人格のコンピュータ再構成
中学の話で思い出したが、中学の頃、NHKでやっていた「未来テレビ ネットワーク23」という番組があった。
これは英語圏では「マックス・ヘッドルーム」として知られる作品で、「20分後の未来」の世界を舞台に、テレビリポーターやハッカー、プログラマーが活躍する心踊るサイパーパンクドラマだった。
僕はこの作品が大好きで、自分の今の生き方のお手本になったと言ってもいい。
この物語の主人公、エディスン・カーターは「ネットワーク23」というテレビ局のリポーター(テレ・ジャーナリスト)で、彼の相棒は調整卓のシオラ・ジョーンズ、それに仲間が上司のマーリー、調査・開発室のブライス・リンチ。
シオラは抜群のハッカーで、エディスンの取材先を次々とハッキングしてテレビ中継にしてしまう。エディスンのカメラは、カメラから直接放送局に連接して世界中に映像を届けることができる。
物語の第一話、エディスンは自分の追っている陰謀の親玉が、自社の社長であることを突き止める。殺されそうになるが、ブライスは無邪気にエディスンの脳をスキャンし、人格を再構成してしまう。エディスンが最後に見たものは、駐車場の「高さ制限」の標識だったため、混沌とした彼の意識をコンピュータで再構成すると、その意識は「マックス・ヘッドルーム」として蘇る。
今でいう、デジタルツイン、AI、プログラミング教育、サイバースペースといったテーマを全て先取りしたような内容で、設定だけでもワクワクさせられた。
僕が一番影響を受けたのがこの番組で、この番組はテレビ放映ぶんをなん度も繰り返しみた他、日本未放送エピソードを取り寄せたりVHSソフトを揃えたりしている。DVDも一度海外では発売されたが、全話が入ってるわけではない。
中学の時、進路相談で担任に「将来何がしたいんだ」と聞かれ、「人格のコンピュータ再構成をしたい」と言ったら「そんなことが現実にできるわけないだろう」と言われた。
今、「人格の再構成」は十分可能だと確信している。
というのも、人格とは錯覚に過ぎないからだ。
人間はその知性を構成するほとんどの機能を錯覚から得ている。画面が「スクロール」してるように見えるのも錯覚だし、ファイルがコンピュータの中に存在していると考えるのも錯覚だ。実際、GUIの発明者であるアラン・ケイは、使用者錯覚という概念で意図的かつ積極的に錯覚を作り出すことで、「コンピュータを理解した」という錯覚を与えていることを論文に書いている。
この錯覚は、マクルーハンに言わせればメディアとなり、宗教家に言わせれば経典であり、プログラマーに言わせればプログラミング言語となる。
プログラミングでは変数を使うが、実際には変数というものはコンピュータの道具にはない。初心者だった時の僕がマシン語を勉強するときに最初につまづいたのは、変数などコンピュータの部品の中に存在していないことだった。
変数ほど頻繁に使うものはないのに、それがコンピュータの基本構成に入っていないという感覚は非常に混乱した。
実際には、変数はメモリのある区画を「変数に見立てる」こと、つまり「錯覚させること」で実現する。しかしその錯覚だけでは複雑さに対応できなくなり、構造化プログラミングやオブジェクト指向というより複雑な錯覚が発明された。
文字も数字も錯覚であり、数学も科学も(この二つは本質的に違うものだ)錯覚に基づいて構成されている。
つまり、人間の知性を構成する大部分は錯覚である。したがって、人格も錯覚によって成立していると言える。
人間は自由意志によって物事を決定していると考えられているが、実際には起こした行動に関して自分が意思を持って決定したと錯覚する機能によってそう思い込まされているということはよく知られている。ベンジャミン・リベットは実験によって運動準備電位の存在を確かめた。
僕は最近、量子状態では因果関係が逆転するケースがあるという話を聞いて、運動準備電位で起きている錯誤に似たことが脳の中で起きているのではないかと考え始めている。
時間が一方向に流れるように感じるのは、量子状態の中でたまたま一方向にしか進まない「珍しい場所」に我々がいるだけで、本質的には因果関係は逆転し得る。量子生物学という領域が急速に進歩しており、生命は量子効果を効果的に使って光合成や遺伝探索など色々な活動をしていることがわかってきている。
つまり、実際には脳の中で起きているのと全く同じ現象を再現するには量子コンピュータが必要になる。
そうであったとしても、ニューラルネットワークの出力を見て、人間が作ったものかAIが作ったものか判断するのは日に日に難しくなっていることは否定できない。
ということは、「人格は錯覚によって生じている」という前提を持てば、人格のコンピュータ再構成は十分可能である。それどころか、人格を新しく作り出したり、人格を合成したりすることもできるだろう。
ニューラルネットワークの実用化のインパクトは、コンピュータ科学だけでなく科学のあらゆる分野に革命をもたらしつつある。何が凄いのかというと、「そこで何が起きてるのか、実際にはよくわからなくても学習できる」という点だ。
この性質が数学と科学が扱うさまざまな謎の解明に役立っている。
この機能は量子力学とほとんど関係ないが、奇妙なことに、量子力学とニューラルネットワークの計算過程には共通点が多々ある。
特徴的なのは、どちらもベクトルの乗算を使う。
人間も、どうしてそう考えたのか、そんな行動をとったのか、うまく言葉で説明できないことがよくある。人間に与えたのと同じ入力をAIに渡し、人間の反応したものを再現できれば、その過程を完全に解明しなくても、その人間のように振る舞うことはできる。
僕は決済者のモノマネが得意だった。
頭の中に、バーチャル○○さんみたいなのが沢山いて、その人なら僕のプレゼンを見てどんな動きをするか、何を最初にいい、何をさいごに言うか完璧に当てることができる。いわば、僕の頭のなかにその人の人格を再構成しているのだ。
実際、ある時、部下たちの前で決済者の真似をやってみたことがある。
みんな僕がふざけていると思って笑っていたが、その後、その決済者が本当に全く同じように反応し、同じように喋っているのをみて真顔になった。
要するに僕はそういう先回りができるから、決済を通すことができた。相手の考えることが手に取るようにわかれば、決済を通すのは容易い。
このように振る舞うAIは、簡単に作ることができる。
自分の分身を作ることができるようになるのはもちろん、理想的な自分の人格を作ることさえできるようになるだろう。
それはもう「綺麗なジャイアン」みたいなもので、仕事をさせるなら絶対に自分自身よりも「理想の自分」の方がいいに決まっている。
また、AIはコピー可能であるから事実上不死だ。
しかも優秀とされる人をいくらでも複製できる。
生身の人間である「自分」は、体調を崩したりもするし、日によってやる気にバラツキがでる。常にベストなコンディションを保てるわけではないが、AIなら全盛期の自分を再現させることができる。
人間本人の価値は、むしろ変化し続けることで、生きているうちに何度も自分の別バージョンを作ればいい。shi3z 20241029バージョンと、shi3z 20241030バージョンがあっていい。その中で最もパフォーマンスの高いものを外部に提供すればいい。
人格の再構成が手軽にできるようになるのはもうすぐだ。
僕はキーボードは無くなっていくのではないかと思う。
そもそもキーボードを男女問わず使うようになったのは1970年代からで、それまではキーパンチャーや秘書といった職業の人たちがキーボードを専ら使っていた。XEROXが世界初のGUIマシンをビジネスショウで発表した時、全米から集まったビジネスマンたちは端末の前に座るのを嫌がった。
当時、キーボードは女性が使うというイメージが強く、「キーボードを使うなんて男として格好悪い」と思われたからだという。これが1968年頃だから、実はキーボードを男女問わず使うようになってまだ半世紀も経ってないことになる。
学生がパソコンを持たずに携帯電話で卒論を書くといって驚かれたのが2001年くらいの話だから、現代の学生が口述筆記で卒論を書いても何の不思議もない。まあそもそも卒論を書くことに今どれだけ意味があるのか曖昧になってきているという気もする。
僕は今、仕事の半分を口述筆記に変えている。
なぜならば、今はWhisperとLlama3.2で、完全にクローズドな環境で、しかもかなり正確に文字起こしと文字起こしからのまとめができるからだ。車を運転しながらでもアイデアをまとめたりできるのはかなり便利だ。
クラウドは不安定だし、常に最高性能のものが好きなだけ使えるわけではない。それならば、多少性能が劣ったとしても、無制限に使えるクローズド環境で再現性の高いAIを使った方が良い。というか現在のローカルLLMは、すでに十分性能がいい。昨年みんなが驚いたGPT3.5とかGPT4とかとほとんど同じかそれよりマシな回答が、今はローカル環境で得られる。来年には、スマホやスマートウォッチでも動くようになっているだろう。
この「再現性」の問題は非常に大きな問題となっていて、それが理由で欧米ではGPTのAPIを使うのをやめる学者も増え始めている。
生身の人間というのは完璧からは常に程遠いものだ。
昨日は前日に酒を飲みすぎて、全く頭が働かない状態で一日過ごした。
AIなら絶好調の時の自分を何度でも再現できる。