夜に訪れる憂鬱虚無との付き合い方
私はしょっちゅう虚無で憂鬱な気分になる。
そういうときは、諸々の不安や自己嫌悪が頭の大半を占める。
そんなときはとにかく逃げたくて、車を無目的に走らせては何をするでもなく虚無を抱えて帰路につく。とりあえず、たいして食べたくもないものをコンビニや激安スーパーで大量に買って一晩で食べきる。でも、何を食べても一切満たされないんですけどね。
今夜も、現実逃避ドライブ(と私は名前を付けている)と過食+飲酒のアンハッピーセットを実行したわけですけど、さすがにそれは辛いし何の救いにもならない。
でも今日は、いつものそれとは違っていて、この虚無感と上手に付き合う術を発見した気がするので、今日は、また虚無虚無プリンになったときのための自分にその発見について書き起こそうと思う。
①他人の物語に没頭すべし
憂鬱になったらまず、自分の物語を考え始めるのは絶対に避けるべきである。
だからといって考えるのをやめるのは私の性格上困難。
そこで、オススメなのが「他人の物語に没頭する」こと。
それすなわち、本(小説、エッセイ、漫画などが好ましい)、映画、ドラマなどに時間を費やすという事である。
憂鬱で虚無になっているときは、どうしても自分や世界に絶望感を抱いてしまうし、「完全に終わりだ、これは死ぬしかなのでは??」とすぐに極論に走ってしまう。
しかし、他人の物語に没頭している間は、自分について考える隙はおそらく生じないはずだ。しかも、他人の物語に触れることで、私達は世界との新しいつながり方を習得することを可能にする。
それゆえ、私は、クソなアウトプットしかできない憂鬱虚無なときこそ、インプットの時間を増やすことで、自分を救ってあげたいと思う。
まとめると、以下の通り。
本、映画、ドラマなどの「他人の物語」触れることで、自分のことを考える隙を与えないし、良質なインプットができる。
②他人の物語の感想をシェアすべし
①で他人の物語に没頭した後は、その物語についてどう感じたか考えたかをぜひシェアしよう。
物語に触れる前までは、憂鬱虚無ですぐに死ぬしかないのでは?とか思っていた両極端な思考が和らいでいること違いない。
そこで、その思考の変化を整理して、記録してみてはどうかと提案する。
まあ、先ほど、でかでかとシェアすべしといったが、本当のところは、シェアよりも、自分が他人の物語に触れてどう考えたかを整理することが一番大切なことだろう。
しかし、自分の考えを整理して、後日また見直せるようになるべくわかりやすく書くには、他人に読んでもらうこと前提の文章を書くのが手っ取り早い。
あと、普通に物語の製作者の立場的には、その物語の感想や意見が見えるのは嬉しい事だと思うので、じゃんじゃんインターネットの海に放り投げていきたいと思う。
まとめると、以下の通り。
物語の感想をシェアすることで、思考を整理することができるし、記録に残せる。そして、物語を制作した人もきっと嬉しい。
③なんかやり遂げた感を感じよう
自分のこと考えるのやめて、他人の物語に触れて、文章でも動画でも媒体はなんでもいいからシェアする。
ちなみに、知人から聞いた話によると、この世の中には制作物に対する感想が意外と少ないらしい。なので、感想をシェアする行為それだけに結構価値があるのではないかと思うのだ。
まあ、それは置いておいて、この一連のアクションを終えると、「何かしらんけどできたじゃん…」みたいな謎の小さな成功体験ができる。
そうすることで、憂鬱虚無によって貼られていた無能レッテルがゆっくりはがれていくと思うし、良い感じに頭を使って疲れると思うので、自分のことを考える隙も無く眠るだろう。
あ、寝る前に歯磨きと風呂は入っとけよ。
まとめると、以下の通り。
物語に触れて、感想をシェアすることによって生じる「なんかやり遂げた感」に包まれながら、風呂に入って歯を磨いて寝よう。
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次、憂鬱虚無でどうしようもなくなったらこのnoteを見るんだぞ、私!!
同じく憂鬱虚無でどうしようもない夜を過ごしたことのある同志にもこのnoteが届くと良いなあ。