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ゴールデン街のサン・セバスチャン

サン・セバスチャンという街がある。サン・セバスティアンとも書く。
人口43万人。スペインのバスク地方で最も著名な観光地の一つだ。

ここの名物はなんと言ってもピンチョス。
ひとつまみサイズで作られた小料理だ。要は「酒のツマミ」である。

ピンチョス

20代の頃、営業で頑張りすぎて痛風になったため、普段ビールは飲まないようにしているのだが、この町ではビールを飲みたいという欲求に抗うことは、逆に不健康にさえ思える。

一杯だけビール。あとは白ワインで凌ぐ

まあこういう素晴らしい場所があって、世界中の酒場街を歩いた吾輩でも、ここは世界屈指の素晴らしい場所だと思った。特に料理が美味くて、ついでに酒も旨いという場所なのだ。

よく、埼玉屋の大将にサン・セバスチャンの話を聞かされていたので、いつかは行ってみたいと思っていた。

日本語のメニューもある

色々な小さな店がひしめき合っていて、それぞれが料理を自慢にしている。
この小さいお店が密集してハシゴ酒しながら巡る感覚は、まさにゴールデン街のそれだ。

そんなゴールデン街にも、サン・セバスチャンに負けずとも劣らない料理を楽しめる店がある。日曜日のとある店だ。

日曜日というところがポイントで、この店はゴールデン街の店らしく毎日バーテンが変わる。

持ち回りで料理を作るので、料理の腕の差が如実に出る。
日曜日、昼から酒を飲んで早めに眠ってしまったあと、この店に行ってピンチョスめいた日替わりのお通しを食べるのがちょっとした楽しみになっている。

最近、ゴールデン街の店に行くパターンを変えようかなと思う出来事がいくつかあった。引っ越しと同じで、パターンが固定されるのはよくない。

昔、仕事で一度だけ絡んだことがあった同世代の映像系の人がいて、彼を一度ゴールデン街に連れて行ったら、顔を合わせるたびにたかってくるようになった。

まあ仕事を頼んだ側なので、どちらかといえば僕が奢るのが筋なのかもしれないが、とにかく毎回顔を合わせるたびにたかってくるので、その度に逃げていたのだが、なんとこいつ、追いかけてくる。それであらかた僕が行く店を知られてしまって、また顔を見たらたかられるということを繰り返していた。もちろん払わないのだが、そもそも「奢ってよ」と言われる時点で不快だ。

彼の言い分からすれば、「あなたは社長(もう違うが)で、俺はフリーの監督、立場が違うんだから奢ってくださいよ」ということなのだが、そもそもゴールデン街には貧富の差という概念がない。偉そうにバーテンの女の子に説教してる酔っぱらい客よりも、接客してるバーテンの方が実は本業は人気作家で年収が何倍も高いなんてこともざらにある世界だ。そんな子の目の前で、僕にたかって来る男の情けなさよ。それに今や僕は社長ですらない。

社会的地位を忘れて来るのがこの街の暗黙のルールなのに、いい歳こいて顔を見るたびにたかって来るこの男を見る度情けなく思っていたのだが、まあいつかまた仕事を頼むこともあるか、と思って我慢して付き合いを続けてきた。

けど、こないだ、10年の付き合いを経て、とうとう「だめだこいつ」と思ってしまった。30代じゃないんだよもう。50手前なんだよお互い。いい歳こいて何やってんの。恥ずかしいと思いなさいよ。

最後の最後に「こいつが来る以上この店にはもう来ないから、店には今日の会計倍払う」と言って二倍の会計をすると、「その分俺酒もらっていいすか?」と聞いてきた。凄いな。人間、ここまで落ちぶれることができるのか。仕事がないわけでもない、ちゃんと働いて、「監督」とまで呼ばれているような人間が。一回や二回、「今日は金欠なんで」とかでもない。普通にFacebookでドラマの何話やりましたとか宣伝してるやつが、ほぼ無職の俺に数百円の酒をたかってくる。一体どういう教育を受けてきたんだよ。

俺の友達の映画ファンの映画監督なんか一度たりともそんな態度とったことないよ。付き合って15年以上経つけど、10年くらいはずっと敬語だったよ。お互い。勉強になったよ。フリーランスとして生きていくには、いつ誰が出世するかわからないし、立場が逆転するかわからない。だから誰に対しても丁寧に接するのが結局大切なんだということを俺はその人から教わったと思っている。いまだに「今日は仕事の相談をしたんで奢ります」と言うと、「え、いいの?」と聞いてくる。後日、「ガンダムGQuuuuuXを初日に見ようぜ」と何も言わずにしれっとIMAXの一番高い席を買ってくれる。

結局、「監督」の力というのは、どれだけ人に好かれるかが半分以上を占めてると思う。人に酒をたかることが「面白い」と思ってやってるとしたら、君の作品の面白さも、結局その程度ということだよ。センスねえよ。

最近、20代の社長の会社を少し手伝っている。彼なんかはちゃんとしていて、年も上だし経営者としても僕の方が経験があるから「奢るよ」というと、「いや、ここは自分で払わせてください」と言う。ゴールデン街に来ても、彼はちゃんとしてる。そもそも、彼は酒がそんなに飲めない。ただ、俺と話すためだけにタバコの煙まみれのこの街に来て、その後「海外の取引先とテレカンがあるので」と10時くらいに戻っていく。

20代の若者がきっちり自分の飲み分を払ってる目の前で、50手前のおっさんが50手前の同じようなおっさんにたかってくる。情けなくて涙が出る。

もうただただ不快でしかないので、今後、彼に発見された店には行かないことにした。

まあそういう感じで行動パターンを変えることができるのもこの街の魅力だ。なんせ店は200近くある。でも一週間は7日しかない。毎日違う店を3軒ずつ行くとしても、21店舗、10%でしかないのだ。

さらに、店ではなくバーテンという単位で考えると、バーテンはほぼ毎日入れ替わるので、200x7=1400種類以上の店があるということになる。

まあでもゴールデン街のサンセバスチャンに行けなくなったことだけは少し残念だ。こっそり行くかもしれないが。できるだけあいつに会わないようにしないとならない。気分が悪いからな。

人間、才能だけあったって何にもならない。この街で嫌われていた映画監督といえば名字と名前で三文字の、もはや表舞台からキャンセルされた某監督だが、○○○は全てのバーテンが「嫌い」と答えるような大人物である。なかなかそこまでの人に逢ったことがない。僕は幸い○○○とは面識がないが、悪評だけは声高に聞こえてくる。今でも「ひどい客の例」として挙がるくらいだから。

でも○○○に才能がなかったかというと、そんなことはないと思う。むしろそれほど突出しない程度の才能しかなかった。倫理観とかそういうものがなかった。それで表舞台から消え去って行ったのだ。面識はないものの、今でもその三文字を見ると少し気分が悪くなる。

才能は「ある/なし」で測るのではなく、「凄いか/凄くないか」で測るしかない。ある程度のスレッショルドを超えないと、「才能がある」とは認められない。だから「あり/なし」で言えばあるのだと思う。

ただ、それだけではちょっとカルト的に話題になるとか、なんやら業界人しか知らないようなところで表彰されたりとかが関の山で、ゴールデン街みたいなところで「俺の映画を知らないとはお前はバカか」と毎夜やり合っていたら、それはバーテンにも客にも嫌われるだろう。馬鹿なのは、そんな映画しか作れないその人間なのである。

ただ、才能はあるのは前提とした上で、「才能の凄さ」というのは、問答無用で人を惹きつけるものなのだ。飲み屋で嫌われている時点で、その才能には「凄さ」が乏しいのだ。

才能は晩年になって「凄く」なることはまずない。

特に金にだらしない男は、大成しない。自ら小物になる道を選びとっているのだ。本人は冗談のつもりかもしれないが、言われる方はただただ不快である。金が惜しいのではなく、ただただ情けなくなるからだ。

この町で嫌われる典型的なパターンは、金にだらしない人間だ。金を借りて返さないとか、知人のボトルを飲んで中身を補充しないとか、みんなそれぞれ、自分の生活の中で稼いできた金で、自分なりの幸せを感じるために来ている。

まあ俺に対してだけこういうことをやってるんじゃないだろうな。
人間、性根は変わらないからな。次に彼の顔や名前を見るのは週刊誌の誌面じゃないことを祈るよ。