村上春樹とchatGPTと私。
明日でちょうどオーディオブックサブスクのaudibleに入会して2ヶ月になる。つまり、この2ヶ月間はお得なキャンペーン価格99円で名作が聴きまくれた訳だけど、今夜0時を過ぎると来月分の月額1500円が発生する。で、そうなる前に辞めちゃおうと思ってる。つまり、audible的には一番ヤなお客さまなのでしょう。わたくしは。
しかしコレは自分の読書モチベに関する大切な判断である。そもそも本というものは「書店で立ち読みするとワクワクするが、購入すると満足してあんま読まなくなる製品」な気がしてる。が、『本は立ち読みが効果的!』と主張するビジネス本には未だかつて出会ったことがない。書店ビジネスの構造上あたりまえだけど。で、kindleやaudibleがちょくちょくやる「○○ヶ月間99円キャンペーン」は言うなればコレらのサブスクのお試し、つまり書店で言うところの「立ち読み」的なことなのだと思うのだけど、期限の終わりを自覚するからこそ集中力を発揮できるのも人間の性質なのです。で、今朝までに村上春樹長編を4作もたいあげることできたのでお腹いっぱい。満足。しばらくは各作品の洋書ver.を図書館で借りてきて一作ずつ味わい直す楽しみ方をします。
で、とりあえず「海辺のカフカ」を日本語音声と洋書で。「1Q84」と「ねじまき鳥クロニクル」を日本語音声で味わってみての村上春樹作品への感想は… この人の作品全般、正直なんのこっちゃわけワカメだなぁ…です!でも、それが何故か面白い。もしかしたら、それはスマホ以前の時代に書かれたコレらの小説を令和のいま読んでいるからこその感覚なのかもしれないし、自分が思春期をとうにすぎたおっさんだからこそ感じられるギャップなのかもしれない。または無教養ゆえかもしれない。で、何やら難解なことを突拍子もないストーリー展開で語っていながらも、使ってる言葉そのものはあまり難しくないので洋書多読のテキストとしては最適なのである。
こういう行間を味わわせる文章は、chatGPTには書けないだろうか?と問えば、答えは「書ける」だろう。村上春樹の文体のクセや作品の共通点をAIがうまいこと認識できるようになれば近い将来「村上春樹風の小説を描いて」と入力するだけでchatGPTが村上春樹風・新作を生み出すこともあると思う。ただ、それを生身の人間である私が読みたいと感じるかどうかは少し違う話。で、AIの進化で作家さん達や出版業界の今後がどう変わっていくのか?いかないのか?は、イチ読者として楽しみなエンタメでもある。未来がどうなるかは分からないけど、少なくとも「海辺のカフカ」が2002年に、「1Q84」が2009年に、「ねじまき鳥クロニクル」が1994年に村上春樹によって書かれた事実はこれからも絶対になくならないことなので、そんな過去の作品を令和のいま読むことで私の中に生まれる感情はchatGPTには生み出せないことである。また、どんなに稚拙であろうとも、思いつきで感じたことを書いてる私のこの文章もAIに書かせては意味のないものなのであーる。