メイ子

もうすぐ44歳の壁に差し掛かかります。全くの初心者がデザインスクールを去年卒業し、現在は運営のお手伝いなどもさせて頂いております。40代で初心者でもトライすれば夢は叶うと身を持って痛感しています。私の過去の体験なども交えて皆さまに発信できたらと思います。夢は自伝本を出版すること。

メイ子

もうすぐ44歳の壁に差し掛かかります。全くの初心者がデザインスクールを去年卒業し、現在は運営のお手伝いなどもさせて頂いております。40代で初心者でもトライすれば夢は叶うと身を持って痛感しています。私の過去の体験なども交えて皆さまに発信できたらと思います。夢は自伝本を出版すること。

最近の記事

  • 固定された記事

43歳PC知識ほぼゼロがデザインスクールに入会。1年後運営の仕事をお手伝いできるまで。8ヶ月間のツイート記録

去年の2月21日スタート! デザインスクールに入り、今日の積み上げという課題でTwitterをはじめるきっかけになりました。が、したことないし、おばちゃんやし、、、で、一回投稿して放置しちゃいましたw スクールの勉強に挫折しかけた6月に戒めとして再会。 はじめてリツイートされてめっちゃくちゃ嬉しかった。 1ヶ月後ぐらいから、歯磨きする感覚でツイートするのが日課になっていった。 少しずつフォロワーさんも増えていいねも増えてきました。 バナーのご依頼を初めて頂いた喜びツイ

    • 母。

      私の母のお話。 昭和33年。私の母は愛媛県の山奥の5人兄弟の長女として生まれた。 母の幼少期は明るい人見知り。 知らない人とは喋れないけど、仲良くなった途端に機関銃のように明るく振るまうタイプの子供だったらしい。 母はよく母の母、つまり祖母にかまって欲しくて、当時がむしゃらに働いていた祖母にわざとお漏らししたり、泣いたり、とにかく甘えることが下手くそな子供だった。 中学を卒業すると集団就職で大阪に上京した。そこでは主にテレビを作る流れ作業で母は身体は小さいが、田舎育ちの

      • いおりくん。最終回

        結局のところいおりくんの恋は片思いで終わった。 あれから10年が過ぎましたが未だにいおりくんは心の中に強く残っている一人になっています。 もう会うことは一生ないと思っていたけど、最近すごく彼と連絡を取りたい衝動にかられている。なぜだかわからない。。 もし、運命的に連絡が取れることができたら、真っ先に伝えたいことがある。 いおりくんのおかげで今の私がいるよって。完

        • いおりくん。

          バンドサークルでは定期的にライブや飲み会が開催されていて、私は近所と赴任は決まっていたが、まだ先の勤務ということで結構ひんぱんに顔を出していた。いおりくんも一人が寂しいのか、よく来ていて、会えば必ず隣に座っておしゃべりするのが当たり前になっていた。 いおりくんは、早稲田大学卒業しといて本当は美大に行きたかった、それで人生挫折したと嘆いてインドに行き、我がを取り戻して帰ってきたという変わった子で、イケメンじゃなかったら冷め切ってるなと思いながらも、やはりどんどん惹かれていった

        • 固定された記事

        43歳PC知識ほぼゼロがデザインスクールに入会。1年後運営の仕事をお手伝いできるまで。8ヶ月間のツイート記録

          いおりくん。

          ますます虜になっていた私は、毎日がこんなにもキラキラしているのかと、当時33歳、不妊治療を一旦お休みしていた時期ではあったので、彼のおかげで救われる気持ちでした。 ボイストレーナーとして頑張っていく決意もして、無事に神戸のスクールに赴任も決まり、これも彼のおかげだと、この時の私はすっかり浮かれ気分ハッピー野郎状態でした。 いおりくんと仲良くなるのに時間はかかりませんでした。 若い時の名称が、合コンで狙った獲物は100%落とす女。決して可愛くないのに何故かイケメンの彼氏が

          いおりくん。

          いおりくん。

          私は現在43歳、結婚して16年になる。その間にここだけの話し(公開しているが、、)ほかの男性に恋をしていた。 もともと恋愛体質な性格で、昔からポーっとなりやすい傾向にあるので、珍しくない現象ではあるのですが、結婚してから恋をすることは現在も過去にもこれひとつだ。 今から10年前、私はボイストレーナーとして活動していこうと決め、勉強のため近所のバンドサークルに入会して、それなりに楽しんでいた。 バンドやってる奴は手ぐせが悪いと言うのは正反対で、みんなとても紳士的な方でごく

          いおりくん。

          時はすぎる。

          私の小学生時代の唯一こころを通わせれた友人のはなし。彼女はとにかく体の大きい人で、小4からビールで髪を染め腰の辺りまである長さの髪の毛をツインテールにしたりポニーテールにしたりして、とてもおしゃれが大好きな人でした。 彼女はとても器用な人で絵もゲームもエレクトーンだって独学で両手弾き。運動神経なんてその辺のガリガリ女子より素早く動けていました。 私の憧れる女性の一番さいしょは彼女だったかもしれません。 少し一般の小学生とかけ離れている彼女はよく、いじめられていました。

          時はすぎる。

          初恋。

          私の初恋は小学3年生のときのクラス替えから始まっていた。 ほぼ一目惚れだった。 theモテ三拍子という男子で、クラス全員いや学年全員好きになるであろうの最高男子が私の隣の席になったのである。 初めてのドキドキに動揺しながら、とにかく冷静を保つのに毎日必死だった。 最高男子は、とにかく爽やかな笑顔でたまに喋りかけてくれた。「宿題した?」とか「今日の給食楽しみや!」とか、、、 その度に、私はまだ幼い頭で死んでもいいとさえ思っていた。 放課後女グループで最高男子の椅子に座った

          クレープ食べたかった。

          父と母は若い時は今でいうヤンパパ、ヤンママ(こんなん言わないか、、) 休みの日の月2回はパチンコに行くのが習慣になっていました。 もちろん幼い子供を留守番させるわけにはいかないので当時9歳と3歳の私たち姉妹は近くのニチイでゲームしたりして時間を潰していました。 今はコンプライアンスに引っかかるのかな。 妹はクレープが食べたいというので買いに行くと、そこに見知らぬおじさんの視線。なんとなく怖さを感じ、私は後で食べようと袋に入れてもらったが、3歳の妹は我慢できるわけもなくすぐに

          クレープ食べたかった。

          赤ちゃん。

          私には6歳としの離れた妹がいます。 6歳までわがまま放題で好き勝手やってきたので、突然赤ちゃんがやってきて、家族がそちらに目を向けるのが嫌で、こちらに目を向けるためにあらゆる手段で構ってもらえる工夫をしていましたが、それでも赤ちゃんが泣き出したら、そちらに行ってしまう。。 私はこっそり赤ちゃんに向かって、「お前は〇〇の子や。」と名前は忘れましたが、とにかく他人の子供と暗示をかけていました。 泣き出すと、『赤ちゃん泣いてる!!』決して名前は言わない。 今から思うとよく妹は健

          赤ちゃん。

          おはぐろ。

          私は歯を磨く習慣が身についておらず、常に虫歯だらけだった。小学一年生の時にはほぼ虫歯だらけで、笑うと真っ黒い歯が見えるので、あまり笑わないようにしていた。 だからなのか、すごく無愛想に思われていて、友達が中々できなかった。 歯医者も大嫌いなうえ、歯も磨かない、虫歯は治らない、笑えない、 友達ができない、、この無限ループから抜け出せたのは、学校に定期的に来ていた歯医者さん。 口を開けると「これはすごい!!」と絶叫された。 「eカリエスcカリエス6カリエス。。」後からカリエス

          おはぐろ。

          英子ちゃん。

          保育園のときの唯一の友達の英子ちゃん。 結構かわった子供で、お弁当の時間、口の中にいっぱいおかずを入れて噛み砕いたものを口を大きく開けて私にみせたり、滑り台ですべってくる男の子に下から砂をかけたり。。 はっきり言って、性格のわるい英子ちゃんは皆んなから嫌われていました。 でも何故かわたしはそんな英子ちゃんの後ろをいつも追っかけていました。 ある日英子ちゃんが丸めた折り紙を私にだまって差し出しました。 きほん、英子ちゃんはあまり喋らない子だったので、あまり気にせずに私はその

          英子ちゃん。

          壁がお友達。

          わたしはすごく引っ込み思案な子供で、保育園や団地の子供達とも中々溶け込めなかった。 和室に一人こもって、壁に向かってよくベラベラ喋っていた。 唯一遊んでくれていたシンヤくん、アスカちゃん、英子ちゃんとは腹から笑ってよく喧嘩もした。 シンヤくんはとても体が大きい子だったので、よく投げられたりしたけど、私はそれでも泣きながら立ち向かっていった。 投げられても投げられても私は負けなかった。アスカちゃんが見かねて止めに入った頃は、泥だらけで少しパンツも破けていた。 母がそんな私

          壁がお友達。

          3歳の頃の記憶。

          現在わたしは43歳ですが、今から40年前、おそらく3歳だとおもいますが少し記憶が残っています。昔団地に住んでいて、母は団地仲間とよく宴をしていました。3歳のわたしは母が団地おやじからセクハラを受けているのを何となく察知し、母の手を握るおやじの手をよく噛みついていました。 オヤジはそんな3歳児をかわいいなぁと笑っていましたが、私はとにかく必死で母の手を握るオヤジを何とかしたい気持ちでいっぱいでした。 おそらく3歳の頃の記憶はこれだけだと思いますが、わたしのヤキモチ焼きはここ

          3歳の頃の記憶。