人としてあるべき姿
鬼滅の刃 無限列車篇を観てきた。
前評判がすごかったので、期待値が上がったまま観に行ったのだけど、劇場は子どもが多くて割とうるさかったりして、最初の方はなかなか没入できなかった。
ところが、後半。上弦の参・猗窩座と煉獄さんとの熾烈な闘いに入ってから、もう目が離せなくなった。息を止めてしまうほどの凄まじいやりとり。下弦の壱を軽々といなしていたのとは打って変わって、拮抗する互いの力。でも、すぐに回復する鬼とは違って、煉獄さんはどんどん傷ついていく。
死ぬぞ、執拗に鬼になれと迫る猗窩座に対して、煉獄さんの眼は決して曇らなかった。どこまでも澄んだ目で、ここにいる人をを守ることこそが自分の責務であると、それを全うすると強く言い放った。鬼には決してならないと。
なんて心の強い人なんだろうか。瀕死にあっても決して揺らがない不屈の覚悟。成すべきことを成す、その一念を貫き通す胆力。ただ単に技量が、力が強いんじゃなく、人としての優しさと温かさに溢れている。それが煉獄杏寿郎の真の強さなのだと思う。
猗窩座に腕で腹を貫かれ「お前は選ばれし強い者なのだ」と言われた時、煉獄さんが思い出したのは母上とのやり取りだった。「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です」という母上の教え。恵まれたものは、恵まれず弱い立場にある人を護らなければならない。世のため人のために、その才を振るわねばならない。ノブレスオブリージュの考えだ、と思った。煉獄さんはこの教えを誠実に体現して邁進してきたのだなと。この信念があるからこそ、この人はこんなにも強く在れるのだ。
こんなふうに考えられる日本人が今どれだけいるだろう。自分のことしか考えてない人ばかりの世の中にあって、煉獄さんの圧倒的な人間性が眩しいくらい響いた。こんなふうに考えられる人が増えたら、素晴らしい世界になるのに。煉獄さんの言葉や行動は、人間があるべき姿をもう一度鮮やかに鮮烈に思い出させてくれる。
腕を斬って逃げた猗窩座に炭治郎が投げつけた言葉が、もう、聞いている側から胸が詰まってぽろぽろぽろぽろ泣いてしまった。世渡りが上手く、時流に乗って裕福に暮らす人々に対して、虐げられて、弱く脆い立場で一生懸命もがきながら生きる人たちを擁護するような叫びに聞こえた。鬼殺隊のように、不利な環境にあっても、辛くても傷ついても、みんな守るべきものを守るために真正面から戦ってる。煉獄さんの方がずっとすごいんだ、煉獄さんは負けてない…守り抜いた、煉獄さんの勝ちだ…!炭治郎はきっと、悔しい気持ちとなにくその気持ちと、哀しみとがないまぜになって声の限り自分の気持ちを爆発させたのだと思う。私の心も、そうだそうだそうだ…!と共鳴してた。
死を目の前にした煉獄さんが炭治郎にかけた言葉の一つ一つが心に突き刺さって、胸がいっぱいだった。最後の最期まで、煉獄さんは人としてあるべき姿を、生きるべき姿を見せ続けた。
胸を張って生きろ
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ 歯を食いしばって前を向け
君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない 共に寄り添って悲しんではくれない
この言葉にはっと胸を突かれた。いつも後ろ向きで嘆いてばかりいる自分をすかし見られたようだった。煉獄さんだって最初からこんなに強かったわけじゃない。この人は、強く優しく『在ろう』と覚悟を決めて、それを貫くために鍛錬を重ねてきたのだ。前だけを向いてきたのだ。だからこの人の言葉には重みがある。ずしりと響く。この人の「信じる」には、優しさと心からの信頼がある。
並の精神力ではこの人生を支えられなかっただろう。自分の信念を疑わず、信じた道をゆくこと。煉獄杏寿郎は、人の強さそのものだ。私が憧れてやまない、美しく尊い人の姿そのものだ。だからこんなにも胸を打たれる。力をもらえる。この人の信念を継いでいこうと、思える。