチンコに消え、今の夫にお金を借りることになった。感謝しつつ、真面目に苦学生をしていただけの私が被害を被ることが屈辱だった。(新婚旅行のお金を私が払うことで、かなり大幅にお返しできたが、それまでに何年もかかった。)

就活のお金もなく非正規雇用で働き始めてから、さらなるどん底があった。実家を失った父を一年間自分のアパートに住まわせ、働きながら実家のローンと自分の生活と父の世話をした時期が、人生最悪の時期だった。全財産は1000円を切った。その頃に試験に受かり今の職に就いたが、父が言い放った『俺があの時発破をかけたおかげでお前は前進した』という言葉。生きる気力を極限まで吸い取った上で私を罵った、恩着せがましいあの一言。私は『こいつは心底ダメな人間だった』と確信した。

以後、心理的にも経済的にも虐待を受けていた、という客観視ができるようになり、何年もかけて私は父を精神的に『切る』ことができた。二度と、人生どん底のあの頃には戻りたくない。

そんな私の環境に、逃げ場なんてなかったのだ。どれだけ高い壁も、どれだけ多くのハードルも、生きるために越えるか越えられないかの2択しかなかった。だから、私は耐えて忍んで戦った。他人が易々と触れている人生の豊かな経験に手が届かず、チャンスを逃したり悔しい思いもした。今の私があるのは、逃げられない環境で自分を叩き上げた時期があるからだ。

10年かけて築いてきた社会人としてのスキルや自尊心を、やっと自分自身で認められるようになったので忘れていたけれど、やっと思い出した。私は長い間、幸せな環境を失って悲しみ、幸せな環境の他人を酷く恨み羨んでいたのだ。だから、目の前で私から逃げる夫がズルいと感じ、執拗に追いかける。

皮肉なことに、仕事では「逃げ場があるなら逃げてもいい。あなたは頑張っている。ただし、戦う時期とポイントはここよ。」なんて偉そうに言っているし、それなりの信頼も得ている。けれど、夫にその美辞麗句は使う気はひとつもなかった。

夫は自分と同じ苦労をするべきだ、なぜなら私が苦労をしてきたから。「逃げ癖」でかわそうなんて甘い。吐くほど苦労し、成長せよ。それこそ人生を共に歩むということ。

成長を期待する、という言葉の裏で、死なば諸共、といった呪縛をかける勢いがあるかもしれない。

逃げ癖が成長を逃すことは間違いないと確信しているが、その正論で夫を『みじん切り』にする勢いには異常さがあるかもしれない。そりゃ、こわくて逃げ出すかもしれない。

けれど、現実には出産を終えて育児が始まっても環境の差は埋まらない。

なぜ私だけ痛い思いをして産まないといけないの?なぜ私だけ産んだ後も痛くて辛い思いをしないといけないの?なぜ私だけ逃げ場がないの?なぜ私だけ仕事と家事と育児を担わないといけないの?

私は逃げ場がなかったしこれからもないのに、あなただけ逃げるのは許せない。

すべてはこの一言に尽きる。私の中の「恨ミーナ」は、ここから生まれている。


さて。

今日も夫は仕事で帰らない。今日も実家で甘やかされる予定だ。明日は帰ってきて今後のことを話す約束している。

私はまた、過去の自分の不幸を乗り越えられず、恨み辛みをぶつけてしまうのだろうか。

話し合い=お前の言い分が通る、だからもう先に決めて従うわ、という、責任転嫁スタンスを確立している夫は、また逃げるかもしれない。腹立たしいが、こちらが先に折れなければ逃げる可能性は高い。

私は夫が不満を言えば、謝らないといけない。私の執念が、夫を怖がらせているのだから。

臨月なのに、私だけ痛い思いをして出産するのに、謝って産まないといけないの?謝らないと優しくいたわってもらえないの?もうすぐ産まれるのに?

また、論点が混在しそうになる。涙が出る。

これが出産間近でなく、普通の時ならよかったのに。対等な関係になれるのに。

本当なら、今は私が労ってもらえる唯一の時期なのに。




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