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今から約10年前、人工知能(深層学習)はどのように捉えられていたか「2015年の人工知能」が買えるのは12/7技研フリマだけ!

僕が本格的にディープラーニングをやり始めたのは2015年からだ。
その前からちょこちょこ調べたりはしていたが、そんなに簡単に扱えるツールが揃ってなかったし、ツールを自分で作るほどの根性はなかった。

その頃の日記はファイルとしては手元に残っているんだけど、はてなダイアリーの記事は全削除したので、いま読むのは難しい。

しかし、今読み返してみると、「ああー人工知能ってこうだったよなー」という「今ちやほやされているAIとは全く別の、日陰もの時代のAI」の有り様が、克明に記録されていた。

と言う意味で、これはこれで貴重な資料なのではなかろうかと、紙に印刷してみることにした。

ところが元のファイルをそのまま印刷しようとすると、なんと6000ページを超えてしまった。印刷するのも無茶だが、そもそも読むのも無理だろう。

そこでChatGPTに、特に重要なエントリだけ抜き出して時系列に沿って整理してもらうと、300ページくらいになり、さらに人力で絞って150ページになった。

昔のブログをまとめた本といえば、既に「プログラミングバカ一代」を上梓しているが、これは2014年頃までをまとめた本になっている。

最近、若い人と仕事をすることが増えて、しかも若い人は、僕が何者なのか確かめずに依頼してくるので時折「清水さんってどういうことをしてきた人なんですか」と聞かれることがある(毎回思うが、彼らはなぜおれに仕事をもってくるのか)

どういうこともこういうことも、俺はまあただプログミングが好きなだけのどこにでもいる男だった。まあでも、その半生が一冊の本にまとまっているのは便利だから紹介してきたんだけど、よく考えるとこの本だけでは俺とAIの関わりについてはほとんどわからない。というのも、この本が出る頃にはとっくに興味の軸足がAIに移っていたのだが、プログラミングが好き過ぎてプログラミング可能なタブレット端末を作ってしまう、というところでこの本は終わっているからだ。

しかし、最近、出版社も元気がなく、こう言う本を書いて欲しいとも言われなくなったので、自分で印刷するかと思った次第だ。

本当は、ちゃんとレイアウトした本にしたかったが、そんな時間も手間もかけたくないので、自分で編集した。

せめてもの読者への補助線として、2024年現在から振り返った「解説」を各エントリ(全エントリではないが)の要所要所に挟んでいる。

また、ログから画像が消失しているので、当時の写真を引っ張り出してきて貼り付けている。

また、A5サイズに無理やり収めたため、レイアウトがギチギチになっている。

ギチギチ

文字が読めるか心配したが、まあ48歳の俺が読めるから大抵の人は読めるだろう。

この本を編集していて思ったのは、昔おれが考えていたことは方向性としてほとんど間違ってなかったなーということ。

この当時は、深層学習をやるというと、あちこちで色々と迫害を受けた。
なかでも、人工知能学会の全国大会で経産省と産総研と合同でシンポジウムをやろうということになって、「深層学習利用推進研究会(DLEP)」みたいなタイトルでやろうとしたら、学会側から「深層学習とかいう言葉を使うと、学会の権威が汚れるから機械学習に変えろ」と言われたのは大変ショックだった。

まあいざ蓋をあけると、この頃から人工知能学会は過去最大の新規入会者、企業スポンサーが来るようになって深層(機械)学習関連の部屋は嫌がらせのように凄く小さい部屋が割り当てられていたのだが、松尾先生の発表を見ようと部屋から溢れることになり、完全に潮目が変わっていった。

それくらい、深層学習とは胡散臭いものであり、僕の師匠の一人である名古屋大学の長尾確先生なんか、もともとWatsonをやってるIBM基礎研の出身だから、「清水もニューラルネットなんてバカな夢を追いかけるのはやめるんだ」と言われたりした。

まあWatsonは全くダメな製品だったんだけど。

IBM Watsonは不勉強のリトマス試験紙だと思っていて、Watsonに対する態度をみると、その人が技術を理解しているのか、それとも他人の評判だけで判断しているのかわかる。まあ誰とは言わないが、この本の中でたびたび言及されているのは、もちろんWatsonで人工人格アーティフィシャル・サピエンス「ベイビー」を作ろうとしたyo!yo!井口尊仁だ。

Watsonの、特に会話機能は、冗談だろというレベルの内容で、あれを製品として値段をつけて売っていたことが信じられない。僕が中学生の時に書いた人工無能のほうが、というか1990年の月刊アスキーに載っていたAWKを使った人工無能のほうがずっとマシだ。Watsonはその20年後に作られているのに旧石器時代みたいな設計でゴリ押しされていたのだ。

Watsonが実質的に詐欺に近い商品であることは、海外ではかなり報道されているが、日本ではマスコミが忖度しているのか全く話題にならない。

フォーブスなんか、Watsonを持ち上げる提灯記事と、ジョークだと指摘するぶっちゃけ記事の両方が載ってる。こういうの見ると、所詮は広告頼みの日本のマスコミは全然ダメだなと思う。

井口はエンジニア出身を名乗っているくせに、Watsonの嘘に気づけなかった。まあエンジニアとしてセンスがあったら、「エンジニア出身」とは名乗らないだろうから仕方ないのだろう。生涯プログラマーである俺からしたら、プログラマーを辞める時は死ぬ時しかないと思っている。

ただ、井口のビジョンはかなり優れていて、彼が語った人工人格の世界は、確実にChatGPTの示したビジョンを捉えている。ただ井口にそれを作る能力がなかっただけで、責めてはかわいそうだ。ChatGPTのビジョンに一番近い答えを2015年に出していたのが井口さんだと思う。

本書は、そんなベイビー(人工人格)の開くであろう可能性について、牧歌的に語っているものでもある。そしてそれはChatGPTでもまだ到達していない(するべきかどうかはわからないが)領域であり、ひょっとするとこうすればChatGPTでも儲けることができるんじゃないかというヒントがある。

さらにAlphaGoが出てきたとか、その時の驚きが記されていたりとか。
初めてテレビを見た20世紀の人の感想文みたいな。それが自分自身が書いたことであっても驚き過ぎていて新鮮な気持ちになる。

今日は文学フリマなんだけど、文フリには間に合わなかったので来週土曜日に開催される「技研フリマ」で販売します。

12/7 土曜日 14:00から技研ベースにて