見出し画像

初心者限定でPythonとAIの使い方を2時間で教えてそのままハッカソンしてみた

新潟県長岡市で三度目の当選を果たした磯田市長にプログラミングを教えてみて、吾輩はある確信に達した。

もはやプログラミングは英語より数学より身近なものであり、真の意味で誰でもプログラミングをスキルとして身につけることができる、一億総プログラマー国家が出現しようとしているということを。

吾輩がこの構想を夢見たのは10年前。
時のIT担当大臣、山本一太に招聘されてプログラミング教育を義務教育に組み込むよう進言したことから始まる。

山本一太氏は、「日本が世界最先端のIT国家になるためにはどうすればいいのか」と聞いてきた。それはもちろん、全員がプログラミングができるようになることであると答えた。

ただ、吾輩にはその具体的な方法論がなかった。それに答えるために始めたのがenchant.jsでありその後の秋葉原プログラミング教室、そして今はシラスの「教養としてのAI講座」に至るプログラミング教育活動である。

いよいよAI時代の到来を持って、「誰でもプログラミングができる」という理想が実現しつつある。あとはやる気の問題であって、障害となるものは何もない。

なぜ「誰でもプログラミングができる」と言い切れるのかと言えば、今や質問はAIにすればいいからである。「このプログラムが動かない。AIさんなんとかして」と言えば動くようにしてくれる。または、してくれなくても一緒に考えてくれる。

最良の友であり師であるAIの出現は、人々がプログラミングを学ぶのに十分な動機となる。

だから実際、吾輩がわずか2時間でPythonを操るのに最低限必要な基礎知識をレクチャーできたのも、「細かいことはAIに聞け」と言える状況だったことがことさら大きい。

まあそのハッカソンの一部始終はこちらで紹介されている。

ここで使用した教材は誰でも使うことができるよう公開してある。

これさえあれば真の意味で「誰でも」プログラミングを学ぶことができるようになる。自習でもできるだろうし、こうしたノートブックを活用したイベントを各地で開催できるだろう。

実際、長岡市で開催したハッカソンは初心者限定という縛りがあったにも関わらず、ほとんどの参加者が作品を発表するところまで行っていた。

吾輩は長年プログラミング教育に携わっているが、このようなことは初めてである。

最終的には「長岡市のイノベーション」というテーマでWebサービスを作った

これができたのはひとえにAIの出現によるところが大きい。
地元企業から補助教員を出してもらっていたのだが、それが必要なくなるくらい、ChatGPTやClaude-3などAIのアシストが効いていた。

とんでもない時代になったものだ。
英語よりプログラミング、数学より先にプログラミングを覚えるのが良い。
まあ吾輩自身がそのようにしてきたからだが。

英語より先にプログラミングを覚えたことは、英語に対するおそれをなくし、英語だろうが日本語だろうがプログラミング言語だろうがそれらは全て単なる文字コードの塊というデータに過ぎないという判断基準を持つことができたし、数学より先にプログラミングを学ぶことで、数学の授業は僕にとってウィンドウショッピングのようなものだった。

つまり、数学の授業に「ついていく」ことを目的とせず、「ホームセンターや百均で何か使えそうなものを探す」のと同じように、「数学の授業は教師が数学のいろいろな道具をプレゼンテーションする」のと同じだと捉えた。数学の教師はホームセンターの店員のようなもので、芝刈り機やBBQグリルを紹介するのと同じように、微分方程式やベクトルを紹介する。無数にあるホームセンターの商品の全てに精通しているのが店員の仕事だとしても、彼らは実際に芝刈りのプロでもなければベクトルを使って何か新しい価値を生み出したりすることができるわけでもない。

そのように数学を捉えた結果、実際の数学の成績は惨憺たるものだった(BBQグリルベクトルは好きだが芝刈り機漸化式には興味がない)が、多分、過去に吾輩に数学を教えたどの教師よりも数学アルジェブラを活用しているし、実際に価値を想像し、金を稼いでいる。それは英語も同じだ。

それは教師というものの宿命でもある。

吾輩は、常々、自分のプログラミング教室で教えた生徒たちが吾輩よりもプログラミングを活用して活躍して欲しいという願いを抱いている。

長岡は酒と肴と油揚げがうまい

東京でもやりたいな。初心者限定ハッカソン

AIフェスティバルのチケットの売れ行きがいいらしい。