0.まえがき
医学部での普段の勉強は、ついつい各試験に向けて詰め込んで試験が終わったら多くのことを忘れてしまう、ということが多い。医学生とはいっても、ほとんどは他の学部に入った学生と同じように大学入試を終え、大学生活を楽しみたいという気持ちでいっぱいで、勉強は効率良くこなして日々の試験に受かりさえすればいいと思っていることが大半だ。
しかし、そういった形の勉強だけでは不十分なのではないかと僕は思った。もちろん、試験勉強にも網羅的に勉強できるというメリットがあるし、そもそも勉強に対する外的動機付けの中で試験はかなり効力のある方だと思う(特に厳しい受験勉強をくぐり抜けた医学部生にとっては)。
でも、将来医師になるに当たってはきちんと知識を身につけなければならないし、そのためには医学を学ぶことへの内的動機付けが必要だ。内的動機付けということはすなわち、自分からモチベーション・情動を持って医学知識に接することのできるような学び方を以て学ぶということだ。
そんな事をぼんやりと考えていた中、久々にレポートのテーマを決めるためChat GPTを使い、改めてこの生成AIの優秀さに驚かされた。そこでChat GPTとこの事についてもチャットしてみた結果、意外にも多くの回答が返ってきた。その回答に加え、筆者の補足や感想を加えたものをこれから記そうと思う。
少し長くなるはずなので、目次を持って興味を持った所だけ読んで頂ければ幸いだ。
1.方法
Chat GPTに、以下の順で発言を行った。
①病気を患者の視点から、現象学的に学ぶことは有用ですか。
②医学生が病気を覚える上で、より網羅的にそのような学びをしたいです。
2.Chat GPTの回答と、筆者のちょっとした補足
まず、発言①「病気を患者の視点から、現象学的に学ぶことは有用ですか」に対する回答を引用する。
この回答に関しては特に言及しなくていいだろう。
少し補足するとすれば、「現象学」についてだ。現象学という言葉は様々な意味に用いられているが、この文脈においては『〈自閉症学〉のすすめ オーティズム・スタディーズの時代』にて野尻英一氏の説明していた以下の語義が当てはまっているように思う。
次に、発言②「医学生が病気を覚える上で、より網羅的にそのような学びをしたいです」に対する回答だ。
以下には、ChatGPTの示した全部で15のアプローチが続くので、1つずつ見ていこうと思う。
①現象学的アプローチの基本を学ぶ
ChatGPTが提示した三つの書籍については、それぞれ邦訳が出ている。
・アーサー・W・Frank著 鈴木智之訳『傷ついた物語の語り手 身体・病い・倫理』
・リタ・シャロン著 斎藤清二・岸本寛史・宮田靖志・山本和利訳『ナラティブ・メディスン 物語能力が医療を変える』
・スーザン・ソンタグ著 富山太佳夫訳『隠喩としての病い エイズとその隠喩』
②患者のナラティブを学ぶ
ChatGPTの示した書籍3つの内、下2つは邦訳がなされている。
・ポール・カラニシ著 田中文訳『いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」』
・ミッチ・アルボム著 別宮貞徳訳『モリー先生との火曜日』
ただ、こういった本はおそらく日本のものの方がいいだろう。そう思って、以下の追加質問をした。
「②の患者のナラティブを学ぶ、において日本の本を紹介できますか。」
そして、その回答が以下だ。(詳細が間違っているものもあるが、原文ママで載せる。)
③実践的な学び
④多分野からの学び
⑤医学教育プログラムの活用
⑥リフレクティブ・ジャーナリング
⑦関連するオンラインリソースの利用
⑧インター・プロフェッショナル・エデュケーション(IPE)
ここにきて馴染みのあるワードが出てきた。IPEは多くの日本の医学部でカリキュラムに組みこまれていると思う。実際、筆者の大学にもあった。
⑨カルチュラル・コンピテンスの向上
この本の邦訳は以下だ。
・アン・ファディマン著 忠平美幸・齋藤慎子訳『精霊に捕まって倒れる 医療者とモン族の患者、二つの文化の衝突』
⑩フィールドワーク・エクスカーション
⑪患者会やサポートグループの参加
⑫インタビューとケーススタディ
⑬反省会やディスカッション
⑫や⑬は症例検討とか、カンファレンスみたいなものだね。
⑭リサーチプロジェクト
なんだか、小学生の自由研究みたいだ。小学生にもできるのだから、大学生にもできるはず。
⑮エビデンスに基づく医学(EBM)
At last, ChatGPTの総括
3.回答を受けて:今後の模索と展望
ChatGPTの回答は、結局NBMを身につけるにはどうすればよいか、そしてその多くは臨床で身につけることができる、という点に終始していた。
確かに、先輩から「臨床実習ではCBTなどで学んだことが身をもって覚えられる」という体験談を聞いたこともある。
しかし、筆者の希望はそれを先取りすることだ。
先取りするのであれば、全てを学ぶ必要はない。自分が熱意をもってできる限りの予習をすればよいのだ。それはつまり、「自由研究」のテーマを見つけることでもある。
最近、千葉雅也氏の『センスの哲学』という本を読んだ。その付録に、芸術と生活をつなぐワーク、と題して生活に芸術性を持ちこむ方法論が記されている。
自分の熱情を注げるということはつまり、自分の偶然性に目覚め、"リズムにノる"ことだ。そのためにはまず、自分をセルフ"精神分析"(つまるところは自己分析だ)していかなくてはならないのかもしれない。
そのためのヒントが千葉雅也氏の『勉強の哲学』や『センスの哲学』に書かれていそうだ、と思った。
これが今回の会話を受けての筆者の終着点でした。