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2020年までを振り返る①

もうすぐ今年が終わる。2020年は自分にとってゴールに設定した年だった。理由は1920年にはじまった箱根駅伝からちょうど百年の節目だったからだ。『駅伝文化を生み出した日本人初の近代五輪走者 金栗四三が果たせなかったアメリカ横断駅伝の夢を果たす』

2010年に24時間走で世界タイトルを獲得してからは、より一層その浪漫に天命を感じもした。自分と同じく1980年に生まれ、2000年に成人式を迎えた同年代には、10年単位の節目に拘りを持つ人は多い気がする。
例えば、キンコン西野亮廣さんもその1人だと感じる。

壮大なタスキリレーに浪漫を感じ、仲間集めに動き出したのが4年前だった。その舞台として、金栗四三が99年前に日本で初めておこなった駅伝をオマージュした特別大会「東海道ウルトラマラニック」を見つけだした。

『アメリカ横断駅伝に繋げられる走者を必ず集めてみせるから、ゲストチームとして大会に関わらせて欲しい』

その提案に説得力を生むためにも、自分は台湾横断246kmレースを公言優勝し、自らが現役のトップ選手であることを示した。大会実行委員長の杉村「晋吾」さんと井上「真悟」が同じくサハラ砂漠マラソン2年連続日本人1位の実績を持つランナーだったことも、この試みに運命を感じさせる要因になっていたかと思う

そして、100km元世界王者 中台慎二、100km歴代世界ランク2位 板垣辰矢、原良和、石川佳彦、楠瀬佑子、外池快太郎、楢木十士郎、小谷修平、古北隆久ら日本代表クラスのウルトラランナーと台湾ウルトラランナーズ協会から推薦派遣された鄭揚展、周青ら壮々たるメンバーでの2チーム対抗550kmタスキリレーを実現させた。

当時 その意義を世間へ周知させるPR活動には自分の力不足が多々あった。そのことは、悔しい

それでも、バラバラに生きてきた選手達を一堂に集め、ライバルとして競うのではなく仲間としてタスキを繋いだことには、意味はあった。

その後、このメンバーの中から世界選手権への切符を勝ち取り、日本代表選手として、大舞台の表彰台に立った選手が決して少なくはなかったからだ。

2020年の今、自分はめざしてきた「アメリカ横断駅伝」を実現させることはできていない。

それでも、この東海道駅伝があったからこそ、自分は2017年にGARMINスポンサードによる台湾一周1000km駅伝を実現させることは、できた。

自分が一連の「駅伝」で実現させたかった、児童養護施設への支援活動は、できた。

昨年、自分は最後の世界選手権を大敗し、競技人生を引退した。

いまコーチとしての自分のもとに野心あるウルトラランナーが集まってくれている。

自分のやってきたことは無駄にはならないと信じている

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