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君は「勝ち組十戒」を知っているか?

俺は新潟大学教育学部附属長岡中学校に通っていた。今は学部名が違うらしいがどうでもいい。校長は新潟大学の教授で、実質的には副校長が仕切る学校だった。

俺は「学校始まって以来のクズ」と、教師どもに陰口を叩かれていた。40歳になってから初めて参加した同窓会で知ったが、俺が高校を受験するのでさえ「学校の恥だから高校に行くのはやめさせろ」と数学の徳永袈裟一先生や国語の下村先生に言われていたらしいが、僕の担任の斉藤先生は、美術の先生だったので「確かに清水はどうかしてるが、どうかしてる奴ほど新設校に行けば面白いことになる」と言って俺には一切何も言わなかった。

なんでこんな話をしたかというと、時空を超えて来月、母校で講演することになったからだ。学校始まって以来のクズが、その学校で講演する。しかもタダみたいな講演料で。コスパは最悪だ。まあ合理的に考えたら断るべきだ。俺に得は何もない。でもまあ、今もバカ教師どもに「学校始まって以来のクズ」だと言われてる昔の俺みたいな奴がいたら、せめてそいつを応援してやりたいと思って引き受けた。

中学でどれだけ生き方を否定されようと、別に楽しく生きていけるし、俺は学校の数学がまるでダメだったが、多分俺に教えてきたどの教師よりも数学を活用して仕事をしている。ベクトルと行列、その上位概念であるテンソルの扱いに関しては数学の教師なんかより俺の方が遥かに詳しいし得意だ。虚数単位が三つあるベクトルなんか彼らは想像すらしないだろう。実のところ、数学を教えてる教師は数学を道具として使えてない。もっと上手く数学を使う人は、俺の一万倍以上稼いでるだろう。マーク・ザッカーバーグとかジョージ・ソロスとかエリヤフ・ゴールドラットとか。彼らは中学生に数学を教えたりしない。

ちなみに、俺は打ち合わせで何度も、「俺は全く、見習うような先輩ではないですよ、除名されていてもおかしくないですよ。生徒たちが俺の真似をしたら保護者の皆さんと今の先生方が困りますよ」と説明した。ただでさえ、俺の学校のOBは問題のあるやつばかりだ。パパ活で知事を辞任した奴とか、公金を横領してスパコン作った奴とか。あえて名前は書かないが、調べればすぐに出てくる。

それでもやれというものだから、まあやってやるかという気持ちになった。ちなみに俺は学校始まって以来のクズなので、当日ドタキャンは全然あり得る。学校というものを全く重要なものだと思っていない。

俺が今、中学生だったら、間違いなくN高等学校に行く。N高等学校は進学の最適解だ。なぜなら好きなことをして十代の大切な三年間を過ごせる。俺はN高で教えたりもしてたから、N高生をインターンで雇ったりしてたし、彼ら彼女らが大学を受験するときに応援したりもした。そして実際、彼らは一流国立大学にAOで合格している。

認可されるかどうかまだわからないが、来年からできるZEN大学でも俺は教えることになっている。ZEN大学ができたのでN高に行かない理由は無くなってしまった。誰でも嫌いな勉強をせずに大卒資格を取ることができる。非常に面白い。京都大学に行った川上さんだからこんなことを思いついたのだろう。これは学歴ハックだ。ZEN大学からは遠からずノーベル賞受賞者が出るはずだ。なぜならZEN大学には東大松尾研と京大望月研が入るからだ。

まあいいや、話を戻そう。
俺の中学生活の最後の方で仲良くなった奴がいる。

そいつは、まあYとしようか。Yは、好きな女の子がいて、その子と同じ高校を受験しようと頑張ったがその高校には落ちて、地元でもっとも偏差値の低い高校に進学することになった。

その高校は俺たちにとっては失敗の象徴で、そこに行けば絶対に大学進学はできず、あとはヤンキー烈風隊みたいな人生しか待っていないと信じられていて、第一志望に行けずにその高校に受かった同級生がいても、迷わず中学浪人を選ぶといった極端な思想が蔓延していた。田舎者だからな。

ところがYは違った。

「もう一回、高校受験するのって馬鹿馬鹿しくね?それをするならここで勉強すれば良くね?勉強するのに学校とか場所とか関係ねえだろ」

俺は別の高校に行ったんだけど、時たま駅前の交差点でYと出くわすことがあった。

「清水、聞いてくれ。全国模試で三桁に入ったよ」

とか

「清水、聞いてくれ、全国模試で二桁をとったよ」

俺は耳を疑った。
お前、あんなZランク高校で、誰も勉強なんか真面目にしないと思われてる高校で、なんで勉強なんか頑張ってんだよ。お前、元々勉強得意な方じゃなかっただろ。

でもYは嬉々として成績上位者が掲載される冊子を俺に見せてくるのだった。

「清水、落合信彦って知ってるか?」

ある日、Yはそう聞いてきた。

「え、誰だそれ」

俺は本は好きだったが、その名前は覚えていなかった。

「オイルマンだよ」

「何それ、モンゴル相撲の力士?」

「違う。体にオイルを塗るんじゃなくて石油を売買するセールスマンだよ」

「へえ」

「俺はなあ、いつか落合信彦が言ってるみたいな、エネルギー業界に行きたいんだよ。オイルマンになりたいんだ」

それから俺は雑誌で連載が始まって、忙しくなったせいかYとも街中でバッタリ出くわすことは無くなった。その後、東京の大学に進学して、Yは風の噂で東京の名門大学に入ったと聞いた。その高校としては始まって以来の快挙だったらしい。中学始まって以来のクズの親友が、高校始まって以来の天才になった。人生とはかくも奇妙なものである。

それから十年が経った。
あるとき、きっかけは忘れたが、唐突に、俺はYから連絡をもらった。

そのとき俺は会社を辞めて独立したばっかりで、赤坂に事務所を開いていた。

風の噂でYは霞ヶ関のキャリア官僚になったということだ。
赤坂の店でYと再会した。

ひとしきり酒を飲み、それまでの人生がどうだったのかを聞いたあと、Yは不意にこう言った。

「清水、勝ち組クラブって知ってるか?」

「勝ち組クラブ!? なんだその感じの悪いサークルは」

「俺は落合信彦が好きでな。まあ、彼の本の真偽はよくわからないけど、それが高じて俺はオイルマンを目指して経産省でエネルギー担当になった。今やってるのはオイルじゃなくて原子力だけどな。その落合信彦のファンクラブの名前だよ」

「正気じゃないだろ。なんで自分で勝ち組を名乗ってるんだ?」

「なあ清水、お前、社長だろ。勝ち組クラブ、入ってくれよ」

「お前入ってるの?」

「いや・・・」

「なんで落合信彦ファンのお前が入ってないのに俺が入る必要があるんだよ」

「金あんだろ」

「ねえよ。大体会費いくらだよ」

「年間5000円くらい?」

「うーん」

そういうわけで勝ち組クラブに入るか入らないかでそこから20年くらい、Yと会うたびに揉めていた。結局、どちらも譲らず入らない状態が続いた。ある日、Yが連絡をよこしてきた。

「清水、大変だ」

「どうした?」

「勝ち組クラブが、新規メンバー募集を停止してしまった」

「ええっ!?」

「なんだよお前、だから入っておけって言ったのに」

「お互い様だろ」

その頃、Yは経産省を辞めて、中東にある石油会社に転職していた。本物のオイルマンになったのだ。

「勝ち組十戒、好きだったのに」

「あー、あれはいいこと書いてあったよな」

勝ち組十戒とは、勝ち組クラブのホームページに書いてある十の戒めいましめである。戒めというよりは、心構え、に近い。

勝ち組十戒は本当にいいことが書いてあって、これが実践できたらどんなにいいだろうと思った。初期のドワンゴでも、時々勝ち組クラブの話題が出て、「勝ち組十戒にこう書いてあっただろ」と飲みの席で話題には出るが、誰も勝ち組クラブには入らなかった。

というのも、当時は「勝ち組」という言葉が格好悪かったからだ。
ただ金を稼ぐしか能がなくて、高層マンションに住む人たちが「勝ち組」と呼ばれる時代があった。本当は、「勝ち組」「負け組」というのは、元々戦争が終わったときに、「結局、実質的には勝ったのだ」という人たちと「どう考えても負けたのだ」と思う人たちがいて、それらが「勝ち組」と「負け組」と言われていた。ところが20世紀末にはそれは経済的に成功した人と、そうでない人を指す言葉に変化していた。

「勝ち組クラブ」に入るほど自分は経済的に成功していないと、当時のドワンゴの社員はみんな思っていたし、会社を経営するようになった俺も同じだった。霞ヶ関の官僚も。だから興味はあるが「一体どんな人が入るのか」と不思議に思っていた。それが「勝ち組クラブ」である。

我々は勝ち組クラブには入らなかったが、勝ち組十戒は常に心の中にあった。

それから幾年露。俺は再びYと目黒の立ち飲み屋で飲んでいた。

「なあ清水、お前あいつ知ってんじゃーねえか?」

「あいつって?」

「ほら、なんかテレビとかに出てるさー、黒い」

「誰だよ。マイケル富岡か」

「バカ、ちげえよ。顔が黒いんじゃなくて服が黒いんだよ」

「そんなやつテレビにいくらでも出てるだろ」

「違うって、ほら、お前の業界じゃないんか。あの、落合陽一とかいう奴」

「ああ、"落合陽一くん"か」

「知り合いか?」

「いや、面識はないけど、彼の学生時代の作品は見たことがある。すごい作品だったよ。石鹸水にモーターで輪っかを漬けて、シャボン膜を作るんだ。そこに超指向性スピーカーで漣を立てて、プロジェクターから投影してるんだよ」

「それなんの意味があるんだ?」

「意味は知らんが、俺は彼の作品が好きだね。それが三枚あるんだよ。わざわざ。Z軸方向に」

「三枚あると何か違うのか?」

「彼はきっと、ホログラムディスプレイを作りたいんだよ。そんな未来を感じさせてくれる学生の作品を、俺は初めて見た」

「へえ。まあとにかくそいつがさ、結婚するらしいんだ」

「ああ」

「一般女性とってテレビで言ってたんだけど、お前だって一般人じゃねえかと思ったんだよ。なあ、どう思う?」

「しかしお前にとっては、落合陽一は一般人とは言えないだろう」

「え?なんで?」

「お前の崇拝する落合信彦の息子だぞ」

「ええっ!?マジかよ」

僕が"落合陽一くん"が落合信彦の息子だと知るまでには、落合陽一本人と知り合ってから随分後のことだった。

Yが崇拝し、人生までも変えられてしまった本の著者と、僕の好きなメディアアーティストの父が同一人物だったというのはなんたる偶然か。作風は全然違うのに。

ただ、落合信彦は国際ジャーナリストとしてアサヒ・スーパードライのCMに出るなど大活躍した後に、本の内容が嘘なのか本当なのか、脚色にしてもしすぎじゃないかとかなんとかメディアに散々叩かれていて、息子の陽一氏がそれをどう思っているのかは謎だった。

僕は信彦ではなく陽一氏のファンだったので、そこには触れないでおこうと本人にも何も言わなかった。別に親が誰であろうとその人の価値が上がったり下がったりはしない。

「Y、勝ち組十戒だよ。あれをよく見てみろ」

「え?勝ち組十戒、それとあの黒い服着てるやつが関係してんのか?」

勝ち組十戒を抜粋しよう。

一、信念 人を測る「自分だけのモノサシ」を持て
二、思考 金より頭と気を使え
三、選別 本気で付き合う人と、ほどほどに付き合う人を区別せよ
四、交渉 「No」ではなく、「Yes But」と言うように心掛けよ
五、挑戦 失敗がゼロは何もしないに等しい。前進あるのみ
六、オプティミズム 10や20の失敗で人生は終わったわけじゃない
七、成功 「人脈」を「ファン脈」に変えられたら「大化け」できる
八、個性 自分らしい付加価値、自分の「ウリ」と「武器」を持て
九、力量 嫉妬するより、嫉妬される人間になれ
十、対話 聞き上手になれ、コツは「相槌上手」「褒め上手」「びっくり上手」

「見てみろ。これは落合陽一のレシピそのものだ」

「なんで六だけカタカナなんだ。楽観じゃダメなのか」

「オプティミズムなんだよ」

「ここだけ、なんか励ますような口調になってるのは、なんか落合信彦にあったのか?」

「あっただろ。たくさん」

「ああ。まあ、あったな・・・」

「勝ち組十戒を誰より実践しているのが落合陽一だ。彼はとにかく礼儀正しい。気も使う。サービス精神は誰よりも旺盛だ」

「そんなふうには見えないが・・・」

「そこだよ。勝ち組十戒、ひとつ、人を測る自分だけのモノサシを持て」

「見た目に惑わされちゃダメってことか?」

ふたつ、金より頭と気を使え。彼ほど気を使う人間を見たことがないよ。俺は」

「そうなのか。でもなんか色々やらかしていそうに見えるが」

いつつ、失敗がゼロは何もしないに等しい。前進あるのみ」

「一体何をやってる人間なのかさっぱりわからない」

「それはやっつ、個性 自分らしい付加価値、自分の「ウリ」と「武器」を持て、だな。彼はメディアアーティストだよ。アートという「ウリ」と、プログラミングという「武器」を持っているんだ」

「でもなんかテレビとか出てわけわかんないこと言っててムカつかないか?」

「Y、それで正しいんだよ。ここのつ嫉妬するより、嫉妬される人間になれ、だな」

「清水くらいの荒くれ者がそこまでいうんだったらそうなのかもしれないな。テレビ見てたら全然わからないが。それがあれか、ななつ、「人脈」を「ファン脈」に変えろってやつか」

「とにかく彼は礼儀正しいからね。テレビって基本的に礼儀正しい人しか出れないよ。スタッフに嫌われたら絶対に呼ばれないから」

それから何年か後。
俺はロサンゼルスにいた。
世界最高のCG学会、SIGGRAPH。
ジェームズ・キャメロンやジョージ・ルーカスが基調講演をする、技術と芸術の祭典。その片隅に、きらりと光る作品があった。

その作品は、フェムト秒レーザーを使って空中に立体像を出現させ、さらに指で触ると立体像が変化するというものだった。

「ついにやったか」

作者は見なくてもわかる。落合陽一だ。
シャボン膜三枚で立体映像を作ろうとしていた学生時代の作品、あれはあれで味があった。しかし、きちんとこの形まで完成させたことで、彼のアーティストとしてのナラティブは完成した。

あるとき落合陽一くん(ここでは父君が出てくるので敢えてこう呼ばせていただく)が、珍しく父上の話をFacebookに書いていたことがある。

そこで思い切って聞いてみた。

「お父さんのこと、どう思っているの?」

するとすぐに答えが返ってきた。
きっと何年にもわたって考え続けてきたに違いない。

「父は本の内容のことでメディアに叩かれたが、自分は父と一緒に世界中を旅して実際に目の前で起きたことを知っている。父は作家だったから、嘘だなんだと言われても反論しにくいこともあった。だから自分は、エビデンスの残る科学と芸術というものに専念しようと思ったんです」

最近、彼は父君との共著を出した。
話が全然噛み合ってなくてなかなか大変だなと思わされる。

しかし落合信彦の著作がどうであれ、その語り口が魅力に溢れているのもまた事実。

そして勝ち組十戒を最も実践しているのが、息子の陽一氏であることはもはや疑う余地もあるまい。

落合陽一先生の作品が無料で見れる展示が明日まで京橋(東京駅からも歩けるよ)で開催中

↓落合先生がみずから解説するビデオ

落合先生の基調講演が見れるAIフェスティバルもチケット発売中ですよ