写真から3Dモデルを作っちゃうTripoが結構面白い。あと地球外少年少女とVisionPro
TripoSRというのが出た。誰でも無料で試せる。
写真を突っ込むと問答無用で3Dにしてくれる。しかも空いてれば数秒で。
ローカルでも動かせる。12GBくらいのVRAMがあれば。
BitNetによってVRAMは激減するのかと思いきや、どんどんVRAMが必要になっていく。最近発売されたH100は96GBくらい乗ってる。だとすると8基積めば768GBのシステムが組める。まあこのインフレはしばらく続くだろうなあ。
TripoSRは面白いのだが、解像度が物足りなくなってくる。
すると、本家のTripoに行きたくなる。
うまいプロモーションだよな。
ドラフトは数秒で出てくるが、5分くらい使うともっと解像度の高いモデルを生成してくれる
そして生成してみて思った
「これ、何に使うんだ」
いや、なんか使い道はあるのかもしれない。
最近のTripoは、自動リギングがあってTポーズの写真を入れればあとはリギングしてくれるから自分の3Dモデルを好きに動かせる。
・・・のだが、本当にそんなもの使うか?
「電脳コイル」の礒光雄監督の「地球外少年少女」を今更みた。
いや、正確にはオンエア(というか公開)時に映画好きおじさんが家にやってきて強制的に見せられたのだが酒飲んでいたので寝てしまい、その後何度見ようとしても寝てしまうという怪現象に見舞われてなかなか見れなかったのだが、ふと「ちゃんと見よう」と思ってちゃんとみた。すごくいいアニメだった。
AI美少女を作るためVisionProは大先生に貸しているのだが、そもそも俺は本当を言うと今更美少女とかに興味はない。身も蓋もないが。
「地球外少年少女」では、AIはドローンによって象徴される。
「地球外少年少女(繰り返すと長いなこの名前)」では、セブンというAIが超AI(人工超知能)になってしまったことによってAIに規制がかかるようになる。
ストーリーはとてもいい話で、現代のAIの延長線上にある真っ当なSFである。AI関係者は是非みてほしい。
だが俺が「いいな」と思ったのはどちらかというと話の本筋ではなくて脇道にある「ドローン」だ。
少年少女たちは「ドローン」を操る。
承認欲求の塊みたいなYouTuberのミーナはその名も「セルフィー」というドローンで自撮りを中継する。これは本当にありそうな未来だ(ドローンの飛行原理は謎だが)。
UN2(国連2.0)の嘱託職員である筑波大洋の使うドローン「ブライト」は白い立方体であり、そのライバルとなる主人公、相模登矢の扱う黒い球体ドローン「ダッキー」と対を成している。
やっぱりアシスタントはシンプルな見た目の方がいいよな。
ただ、ただの立方体や球体だと手抜きに見えるので、何か工夫は必要だと思うが。
月面に着陸したSora-Qは、球体で着地してそこから変形して砂地を歩行するように設計されている。ただの球体ではレゴリスの坂を登れない。形状が難問を解決するのだ。
ただ、作中で「電脳メガネ」をかけているのが一人だけだったのが気になった。「電脳コイル」では「電脳メガネ」を全員がかけているが、地球外の世界では電脳メガネはもう廃れてしまったのか。
幼稚園の時、「将来の夢は?」と聞かれて「レーダー技師」と答えたのをふと思い出す。
テレビか何かで見た登場人物の中で、一番機械に近い人物、それがレーダー技師(のように見えた)のだ。
主人公でも司令官でもなく、レーダー技師になりたかった僕の性質はそれから40年経ってもあまり変わってない。
機械の一番近くにいたいのだ。
スマホ以前の世界のことをみんな忘れてしまっている。
ケータイ以前の世界も確かにあった。
時間通りに約束した場所に行って、相手とちゃんと会えるのは奇跡に思えた。
VisionProとかその一般向けであるApple Visionみたいな製品が登場して普及しても、全員がそれを使うわけではない。
16インチのMacBookProを持ち歩く人はそう多くない。文字通りプロのための道具だからだ。
VisionProは便利である。
だがまだそこまでではない。手放せないというほどではない。
人々はあまりにも家で暮らすのに慣れてしまった。
もしかしたらVisionProがあれば僕の部屋の7枚のディスプレイと10台のコンピュータが片付くのだろうかと思ってみたが、片付くわけがなかった。
それぞれ別々の仕事をしているし、それ以外に個人用スーパーコンピュータもあるし、さくらのクラウドもある。
VisionProがあればそれらの画面を空間に一気に出現させることができる。これは便利だ。だが意外とそれだけなのだ。
VisionProを被ったまま風呂に入れない。これは結構問題だ。
物理的に入ることはできるが、もちろん髪は洗えない。あと、水に弱いらしいので壊れる可能性が高まる。AppleCare合わせて70万円(郵送費は友達に持ってきてもらったのでタダ)も出したのに壊したら直すのにまたアメリカに行かなければならない。
電脳メガネを全員が持つのではない世界観を描いた磯監督の意図はわからないが、まあ流行というのはいずれ廃れるものなのでドローンを持たずに(多分時代遅れの)電脳メガネを使う種子島博士はアナクロなオタクという表現なのかもしれない。
でもやっぱりこの世界観といえば山本弘なんだよなあ
山本弘の世界観は大好きなのだが、SFというものが物語というものの制約を受ける以上、どうしても何か事件が起きなければならず、その事件を追いかけるという形で結論を出さなくてはならない。地球外少年少女がそうであるように。
だとすると、SFという形態は結構不便なのではないかと思う。
もしくは、物語という形式をとらないSFというのがあり得るのかもしれない。
つまりただの妄想だ。宮崎駿の雑想ノートみたいな。
シド・ミードの絵も、基本的に妄想だが単体でSF作品になり得る。
面白いのは、少し前なら「電脳メガネで動くアプリ」のアイデアはSFだったし、その「アイデア集」はSF作品と見做されただろうが、VisionProが存在する現在においては、その「アイデア集」は単なる企画でしかない。
この二つの決定的な違いは、「SFとしてのアイデア集」の場合は実用性はどうでも良く「そういう解釈の幅があるか」と膝を打つようなものであれば作品として成立するが、「製品企画としてのアイデア集」は「で、それ何本売れるの?」というシビアな目線でしか評価されないことだ。
そしてVisionPro用のアプリというのは、今出ているもの全部足しても、基本的に大したことがない。
かつてあれだけiPhoneに熱狂し、iPadに熱狂し、その勢いでタブレット自体を作ってしまった僕のような人間でも、VisionProを見ても電脳コイルを初めて見た時以上の感動がないのだ。
その挙げ句が、結局AI美少女みたいなものと外を出歩くという、昔の倒錯した人形趣味みたいなものしか思いつかないとしたら、俺は耄碌したのか。
でも違うんだよな。
これが「違う」ということは俺にはわかるのだが俺以外の人にわかってもらえるかはわからん。
今はただ「AR/MR/XR」がある、できるという状態ではない。
そこにAIまでもがあるのだ。
「電脳コイル」の時代はこれほどAIが進歩することは想定されていなかった。「地球外少年少女」でも実はChatGPTのようなものがこんなに早く出現するとは想像されてなかったに違いない。
我々が生きるこの世界は、SF的想像力の遥か先をいくのである。
正直言って、「生成AIで一山当てようと考えてます」という話にはうんざりしている。最近そういうことを出会い頭、開口一番言う人が多いからだ。思っていても口に出すべきじゃないんだよ。馬鹿に見えるから。逆に言うと、そう名乗る人はみんな馬鹿なんだと思うことにしている。
そんでそんな人に「清水さんは何をしてる人なんですか」とか聞かれると「何もしてません」と答えたくなる。実際、毎日生成AI論文を追いかけていて、発信していても、その人たちのタイムラインに登らないようなことしかしてないんだから、何もしてないのと同じである。
「清水さんはエンジニア系ですか?」とか聞かれるのもうんざりする。なんだよエンジニア「系」って。お前だってビジネスマン「風」だろうが。
名刺から一才の肩書きを取っ払ってしまったのは正解だった。
余計な人と話をする必要がなくなるから。
最近、とある作家が帰り際に「参議院議員 ○○」と言う名刺を渡して帰っていったという話を聞いた。
僕の知っている偉大な政治家は、例えばかつて30代の若さで大阪万博を招致し、成功させた堺屋太一は、経済企画庁長官の頃、名刺には「堺屋太一」しか書いてなかった。
属性で人を見ると言うのは、自分の想像力が足りないことを自分で説明しているのに等しい。
AI時代で学校的な「お勉強」はいよいよ意味がなくなる。
ZEN大学が登場することで、大学のブランド的価値は消滅していくだろう。「どこの大学にいたか」よりも「何を作り出したか」の方がずっと重要になる。そして「何を作り出せるか」ということは、その人間の想像力に依存する。
想像力がない人間は、AIを使いこなすことはできない。
AIが補強してくれるのは想像力だが、0に何をかけても0だからだ。