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長崎の空の下で(後半)

二十六聖人記念館のある丘にたどり着いたとき、それまで降っていた雨が止み、どんよりした黒い雲を切り裂くように陽の光が差し込んできた。西坂にあるその丘は、豊臣秀吉のバテレン追放令によって多くのキリスト教徒が殉教した場所であり、遠藤周作も度々訪れている。

はじめて、この西坂の丘にのぼった時はちょうど黒い雨雲がちぎれちぎれに、向うの湾の上を流れている夕暮れだった。その雨雲を見つめながら、私はながい間、丘が自分に引っかけてくるもの――これら信念の人のことを考えた。

遠藤周作『切支丹の里』、東京:中央公論新社、2016年、19頁。

遠藤周作が立ったであろう丘に自分も立ち、彼が眺めたであろう空を眺めていると、彼がそうしたように意識が段々と過去へと引っ張られていった。
ここに連れてこられた宣教師や切支丹。処刑した役人。そして、その光景を眺めていたであろう長崎の人々。彼らがかつて見上げたであろう空、流れゆく雲、雲の合間から差し込む陽の光。自分の感覚が、かつて過ごしたであろう人々の感覚をなぞってゆく。

処刑を見ている群衆の中には、暴力によって自分の信念を歪めた人もいたことだろう。
その人は生き地獄を目にして、いったい何を考えたのだろうか。悲惨な現実から目を背けたのだろうか、自身の選択を恥じたのだろうか、それとも密かに信念を持ち続けたのだろうか――今、自分には、想像することしかできない。

弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。沈黙の灰のなかに埋められた。だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。(中略)彼等をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくことは――それは文学者だけができることであり、文学とはまた、そういうものだと言う気がしたのである。

同上、30~31頁。

西坂の丘で過ごした時間は永遠のようであり、数多くの人々の思いが自分の中を去来しているのを感じた。ただ、それでもなお、未だに出会えていない人たちが沢山いることだろう。見落としている人たちも沢山いるだろう。そして自分自身にも、未だに知らない部分、見えていない部分が沢山あるに違いない。

しかし今は、それが何かという答えを出さないでおきたい。
割り切れていないものに対してその答えを急ぐと、知らず知らずのうちに自らが持っている偏見や固定観念を押し付ける可能性がある。そしてそんな偏見や固定観念は、わからないものを覆い隠し、自らの思い込みで塗りつぶしてしまう。

自分から見えないものは必ずある。見えないことで苦労することもある。
しかし、たとえそうであっても、自らの言葉で想像し、自らの言葉で寄り添っていくこと。長い時間をかけて自分の言葉を紡ぎ出すこと。そうすればわからないなりにも、何かが現れてくるのではないだろうか。

長崎で過ごした残りの時間は、ただひたすらに、これらのことを考えていた。


長崎は時間と場所を超えて何かが行き交っている場所だった。この土地に来て多くのものに出会った先人たち。この空の下で時を過ごした彼らの思いは、変わらぬ長崎の空だけが知っている。

そんな長崎で、先人たちに思いを馳せた遠藤周作。彼のようにはなれないかもしれないが、この世界で生きる一人として、人に寄り添える優しさ、そしてそのための言葉だけは最後まで持ち続けていよう。


遠藤周作文学館にも訪れた。ちょうど遠藤周作が好きだったコスモスの季節だった。
遠藤周作文学館から海を眺めて。右に見えるのは『沈黙』の舞台ともなった外海地区。

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