佐渡 こんな狂った場所が日本にあったのか
何を隠そう吾輩は新潟県出身である。
新潟で生まれ育った人間たちには、ある種の不文律というか、独特の感覚がある。
まず、新潟県と呼ばれている場所は、上越、中越、下越、佐渡の4地方に分かれている。下越地方に新潟市があり、中越地方に吾輩の地元、長岡がある。長岡と新潟は共に譜代大名の牧野家が支配する越後長岡藩の支配地域だった。
感覚的に言うと、長岡に住んでいると、新潟市より東京の方が近く感じる。東京まで新幹線で90分、新潟まで20分だが、そもそも新幹線を使って新潟市に行くと言うのは土地の人間の感覚としては「贅沢」にすぎるので、鈍行(在来線)で2時間弱かかる。それならいっそ、東京に行った方が色々あるし、と言う感覚になるのだ。
そして我々が絶対に観光に行かないのが佐渡島である。佐渡島はもはや別の県として独立させた方がいいのではないかと思うくらいに佐渡を除く新潟県全域と交流が少ない。
前回、日本フィルハーモニーと落合陽一先生のクラファンで行った沖縄で宮廷料理を食べた際、「次は佐渡ですよ」と言われたとき、「ほう、吾輩の地元である新潟県で落合陽一先生が吾輩の知らない美味いものを食わせてくれると言うのか」と、まあ勝手に挑戦状を受け取ったような気持ちになって思わずいの一番に申し込んでしまった。
しかし出発の前々日くらいに「え、佐渡?俺佐渡に行くの?あの、新潟県民が決して週末の旅行先に選ばないことで有名な?それどころか修学旅行でも絶対に候補にすら登らないことで有名な、あの、佐渡に?なんで行くんだっけ?」と恐ろしくなって脂汗が出てきた。
なぜそれほどまでに佐渡は恐れられているか。
たまに佐渡に行った、と言う人がいても、聞かされるのは主に「船酔いの記憶」なのである。
何回吐いたとか、酔い止めが効かなかったとか、とにかく地獄みたいな話しか出てこない。そもそも日フィルは旅行代理店ではないので毎回スケジュールがギリギリになって送られてくる。本当は前日から新潟市に前乗りしようと思ったがどうも気乗りしない。
新潟市にはいい思い出がほとんどない。
友達もいないし駅前で酒を飲んでも楽しい場所が思い浮かばない。長岡ならまだしも、新潟で何をすれば・・・と思って色々調べたら、どうも東京駅発7時の新幹線でいけば集合時間に間に合うらしい。また、先週何度か技研ベースで佐渡に行ったことのある人や佐渡に親戚がいる人の話を聞いて、「どうやらフェリーではなく水中翼船のジェットフォイルなら揺れは少なく酔わないそうだ」と言う情報を得てホッとする。
まあ7時ならいいか・・・と思って寝ようとしたら、海が時化ていて6時の新幹線に乗らないといけないらしい。面倒だなと思いながら午前4時にアラームを設定して21時に寝た。
果たして、午前四時、身支度を整えた吾輩は意気揚々と上野駅に向かった。
朝早すぎて駅弁屋がやってなくて、かろうじて6時にオープンしたNEW DAYSで軽く朝ごはんのようなものを買う。まあこのくらいでいいんだよ。旅は。
するとすぐに車掌さんが来て「切符を拝見」と言う。他の乗客ではなく僕だけに言ってくるのでてっきり号車を間違えたかと思ったら
「お客さん、これ盛岡行きですよ」
と言われて慌てる。
「次の大宮で新潟行きに乗り換えられますから」
危ないところだった。いつもみたいに自由席で移動していたら気づかないところだ。
慌てて荷物をまとめ、大宮駅で新潟行きに乗り換えた。
そんな珍道中を経て、新潟駅からバスでフェリー乗り場に移動。
そこで一つ、重大なミスに気がつくのである。
「待て待て。ジェットフォイルなら安心、とか思ってなかったか。今回、1時間早まったのって、海が時化ててジェットフォイルが出なくなったからじゃなかったっけ?と言うことはフェリーに乗るのか?なんで?おい、話が違うじゃねーか」
しかし後の祭り。ここまで来てフェリーを恐れて今更帰るわけにも行かない。
吾輩は一つ決めていることがあって、それはアーティストからの誘いは面倒でもできるだけ断らないと言うことだ。河口洋一郎、水口哲也、樋口真嗣、石井裕、そして落合陽一と猪子寿之が「ここに来てよ」と言ったらそこがサウジアラビアだろうが佐渡だろうが行く。それはもう吾輩の行動原理のようなもので、どれだけ面倒でも行くべき時には行くのがポリシーなのだ。
もうここは腹を括っていくしかない。
そこで切符を買おうとして、吾輩の目に飛び込んできたのは信じられないものだった。
おいどう言うことだよ。バブルかよ。なんだ二等席2860円でスイートルーム16410円て。こんなホテルみたいな豪華なベッドで冬の日本海で何をおっ始めようと言うのだ。
ところが特等は売り切れ。1等イス席も売り切れていた。いやこんなリクライニングいらんだろ・・・と言うのが素人の浅はかさだと知るのは出航後間も無く経ってからだった。
まだかろうじて買えた一等チェア席だったが、朝早すぎて酔い止めを買うのを忘れてしまった。
世界中あちこちでフェリーに乗ったが、個人的には船にそんなに酔った記憶はない。でも乗り込んだ時にデッキで係員の人が「後部の無料席の方が酔いにくいですよ」と他の誰かに言っていたのを小耳に挟んで「確かに動力源に近い方が重心が来るから揺れにくいのか」と思ってせっかく買った1等席ではなく後部の広場的な場所のベンチに陣取った。
念の為、画面を見なくて済むように東浩紀さんが前日酔っ払いながら配信していた突発放送を聞きながら過ごしていたのだが明らかに様子がおかしい。
船があり得ないくらい音を立ててギシギシと軋むのである。窓の外を見ると水平線が文字通り窓の上から下まで上下している。富嶽三十六景か!
あまりのことに青ざめて売店のようなところで「酔い止めありませんか?」と聞くと、「薬事法に引っかかるので売ってません」と言われた。薬事法め!!!!船で酔い止めくらい売れるようにしてくれよ!薬事法のバグだろこれ。
もうひと揺れするたびにビクッとなって、気が気じゃない。出航して20分経つ頃には死を覚悟し始めていた。
ちょうどついこないだ、函館で青函連絡船を見て、青函連絡船はほとんど事故で水没したエピソードを思い出した。
「そりゃジェットフォイルが欠航するような時化の時に乗ったら生命がいくつあっても足りねえ」
吐くほどの酔いではないが、このままいけば確実に吐く。いや、朝ごはんをちょっとにしておいてよかった。何か固形物を胃に入れていたら間違いなくイク。
しかしどう言うことだ。普通にお茶とか飲みながら本読んでる人とかもいる。正気か?海軍兵なのか?
それで脳裏にあの不可解な座席表示がフラッシュバックしてきた。
「ま、まさかあのふかふかなホテルのようなベッドや健康ランドのようなリクライニングチェアは、このような状況に対応するためにあったのか!」
頭の中で「なんだってーキバヤシ」の映像が再生される。
もしかして寝た方が楽なのか?
そう思って二等船室で人々が雑魚寝しているところに移動して自分も寝てみた。なるほど。寝ればマシだ。転覆の恐怖はともかく、酔いはだいぶマシになる。
でも寝てるだけと言うのもずいぶん辛い。WiFiもあるがもちろん途切れる。途切れるし、再接続しようとするとまた画面を見なきゃならなくてまた酔う。売店に酒を売っていたが、酒を飲んだらさらに酔うのか感覚が麻痺するのか博打を打つ気にもなれずとにかくじっと耐える三時間。
へとへとの状態で下船口に行くと、落合陽一先生とばったり出くわした。
「ずいぶん顔色悪いですね」
「死ぬかと思った。この揺れは平気なのか」
「僕はほら、もっと小さい船にも乗ってましたから」
思い出した。アーティストに招かれるがままにどこかいつもと違う場所に行くと、たいていは酷い目に遭うのである。久しぶりだから忘れていた。
でもこの過酷な経験とその過酷さに適応する反応が、アーティストをアーティストたらしめるのだろう。
そこから落合先生は明日のコンサートの準備で別行動となり、我々は佐渡島を観光することになった。
現地ガイドの方に「フェリーが揺れて大変でした」と言うと「ええ。でも私はジェットフォイルよりフェリーの方が断然楽ですね」と答えられて「ええっ!?」と思った。もうどっちを信じていいのかわからない。怪情報が飛び交ってる。正解は何なんだ。
そこからバス。バス酔い地獄。もう酔いたくないのでできるだけ窓が広い席に座る。色々と佐渡のお話を聞きながら佐渡の南の方まで移動する。と言うことは当然山道。佐渡は二つの山がくっついた形をしている。山道のバスも酔いやすくて辛いんだ。
鼓童を見に行く。鼓童とは、佐渡で生まれた世界的エンターテインメント集団である。本拠地は佐渡だが、公演自体はベルリンやニューヨークなど、世界中で行われている。シルク・ド・ソレイユも鼓童の影響を受けた演出があるくらい、世界的なエンターテインメントなのだ。
そういえば思い出したが、水口哲也が世界的傑作となったゲームRezを着想したのも、佐渡の鼓童だった。
そもそも鼓童は、佐渡にやってきた何とかという人が、「佐渡の若者は元気がないから太鼓を叩け!」と言ってラジオの全国放送で「若者よ、佐渡に来い」と言ったら本当に全国から若者が集まってしまったのが起源とされている、比較的新しいエンタメ集団だ。それがあっという間に世界に広がった、と言う話は聞いていた。
実際にここでは鼓童の実演を見ることができた。
鼓童を間近で見たのは初めてなのだが、とにかく全員がものすごく自然な笑顔で太鼓を叩いているのが印象的だった。普通この手のパフォーマンスは演技に集中するあまり真顔になってしまうものだが、とにかく楽しそうに太鼓を叩くのである。しかも楽器も日本の太鼓だけでなく世界中の様々な楽器を組み合わせ、しかも演者が自ら作った曲を披露するという形式で、ものすごくクリエイティブさを感じた。鼓童のメンバーは現在35人で、そのうち5人が佐渡公演を行い、他のメンバーは海外で公演しているのだという。
鼓童にすっかり魅了された後は、またバスで移動して、今度は「はんぎり」に乗ることに。「はんぎり」とは何か?
文字通り樽を半分に切った船である。たらい船とも言う。
なぜそんなものが必要だったのかというと、この辺りは遠浅で水深が浅く、普通の船だとすぐ底がついてしまう。なので樽を半分に切ったような構造の船を作り、それを浮かべて昆布や貝類などを採取するのだという。これは今も使われている狩猟技術で、しかも世界で唯一のものらしい。
新潟県民なので、佐渡のたらい船は絵や写真で見たことはあったが、実物を見るのは初めてだ。
「さ、乗りましょう」
「え?乗るの?」
「乗りますよ」
果たして、ヒイヒイ言いながらこのたらい舟に乗ってみることに。ここまできたら腹を括るしかない。
フェリー酔い、バス酔い、たらい舟酔いと、もうどこからどうしたらいいのかわからないがヤケクソである。
しかし、揺れが半端ない。
「え、これ落ちるんじゃないの?転覆するんじゃないの?」
「転覆しませんよ」と船頭さん
「転覆した人はいる?」
「聞いたことないですね」
「落ちる人は?」
「いますね」
「いるんじゃん!!」
冬の日本海に落ちたらこんなライフジャケットなんかあったって浮かぶ棺桶みたいなもの。オフィーリアじゃん!!
「船頭さんはこの道何年くらい?」
「二年です」
「聞かなきゃよかった」
まあでも慣れてくると酔いもそれほどでもないし何より楽しい。
貴重な体験をした。
それから保存されている歴史的建築物の区画を回ったりした。
鼓童の発祥となった公会堂なんかを軽く見た。
さて、しかしここまではあくまでも「表」の顔。
本当にクレイジーなツアーはここから始まったのだ。
佐渡は100以上の集落があり、その全てで「鬼太鼓」と言う祭りが行われるらしい。鬼が各家庭を一軒一軒周り、厄払いを行う風習だという。
佐渡では祭りが最も重要なイベントとされ、その日は学校だろうが会社だろうが休むことになっている。
鬼太鼓は少なくとも12時間、長い時は24時間ぶっ通しで行われる。
今回は特別に「豆まき」という隠れキャラも呼んでくれたそうだ。
果たして鬼太鼓とは?
確かに家の軒先で鬼が太鼓を叩いている。
これは確かに楽しい。子供は泣くと思うが。
秋田のナマハゲみたいなものだろうか。
これに獅子も登場する。
なるほどなかなかの奇祭じゃないの、と思ったら、なんか変なのがいる。
「ありゃ、豆まきだ」
いや、豆まき?
この豆まきは、隠れキャラ的な存在で、気まぐれにしか登場せず、昼間の時間帯に出ることは滅多にないという。基本的には深夜に現れる夜の紳士的な存在だが今回特別にお早めの時間からご登場のようだ。
この隠れキャラがもう大変で、現在のコンプラ的な理由でおそらくYouTubeにも流すことはできない。流すとBANされる可能性が高い。
なぜ豆まきなのか、直接的に語ることはしない。鬼太鼓は五穀豊穣を祈る神事であるため、五穀豊穣とついでに子孫繁栄も願う。後は良識ある読者のご想像にお任せする。
鬼太鼓は家によってはご馳走を用意してもてなすことも多いらしい。
それで12時間も24時間もぶっ続けでやるもんだからどんどんおかしくなる。
ここでとんでもなく美味い何かを発見
なんか香り高くて味もすげー美味い。え、なにこれ?
正体は松茸。実は佐渡は松茸が獲れるらしい。
というか佐渡はりんごの南限かつみかんの北限と言われている(りんごの南限は長野県だとかそういう話は無視する)。
要はフルーツやら野菜やらキノコやらが豊富に取れる。その流れで松茸も取れるのだという。
これが劇的に美味いのだ。よくもこんな美味い松茸があったものだ。
正直、こんなに美味い松茸を食べたのは生まれて初めてだった。
こんな奇祭に参加できたのは、落合陽一ツアーならでは。地元の文化にディープダイブし、地域文化への理解を深めようとする彼一流の真摯な姿勢があってこそ、地元の方々も胸襟を開いてくれる。まさに勝ち組十戒である。
酒飲んでおかしくなった鬼と豆まきと獅子が色々な家でまた酒飲んで暴れる。これは紛れもなく祭りだし楽しいに決まってる。獅子は二匹で一対だが、酔っ払いすぎて動けなくなったり、道に迷ったりしてエントロピーが次第に高まっていく。こんなにエントロピーの高い祭りがあるだろうか。というか、逆に祭りとはエントロピーを高めるためのものだという気がしてくる。祭りの本質は、エントロピー増大なのかもしれない。
停滞しがちな日常に、敢えて乱雑さを注入し、そこから何か新しい出会いや発見、旅立ちといったものが立ち現れる。そうか、祭りとは、人工生命の一種なのだ。
人工生命の定義は人によって違うが、僕は組織やしきたり、風習といったものを含めるべきだと思っている。そしてそれを以前僕は「プログラム」と呼んでいた。
「プログラム」は人工生命に欠かせないものだが、それが実行される環境が計算機である必要はない。むしろプログラムは計算機誕生以前から存在していたのであり、それが死生感や宗教、社会規範、貨幣経済や家父長制、国家という形態を形作っていった。
プログラムされて動かされるものは人工物であり、人工的な生命を構成するものがまた生命であっても、もしくは生命と非生命のハイブリッドであっても全く問題ない。
なんせ朝はフェリーで死にかけていたから、死の対極にある生、五穀豊穣、子孫繁栄というテーマにより深く向き合えたかもしれない。これだから落合陽一ツアーはやめられない。
夜はホテルでなんと本格フレンチ。
沖縄では宮廷料理で、なぜ佐渡ではフレンチ?
そんな疑問を吹き飛ばされたのが、こいつだ。
これはその日の朝に収穫された、いわゆる朝採れの松茸である。偶然手に入ったのでサービスで松茸茶碗蒸し風の料理が出てきた。
これは本来のメニューにないのだが、特別にシェフのサービス精神で作ってくれたもの。とにかく落合先生も佐渡の人も、サービス精神が過ぎる。
そもそも前回のクラファンは、ホテルは自分で取らなくてはならなかった。それでも一泊二日で、かなり充実した日程で楽しめた。しかし今回は、ホテル代も込みで、日程が二泊三日になり、料金は一緒という、金銭感覚がバグってるとしか思えない設定なのだ。この矛盾に日フィルと落合先生が気づく前に参加するのが本当に得である。
みたいな話を前回沖縄でしたのだが、それを覚えてくれていた人がリピーターになってくれたり、朝五時のラジオで落合ツアーがお得すぎてやばいといった話を聞いた夫婦が参加してくれたりで参加者が少しずつ増えているのも嬉しい。
もちろん他の料理も全部美味しい。
フレンチでも超一流の味が成立するというのは、佐渡では豊富な食材が取れるから。洋食でもなんでも対応可能なのである。
というか、悔しいかな。こんなにうまいフレンチを本土の新潟県内のどこにも知らない。
俺が無知なのか新潟を深掘りするのをやめているのか。とにかくこんなにうまいフレンチはパリにも東京にも滅多にない(というかパリでも同じレベルの味を出せるのはほんの一握りしかいない)。フランスにはよく行ってたけど、こんな美味しいものは滅多に出てこない。ミシュランに発見されないうちに行くことをお勧めする。
と、ここまで書いたが、これでまだ一日目なのだ。すでに十分もとはとった気分ではある。
そんなこんなで明日(というかもはや今日だが)は一体何が起きるのか。
楽しみ過ぎるのである。
ちなみに落合先生はフェリー内でVisionProでPythonコードを書いたらしい。
超人か。
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