見出し画像

PCを組み立てるということ

もうPCを組み立てるのは何回目だろうか。
今月はPCを組み立てたり、組み立て方を教えたりする日々だった。

PCを組み立てていると、「これから何かが始まるんだ」という気持ちになる。

人形町で毎日のようにPCを組んだ。
未発売のCPUや最先端のGPU、最先端だが中古でやっと手に入れたGPU、そんなのを組んでマシンを組み上げる。これが日常だった。

そんなこと、プログラマーがやることではないと思うかもしれない。
しかし、マシンを組むことで、マシンを知り、それと対話することは一種の儀式であり、欠かせないものだ。

Macは極めて出来がいい完成品だが、この「組み立てる」というプロセスがないために、どうしても最後の最後で信用しきれないことがある。

Macがトラブったら、できることは買い換えるしかない。これは効率が悪すぎる。ただでさえ今のMacは高価だ。100万円近いものをポンポン買い換えるわけにはいかない。

その点、自分で組んだPCならどの部品の調子が悪いか手に取るようにわかる。わかっていれば、その部品だけを交換すればいい。それは最小の時間でできる。もちろんコストも安い。よく壊れるような部品は会社に予備を置いておけばいいし、そうでなくても、使わなくなったPCが会社の片隅にあれば、そこから部品を拝借することもできる。ダウンタイムが少ないのだ。

もちろん今のGPUは高価だから、自分でいじって壊してしまったらと思うと怖くて触れないという気持ちもわかる。

実際、素人に近い子たちが中古価格で50万円もする(新品なら150万円)GPUをおっかなびっくり挿してる時は僕だってヒリつく。でもその経験を通してしか得られないものがある。

これがメモリで、これがSSDで、これがハードディスクで、これがCPUで、これがCPUクーラーで、これが電源で、これがケースで・・・ということがわかっているだけで、コンピュータというものがどういうものか、手触りでわかることができる。

半日もあれば組み立ててOSを入れることができるので、ちょっとしたウォーミングアップだ。

僕はPC組み立てでリスクは取らない。極端なオーバークロックもしないし、トリッキーな構成もしない。ただ必要なスペックを揃えているだけだ。

ある種、PCの世界というのは夜の歌舞伎町に似ていて、あるスケールまでは払ったお金の分だけ確実に返ってくるのだが、あるスケールを超えると、値段が10倍でも性能は1.5倍くらいにしかならないなんてこともある。まあその「性能」は単純な計算能力だけでは測れないので、その分省電力だとかその分メンテナンスがしやすいとかその分高機能だとか、能書はいろいろあるのだが、自分にとって必要な予算の配分がどういうものなのか見極めないと、闇雲にお金だけかかってしまい実用的には使えないものになってしまう。

ファンレスのTeslaに強引に外付けのファンを付けて回したらジェット機みたいな音がして迷惑をかけたとか、それを防ぐために巨大なファンに変更して空気の流れを作るカウルをうまく作って回避したとか、いろいろな回避方法を考えたりするのは楽しい。

まあその上で動くUbuntuの環境構築はこれまたAI時代には地獄なのだが。
今はGeminiがあるから随分楽になった。昨日からずっと、LXTVとHunyuanVideoのファインチューニングを継之助で試そうとしていたんだけど、mpi4pyとかのインストールで行き詰まってGeminiにだいぶ助けてもらえた。一人だったらもう2,3日かかっていただろう。心が挫けていたかもしれない。こういうとのために昔は助手を雇ったものだが、今はそんなスペックの高い人を助手に使うなんて勿体無い、という話になる。Geminiがあれば、助手2,3人分くらいの働きはしてくれる。

最近雇った業務委託のフルタイムのスタッフに「私は結局なんの仕事をしてるんですか?」と聞かれたので、「君はプロンプトクリエイターだ」と言った。

実際、彼女は朝から晩までo1 pro modeに話しかけ、必要なプロンプトを紡ぎ出している。それを動画生成AIに入れて、自分の感性でピンと来たなと思うアウトプットを選ぶ。その姿を見ていると、これが未来の人間の仕事だという気がする。

AIに全てを任せるわけでも、AIに仕事を奪われるのではなく、AIを活用して仕事をする。AI相談し、AIに出力させ、それにダメ出しをして、納得いくまで作品を高める。軸になっているのは彼女の感性であって、その個性を最大限に発揮するためにAIが活用される。それだけだ。そしてたくさんの選択肢の中から何を選び取るかということだけはAIに任せることができない、最後の人間の仕事なのである。

一日の仕事が終わると、1Fの技研サロンでハイボールを飲みながら「一日中AIと喋ってると、人間と話したくなりますね」と言った。

そうなんだよ。
結局、AIとばかり話していると、無性に人間と話したくなる。
これは、アメリカで暮らしていると、無性に日本語を喋りたくなる感覚に近い。

GPUがエンジンだとしたら、マシンを組み立てるのはメカニックの仕事だ。
一人前のメカニックは、当たり前だがマシンをゼロから組む。一人前のドライバーだって、エンジンやシャーシの構造くらいは知っていたほうが都合がいい。頭の中で、部品がどのように組み合ってるかイメージしながら使う。

何か処理が遅い時、「それは変だ」と考えられるのは、その人間がマシンをよく理解しているからだ。その「変」なことは、ネットワーク由来なのか、マシンの使い方なのか、GPUが問題なのか、メモリの問題なのか、SSDが壊れたのか、HDDがいっぱいになったのか、とにかく無数の原因の組み合わせの中から正解を瞬時に掴み取るためには、マシンの構造は知らないよりも知っていた方がずっといい。それを学ぶのに一年もかける必要はない。半日もあれば最低限、コンピュータがどういうものか、ということくらいはわかる。

クラウドの向こう側にあるAIばかり使っていると、それがわからない。
「なんか止まった」「なんか動いた」しかわからないから、いつまで経ってもなんらかの補助装置がないとAIが使えないことになってしまう。

クラウドの中にしかないAIに便利さを感じつつも、どこか居心地が悪く感じてしまうのは、僕がそういうメカニック気質だからだろうか。

僕にとって、クラウドの向こう側にあるAIは、中学生の頃のゲームセンターだ。

最先端のコンピュータ芸術が体験できるが、中学生が行くには少し怖いところ。居心地が悪いところ。

家に帰ってもっとずっと性能が低い自宅のコンピュータで、ゲームセンターで見たことを真似してみる、ゲームセンターはインスピレーションを得る場所であって、決して自分のものにはならない。それでも何年かすれば、ゲームセンターで動いていたような機械が自宅で動くようになり、そのうちカバンに入るようになり、いつかポケットに入るようになる。そういうことをこの半世紀、僕はずっと繰り返してきた。今度もそうなる。

そうなった時のために、やっぱり、マシンは自分の手で組みたい。少なくとも、どんな部品で構成されているのかくらいは自分で事細かに決めたい。SSDを何本たばねてRAIDを作るか、HDDはどうするか。

MacBookProもいいんだけど(今やメインのマシンはそれだし)、いいのはあくまでインターフェースであって、本気の運用をしようとはまだ思っていない。ローカルでLLMが動くのはとても便利だけど、今のところは飛行機や新幹線の中くらいしか出番がない。

Geminiがあればたいていの技術的問題は突破できる。o1でもいいんだけどGeminiの方が返事が早い。o1は考えすぎに見える。o1はもっと高度なことを考えさせた方がいい。Claude-3やCommand-R+は演出面を考える時に役に立つ。

仕事の仕方は大きく変わっていくだろうなあ。
もう変わり始めているとも言える。