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成熟したのは、76年の…

俺は皆に謝らなければならない。
一度もそんなことをいったつもりはないが、世間では俺を食通とかワイン通とか思ってる人がいるらしい。

俺は基本的に謙遜とかするだけ時間の無駄だと思ってるタイプなので、今まで思ったことしか言ったことはないのだが、俺はいつだってワイン初心者だ。

俺のワインの師匠は二人いて、一人はゴールデン街のバー「ロッソ」のオーナーの4cよっしーで、もう一人は西麻布の伝説的ワインバー「エスペランス」のオーナーの成田さんだ。

成田さんからはブルゴーニュの真髄を、4cからは安旨ワインのコツをそれぞれ教えてもらったと思っている。

ある日、エスペランスで、一緒にいた客から「清水さんワインお詳しいんですね」と言われた時、「いや、僕は全然わかんないんで」と答えると成田さんから「清水さん、うちの常連なんだから、ワインに疎いと言われては困ります。今まで散々素晴らしいワインをお出ししてきたじゃないですか」と嗜められてしまって以来、ワインに疎いとも言えなくなってしまったが、実際には俺はワインの素人である。

そんな俺だが、周りから勝手に食通だと思われていて、食通的なイベントに呼ばれることもある。

が、ごめん、俺は全然食通ではない。

その証拠に、俺はつい先週まで、ワインの頂上てっぺんを知らずに生きてきたからだ。

世の中には、いろんな欲がある。
色欲もあれば名誉欲もあるだろう。だが俺にとって、絶対に満たさなければならない欲とは、食欲であった。

子供の頃、「将来金持ちになったらどうするか」をかなり真剣に考えた時に、「外車の新車に乗って自分の研究所まで行く」くらいのイメージしか持てなかった。そしてそれは実現した上で俺は外車はゴミだと気がついて車を捨てた。カーシェアリング人間になったのだ。

あとは「美味しんぼに出てくるような美味いものを全部食う」と思って、それも実行した。しかし、美味しんぼには出てこないワインがある。それが出てこないがために、美味しんぼはイマイチ美味しくないんじゃないかと思わせてしまう。

なぜなら、フォアグラより美味いアンキモが出てくる漫画に、どうしてこのワインの帝王が出てこないのか。

そして俺もこのワインの帝王とあいまみえたことはないのだ。畑まで行ってるのに。

そう。ロマネ・コンティだ。
DRCエシェゾーは何度も飲んだ。素晴らしいワインだ。

成田さん流に言えば、「まるで花束を渡されたような」極上のワインである。

DRC、すなわちドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ社だが、そのDRCのフラグシップであるロマネ・コンティは本当に飲んだことがなかった。

飲むチャンスがなかったといえば、嘘になる。
俺は俺で、昔は金を稼いでいたこともある。UberEats配達員になるずっと前だ。

だけどなんとなく、「まだその時じゃない」と思って手を出さずにいた。
いやまあロマネコンティが高すぎるという問題もあったけれども。

これは特別なワインで、特別な時に飲むものだ。

俺にとって特別な時とはいつだろう。

ロマネコンティを飲みたいと思ってから四半世紀が過ぎた。
今だって飲もうと思えば飲めなくもない。無理すれば。でも、そこまでして飲むものじゃないと思っている。それは王者であり、頂点であり、特別なものだからだ。

俺の青春期にとって一番大事な存在がワイン以外にもう一つある。
Bio_100%バイオ百パーセントだ。

俺は有限会社バイオ百パーセントの社員だった。
いや、社員だったのかどうかよく思い出せないが、名刺は持っていた。

Bio_100%は俺の青春の全てだった。
ドワンゴだって、Bio_100%が作った。(と、俺は思っている。川上さんも異論はないだろう)

子供の頃の俺は、彼らに憧れた。

まさに中学時代の俺は、毎月のように雑誌の付録についてくるBio_100%のゲームに興奮し、嫉妬し、憧れた。胸を焦がした。

上京してBIo_100%のaltyからメールをもらった時、体に電撃が流れたようなショックを受けた。テレビの中でしか見たことない人から、突然メールをもらったのだ。わかるか、この驚きが、恐ろしさが。

そこから俺の物語は始まったんだ。
たった五人、しかもほとんど働かないダメ社員ばかりのドワンゴに、「弟子募集」と称して人を募り、ドワンゴという風船に息を吹き込んでいった。

毎日楽しかった。
「女よりいいぜ」と、弟子募集に応募してきた一人、モーレツは言った。

そのaltyから唐突に、「お前と飲みたい酒がある」と誘われた。

ドワンゴを辞めて以来、altyとは滅多に会ってない。
altyはドワンゴが上場したあと、anodosという会社を作って余生を好き勝手生きている。anodosも正直、真面目にやっているとは思えない。今はモリシャンアドベンチャーとかなんとか言って、パックラフトとか一人のり手漕ぎボートのマニアになっている。緊急救命士の免許も取ったらしい。

何事だ、と思いつつ、altyに呼び出されるがまま、亀戸に行った。
亀戸でワイン?

意味がわからない。

亀戸の恵比寿横丁みたいな店に入ると、さらに意味のわからない光景が広がっていた。

サロンの産業廃棄物

サロンは、安くても10万円以上するシャンパンである。普通は50万円くらいする。
ドンキで売ってるドンペリよりずっと高い。

そのマグナムの空き瓶が大量に置かれているのだ。
産業廃棄物としか言いようがない。

「これ全部altyさんが飲んだやつですよ」

店の人がいう。
いやいやいや。捨てなよ。邪魔でしょ。

するとaltyが「一本め開けて」と言った。
すると年季の入ったKRUGが出てきた。

1976年のKRUG

KRUGは普通、ノンビンテージ(NV)だ。
つまり、複数年のワインをブレンドしてちょうどいい感じにするのである。
ところがこれは1976年。つまり、わざわざ単独の年で作ったワインだ。これだけでもかなり特別である。

「こんなのよく売ってましたね」

「ああ。まあ買ったのは20年以上前だけど」

ああそうだった。
altyはそういう人間だよ。

20年前
つまり俺が独立し、ドワンゴが上場した頃だ。

「いつか清水と飲もうと思って、買っておいたんだ」

「なんなの?死ぬの?」

「お前、死にかけてただろ」

確かに、死にかけていた。
先週の水曜日、俺は意識を失いかけていて、「これでもう娑婆とはおさらばか」と覚悟を決めた。

altyは過剰だ。
愛が大きすぎるのである。

その大きすぎる愛を受け止めきれないこともあって、俺は5階から飛び降りたこともある。

「あーDRCあるじゃんか。たまには俺にも飲ませてくれよ」

そう軽くちを叩くと、altyは「二本めの赤ワイン」を頼んだ。
すると出てきたのは1976年の

マダム・ルロワによる1976年のロマネ・コンティ

ロマネコンティだった。

感動。
感動はしたが、もはや驚かなかった。なぜならaltyはそういう人間だからだ。

「そうか、俺はこの日が来ることを予感して、今まで一度たりともロマネ・コンティを飲もうとしなかったのか」

琥珀色。48年もののロマネ・コンティ

そうして俺はついにワイン界の頂点、ロマネ・コンティを飲むことになった。

俺ってたいしたこと無い奴でしょう?
48年も、まあ一応、法的に酒を飲めるようになってから28年も、ロマネ・コンティを飲んだことがなかったのだから。

なのに偉そうにワインを語っていた。
まあそんなつもりもなくて、ただ好きな酒について語っていただけなんだけど。

でもそうだな。
いつかきっとaltyが俺にロマネコンティを飲ませてくれるだろう。
そんなふうに思っていたのかもしれない。

ロマネコンティ、しかも生まれ年。それを飲ませてもらえた俺は、本当に幸せ者だよ。

そしてaltyは、Bio_100%は、なんて素晴らしい人たちなんだ。
一体、彼らに何が返せるだろうか。

俺なんかちっぽけな存在だから、できることはとても限られている。
でもそうだな。
Bio_100%、もう一回盛り上げるか。青春を取り戻すか。そんな年頃か。

というわけで、3月8日に技研ベースで「Bio_100%ナイト」をやることにした。

Bio_100%ファンなら誰でも参加大歓迎。
今からファンになってもいいんだぞ


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