偉い人がいうことはわけわかんないことほどだいたい正しい
というタイトルで書こうと思ったらnoteのAI支援機能が来ていたので目次を生成してみた。
全体的に「何言ってんだコイツ」という内容になったのでAIの提案した流れは無視してしたい話をすることにする。
早くもAIの弱点が露呈したように見えるが、要は「意味のある記事」というのは、「わけのわからないタイトル」で始まるもので、「わけのわからないタイトル」は前例がないので、前例から内容を類推することしかできない今のGPTシリーズではどこまで行っても僕の書きたい内容を先回りできないことになる。書けるのは、クラウドワークスで一文字0.5円くらいで取引されるような、要はどこにでもあるような雑文なのではないだろうか。まあ使い方の問題だと思うが。
偉い人の話は短ければ短いほどわけがわからない
「偉い人」の定義は難しいが、ここでは「社会的地位が高く、その能力を広く認められている人」としておこう。大御所クリエイターや、大御所研究者など、明日仕事を失っても困らなそうな人(すぐ次の仕事が現れそうな人)を想定する。
偉い人というのは、偉いだけの理由がある。
いろんな人がやっかみで「あいつはうまく立ち回ったんだ」と言うかもしれないが、その人が同じ業界にいる人ならば、ただの負け犬の遠吠えであり、違う業界の人ならば、そもそもその人に「偉い人」の処世を評価する資格がない。むしろ業界の外に人にちゃんと「そちらの人」と認知されている人は十分ここでいう「偉い人」に分類できると言える。
さて、「偉い人」の財産は何かというと、「偉い人だけができた経験」であると思う。別の言い方をすれば「正解を見つけた経験」でもいい。
人は、どんな分野であれ、試行錯誤する。その過程で、必ず、仮説を立て、実行し、仮説があっていたのか間違っていたのかを検証する。
そのときに、たとえば映画ならヒットすればその仮説は正解だったことになるし、ヒットしなければ間違いだったことになる。シンプルだ。これは研究でも経営でもほぼ全ての分野に当てはまる。
ただし、成功というものはほとんど運次第なので、「あいつはうまく立ち回った」と負け惜しみをいう人の気持ちもわからなくはない。ただ、一回だけ正解を見つけることは全くの偶然(まぐれ)でもできるが、正解を見つけ続けることができるのは本当に偉い人、すなわち、正解を見つける方法を知っている人だけである。
偉い人の言葉は、そうした貴重な「正解を見つけてきた積み重ねの経験」に基づいている。過去に「正解」したから偉いのではない。「正解した経験」をたくさん持っているからその人の発言には耳を傾ける価値があるのだ。
そうした偉い人は、頭の中で常に「次の正解はどこにあるのか」を考えている。それ以外のことにはまったく興味がないと言ってもいい。
それで、短い言葉で謎のことを言われることになる。
だが、恐るべきことに、その短い言葉には、偉い人が「正解を見つけ続ける」という経験から得たエッセンスが全て凝縮されているのだ。
しかし偉い人の短い言葉を理解するには長い時間がかかる
偉い人はたいてい正解への最短距離を教えてくれる。偉い人のもとには日夜いろいろな人たちが正解を求めてやってくるので、偉い人が一人一人のために使うことのできる時間は非常に短い。
そこで偉い人はなるべく短く、なるべく本質に近いことを言うように磨き上げられる。強化学習されるのである。できるだけ短く、できるだけ本質的なひとことを作り上げていく。
だから、たとえば、偉い人の話し方を真似するAIを作るとすると、答えはChatGPTよりもずっと素っ気ないものになるはずだ。
ほとんどの返しが一言で終わるからである。
たとえばこんな感じだ。
まあでも、これはまだわかりやすい。一応は結論めいたものがあるからだ。これは、質問が単純すぎるのである。
本当に難しい答えは、もっと入り組んでいてややこしい。
キーワードだけだったりする。
なんで?どうして?と聞いても、明瞭な答えは返ってこない。
仕方ないのでわけもわからず行くしかない。
偉い人はたいてい、「あそこへ行け」と言う。「あの人と会え」くらいまで言ってくれたらだいぶ親切だ。でも、それだけである。
実際にそこへ行って、何をしろとも、誰と会って何を話せとも言われない。
これくらい抽象度の高いアドバイスを受けたとき、実際に行動する人はかなり絞られる。
しかも言われた通りに言われた通りの場所に行ったからといって、必ず答えが見つかるわけでもない。何年もあとになってジワジワと「あれはそういう意味だったのか」とわかるのである。
要は、「えらいひと」というのはドラクエの村人のようなものである。
ヒントはくれるが答えはくれない。
というか、実は答えをくれているのだが、それが答えだと理解するまでに何年もかかることは珍しくないのだ。
人工知能が発達して、ますます答えを理解する力が求められる人間
人工知能が発達した、ということがようやく世間に認識されるようになってきた。我々からすれば遅すぎるのだが、まあ新技術というのは常にそんなもんである。1999年に携帯電話のゲームを作ると決めた時は、ゲーム業界の先輩たちから、「電話のゲームなんて、そんなもの先がない」と散々陰口を叩かれた。
唯一、理解してくれたのは、ゼビウスを作った遠藤雅伸さんで、「ファミコン(日本で最も普及した最初の家庭用コンピュータゲーム機)ができた時も、アーケード(ゲームセンター)の連中から、あんなものくだらないと言われたものだ」と言ってくださったのは何よりの励みだった。
今、明らかに電話(スマホ)で動くゲームのほうが、据え置き機で遊ぶゲームよりもポピュラー(より広い人が遊ぶと言う意味で)だろう。そういえばこの時代は、どうやって若い女性にゲームを遊んでもらうか、遊んでもらえるようになるか、ゲーム業界全体が悩んでいた時でもある。
でも、今となっては笑い話だ。明らかに、僕の周りでは男性よりも女性のほうがゲームにハマってる人が圧倒的に多い。
人間は答えを直接ポンと示されても、それが答えであることに気づくまでに時間がかかる。
言葉というのは、びっくりするほど伝わらないのである。
GPTの出力に説得力があるように感じてしまうのは、それが十分賢いからではなく、十分賢くないからだ。人間は、たとえデタラメな言葉や数字の羅列を見ても、そこに意味や文脈、物語を見出してしまう。もしもAIが賢すぎる場合、人間はAIが壊れたと思うだろう。
それがもしかすると人間だけが持つ、ほかの生物と異なる特徴なのかもしれない。しかしもっともらしく喋るだけなら九官鳥にもできる。
「銀河ヒッチハイクガイド」は、AIの本質的な問いを理解するためには格好の教材だ。人工知能であるディープソートが何万年もの時間を費やした結果、「生命、宇宙、そして万物に対する究極の疑問(Ultimate Questionと呼ばれる)」の答えは、42であった。
それは完璧な答えなのだが、それがどうして答えになっているのか、人工知能を作り出した人々はもちろんのこと、人工知能ディープソート自身にも説明ができず、それを知るため、ディープソートはより巨大な、惑星サイズの超分散型コンピュータを作り、50億年の時が流れた。その超分散型コンピュータの名は、地球という。
非常に英国らしいアイロニーに満ちた寓話なのだが、我々はこれを笑って見ることはできない。なぜなら今目の前に起きていることが、まさにディープソートが示すような、「なぜ答えなのかわからない」というものなのだ。
偉い人が無茶をいうときには理由がある
「えらいひと」が偉い理由の源泉は、えらいひとが「正解を見つけた経験」をそれ以外のひとよりたくさん持っている、ということだと冒頭述べた。
つまり「えらいひと」は、我々凡人にとってのディープソートの下位互換品であると考えることができる。
その知能が人工のものであれ、自然物であれ、観測者の知能よりも高度であれば、観測者にとっては等価だろう。
また同時に別の問題もある。
人々は、「えらいひと」の言葉を軽視しがちであるということだ。
昨日、とある地方の若手起業家の集まりに参加した。
そのなかで、ある人が「自己PRで最も大切なことは?」という問いに対し、「呼んだら来ること」と答えた。
僕にとっての「えらいひと」のひとりは、プロデューサーの大月俊倫さんで、エヴァンゲリオンをつくったひとである。
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