等身大の自分
誰でも
見栄を張りたい。
ウソをつかなきゃ。
そんな場面がある。
僕もよくウソをつき、
見栄を張った。
そんなとき思っていたのは、
人と対峙するとき
「この人もウソをついているんじゃないか」
「見栄はってんじゃないのか」
そんな思いになる。
その人本人じゃなくて、
その人の周りにある”邪”みたいなものが見える。
最近気づいたのは、
たぶん他人の周りに見える”邪”は、
自分のそれを映し出してるんだなということ。
だからこそ、
人と向き合うことは、
自分と向き合うこと。
人と話して、
今の自分どんな感情だ?
あ、今の嬉しい!
わ、なんかうざい。。
そんな気持ちに素直になると、
自然と自分って見えてくるんじゃないか。
等身大で生きること
見栄を張らず、常識に縛られず、
ありのままに生きること。
じゃあ何が等身大であろうとする自分
=本当の自分から自分を遠ざけた?
上手くいかないとき、
環境に文句を言う自分。
お金がない
国に文句を言う自分。
自分で何とかしようと思えば
何とかできる問題ばっかだった。
でもなんとかしなかったのは自分自身。
そして、着飾った。
なにもないと知ってしまった自分に、
いろんな飾りをつけた。
ウソをつき、見栄をはり、常識に従い、
本当の自分から遠ざかった。
何が自分を等身大から遠ざける?
たぶんはそれは一生自分。