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1.17 あの日のこと
今日は1月17日。
30年前の早朝5時46分。
後に「阪神・淡路大震災」と名付けられる大地震が発生した。
私はその時 26歳。
当時は神戸市のすぐ隣の市に住んでいた。
その日はたまたま早起きする予定があったので、5時半頃から電気とテレビをつけて、ベッドの中で「そろそろ起きよかなぁ……」なんて思いつつ、まどろんでいた。
突然、部屋の隅っこがミシミシと大きな音を立てた。
ん?と思う間もなく、凄い揺れに襲われた。
テレビと電気が一瞬で消えた。
真っ暗な部屋の中で、本棚の本がザザーッと落ちている音がした。
え?
……地震?
それまで生きてきて、そんなに大きい地震を経験した事が無かったので、地震かどうかもよく分からなかった。
スマホなんか無い時代。
何がどうなっているのか意味が分からないまま、家族と一緒にとりあえず外に出た。
目に付いた乾電池式のラジオを持って。
近所の小さな公園に、ぽろぽろと人が集まっていた。
ガス臭かった。
そこでラジオを聞いて初めてわかった。
神戸~西宮辺りで大きな地震があったらしい、と。
そして阪神高速が倒れている、と。
遠くに煙が上がっている所が見えた。
それから数日間、家の前にある小学校の体育館で寝泊まりした。
床が固くて寒くて狭くて、「寝る」というよりは「沢山の人と一緒にいる」為に居たような感じだった。
家に居ると、いつ天井が落ちてくるのか分からない。
次に揺れたら潰れるかもしれない。
そんな恐怖から逃れる為に、頑丈そうな体育館に居たのだった。
そんな体育館でも、余震で天井の大きな照明器具が揺れる度に、あちこちから悲鳴が上がった。
怖かった。
これからどうなるのか?
なんて考える余裕はなくて、とりあえずその日その時を生きていた。
体育館に避難していた時に、和歌山からおにぎりが届いた事があった。
和歌山のどんな団体の方が作ってくれて、どうやって届いたのか分からないけど、すごくありがたかった事を今でも覚えている。
あの時におにぎりを作ってくれたみなさん、本当にありがとうございました。
お礼を言いたいとずっと思っているけど、誰に言うたらええのか分からんので(笑)、ここで言わせてもらう。
あと、袋に入った菓子パンが来た時もあって、私は母とジャムパンを分け合って食べたのだが、そのジャムパンがめちゃくちゃ美味しかった!
(今思うとそれは山崎パンさんだったのかな)。
ありがとう。ごちそうさまでした。
あれから30年経って、街はきれいになった。
嘘みたいやな、震災があったなんて。
でも、経験した人は絶対に忘れない。
あの時の絶望感と、あの時の感謝の気持ち、この両方を。
今日はこれから東遊園地に行って来ます。
6,434人の方々が生きられなかった今を、私が生かされている事にどんな意味があるのか。
普段はうっかり忘れてしまいがちやけど、年に一回、1月17日だけでも考えるようにしている。
答えは出ないけど。