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他人軸で生きるあなたへ

初めまして。
ここに辿り着いてくれて、ありがとうございます。

大阪で大学生をしてます、19歳の伊藤 暖と申します。

私はNoteというものが本当に好きなんです。
まず、文章を読むのが好き。書くことももちろん大好き。
(本当は手書きがいいんだけれど。)

でも下書きを書きためるだけで人に見せることはしてこなかった。
なぜって、どうしても人の目を気にしてしまうから。自分が他人の評価を優先してしまう人間だから。

自分が文章を発信することで、もしかしたら誰かの心に刺さるかもしれないし、誰かに影響を与えて、億が一でもその人を救えるかもしれない。

それでもどうしても「この文章を読まれたらどう思われるのか」ばかり考えてしまう。

今この文章を書きながらも、「誰から、どんな風に見られるんだろう」そればっかりを考えています。

「あの人が読んだらどう思うんだろう」
「マイナスプロモーションになってるかも」
「ネガティブな内容って書かない方がいいかな」
とかとか。

そもそも自分にはNoteなんて向いてないのかもしれない。
発信なんてするべき人間じゃないのかもしれない。

そんな自分が嫌いだけれども、どこかでそんな自分を愛してあげたい気持ちもあって。

理想として、ずっと利他的な人間でいたい。
それは自分の中で最重要事項。

でも利他的なまま、自分軸で生きていけるほど器用じゃない。

「自分の軸がある」って本当にすごいし、そんな人達を心底尊敬する。
だからこそ、なんだかんだ自分には結局無理なんだろうって内心諦めてる。

他人軸ってそんなに悪いことなのだろうか。

よく「自分軸と他人軸」みたいな対比で、自分軸の方が成長出来る、幸せになれる、みたいに語られる。

自分は他人軸を肯定したい。

他人軸は人と衝突することが少ないから、誰かを傷つけることも少ないし、自分が傷付くこともそんなにない。
周囲を優先する「利他心」と強く結びついていると思う。

一旦「他人軸は美しい」と思うことにする。

だから自分はまだ当分、他人軸で生きる。


あなたの「他人軸」もきっと美しい。

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