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高校生向けにAIを教えることになった

今週末、新潟県長岡市で初心者向けAIハッカソンをやることになった。
打ち合わせをしていてあることに気づいた。

参加者の半分は高校生か高専生だった。
そして重大な事実を思い出す。

彼らはクレジットカードを持っていない。

アメリカみたいに、高校生になったらクレジットカードを持つような世界と違って、日本の高校生はクレジットカードなんか持ってない。

クレジットカードを持ってないとOpenAIのAPIにアクセスできない。確か。

高校生にかぎらない。
日本はクレジットカードを持ってる人は少ない。地方では特に。

そうするとそもそもの前提が崩れてしまう。
仕方ないので継之助にvllmを立てて、Tanukiかなんかを使ってもらうことにする。

後で本格的にやりたければ自分でクレジットカードを作るか親を説得するかして、OpenAIのAPIキーを取得するようにできる。

OpenAIのAPIを初心者向け講習に使うには別の問題もあって、一箇所から大量にアクセスするとブロックされる可能性がある。

また、OpenAIのTierによって使える機能が変わったりもする。
世界最先端のAIだからある程度は仕方ないかもしれないが、実はこんなところが敷居が高いのだ。

一年前なら絶望的だったが、今はGemma2もTanukiもあり、どちらもGPT-3.5くらいの性能は持っているから今回はこれでなんとかなるだろう。

AIに触れるのは若ければ若い方がいい。
AIをきっかけにプログラミングを学べば、プログラミングの面白さが早期にわかるはずだ。

僕が子供の頃、ほとんどの大人はキーボードが使えなかった。
「キーボード・アレルギー」なんて言葉があったくらいだ。

今、その頃の大人の年代になった。僕の年代でキーボードをちゃんと使えないことは社会的には相当不利だ。それどころか、僕の収入の大半は、キーボードを叩く速度から生まれている。内容ではない。速度だ。キーボードをたたく速さは、キーボードに触れた時間に比例する。僕がこの世界で生きてこれたのは、ただ他人より早い時期からキーボードに触っていたからだ。しかもできるだけ長い時間。

同じことがAIにも起きるだろう。
世界中の大人が、AIにおそれをなし、カリフォルニア州ではAIをボイコットする法案が可決された。

本当に重要な技術が出てきた時には、これは必ず通る道だ。
2000年にはバッキンガム宮殿では携帯電話の使用が禁止され、1990年代のIT企業では企業機密が漏洩するのを防ぐため、インターネットは禁止されていた。つい最近まで「Webページを持つことは業界に反抗することになる」という理由でテレビ関係の会社はWebページを持ってないことが多かった。

むしろ「ホームページがないことがカッコイイ」という狂った価値観が支配的だった業界もある。

同じように、今のAIは拒否反応と肯定する反応の両方を引き出している。

キーボードに触れるのは若ければ若い方が良かった。
AIも同じだ。AIを使う時間が長ければ長いほど、その子供は10年後、20年後にAIを手足のように活用して社会で活躍する人間になっているだろう。

僕が子供の頃、プログラミングのハードルはもっとずっと高かった。
僕が子供の頃、キーボードを打つというのは、文章を書くことよりもプログラミングすることに専ら使われた。

ということは、プログラミングに脱落した子供は、キーボードに触れる時間が相対的に短くなった。

先日、母校の中学校から講演の依頼がきた。

依頼が来て思い出したのだが、僕は中学では学校始まって以来の問題児と呼ばれていた。学校が始まったのは50年くらい前だから学校が始まった時のことなんか誰も知らないはずだが、まあそれこそ校舎のガラスを(不注意から)よく割ったり、先輩に処分しろと言われた成人向け雑誌を屋上で焚き火したり、鬼ごっこで体育館の屋根から飛び降りて逃げたり、学校の地下に潜って遊んだり、勝手に我慢大会を企画してビデオを撮ったり、放送室で・・・まあそれはいいとしよう。とにかく犯罪以外の悪さはほとんど全部やったのではないか。

小学校四年生の頃だったか、副校長先生に呼ばれて新設される「コンピュータ教室」を見学することになった。なぜ副校長先生が僕を呼んだのかよく覚えていない。

教室にずらりと並んだIBM5550のグリーンディスプレイは、家のPC-9801より随分前時代的に見えたが、値段はずっと高かったはずだ。

その頃の子供は、ちょっと詳しければプログラミングするのは当たり前だった。

音楽のプログラミングが得意なカバ沢と、家庭科の授業で使う栄養価のレーダーチャートを表示するプログラムを作った。起動すると、無駄にドラゴンクエストのファンファーレが鳴り響く。

今この瞬間も、世界のどこかの小学校で、AIを使ったプログラミングで新しいイタズラが行われているかもしれない。

NHKでやっていたイギリスのテレビドラマ「マックス・ヘッドルーム」では調査開発室Research & Developmentで働くのは16歳のブライス・リンチただ一人。ブライスは、色々なものを発明してしまう。時には人の命を奪うようなものまで。しかも無邪気に。そういう世界観だった。

VHS版の「マックス・ヘッドルーム」ではブライスの子供時代(当時もまだ子供だが)に通っていた学校の様子が描かれる。そこは天才少年少女たちが無邪気にとんでもないものを発明して、それを「シスオペ」と呼ばれる教師たちが必死で押さえつける場所だった。

このVHSは残念ながらもはや入手困難品だ。英語版ならDVDがある。

あらゆる偉大な発明は、遊びや悪ふざけの中から生まれる。
偉大なるOS、UNIXは、ゲームを遊ぶために生み出された。そのためにC言語も発明された。

今、UNIXの末裔は、LinuxやmacOSとして世界を席巻している。Windowの上だってLinuxは動く。Microsoftの利益の源泉は、もはやWindowsではなく実はLinuxだ。Microsoft Azureが利益の源泉だからだ。あそこでわざわざWindows Serverを選択する人は、よほど何か窮地に追い込まれた人だけだ。

AIでどう遊ぶか。
遊びの天才と呼べるのは、昔も今も子供たちだけなのだ。

そう考えると、高校生向けにAIを教えるのは非常に大きな意義がある。
ついでに言えば、秋葉原プログラミング教室の片隅にでもA6000くらいのマシンを置いてvllmでなんか走らせておけばいつでもAIで遊ぶことができる。これはきっと意味のあることだろう。