世界を回り、帰ってきたのは日本だった
私は、「今の」日本は嫌いだ。なのに、私はここで根ざすことにした。今思えば、苦しみながらも、もがきながらも、まだ見ぬ「日本の魂」を見たかったのではないかと思う。
私は中国で生まれ、祖母が中国残留孤児であるため、12歳の時に家族と共に日本に移住してきた。思春期を迎える頃だったのも大きく、当時の様々な衝撃は心に刻むこととなった。
とてもはっきりと覚えているのが一つある。私は中国で歌とダンスにとても力を入れており、自分が住む町ではちょっとした有名人でした。そんな自分は一番自信があったものを手放して日本に来させられ、とてもショックでした。だから、友人ができた時は披露したくて仕方なく、そうすれば仲良くしてもらえると思った。
しかし、初めはみんな笑顔で迎えてくれるも、ある日突然、仲良くしていた友達何人かに囲まれ、「自慢するのやめてくれる?」と言われた。
私は凍り付いた。(※当時の友達を責めるつもりはありません。文化の違いですから。)
文化の勉強もした今なら、日本人の特徴を文化の違いとして捉え、「出る杭は打たれる」なんて言葉も知っている。日本と言えば、町がキレイ、治安がいい、おもてなし、交通機関が時間通り、トイレにウォッシュレットが付いてる…あげたら本当に沢山ある。 しかし、やはり同調圧力や、本音と建前文化、暗黙のルールの多さなど、見えない圧力によるストレスがあるのも事実。そこに日本人も苦しんでいるのではないではないか?
多くの日本人はこれを「日本の美意識」だと捉えている。例えば、表現しないことや、主張しないこと、更には意見を合わせることまでも、どこか「相手のため」/「おもてなし」として捉えていることろがあるのではないかと感じる。しかし、中国と日本で各12年間過ごしてきた私は、これは本来の美意識ではない!と声高に言いたい。
うまく表現できないが、、例えば、試合で戦っているとき、例え負けが決まっていても、ケガをしていても、多くの日本人は最後まで全力でやり通す。これは勝敗よりも、戦い方を重視するということで、日本人の心に根差している「名誉」という名の美意識なのではないではないか?
また、映画から伺う日本の美意識もある。茶道を描いた『日日是好日』という映画では、水の音とい「うシンプルな日常」の中に広がる「多様な世界観」の表現、 風によって動かされている「固体の葉っぱ」の中で「激しく動く葉緑体」の生命力の強さの表現…
この日本の良さに深く気づかされたのも、Noh Jesuという一人の韓国人でした。彼は、日本に無限の可能性を感じ、Japan Mission, Japan Dream, Japan Miracleを今日まで26年間、論理と根拠を持って訴え続けてきました。そのメッセージには中国人の私が涙するほど…
立ち上がれ!日本!
日本はこんなもんじゃない。日本が立ち上がることが世界平和を成し遂げるのです。
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