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「私が人を殺した」


「私は人を殺した」某にそう言った

某は、「あなたは人を殺してません」

しかし、私は、直接ではなく間接的に殺してしまった。

人が話をしているのを遮ってしまった。人が欲しいものを奪ってしまった。私を大事に想っている人を忘れてしまった。

某は、「それは自分の認識だけで殺しているかは分からないのではないだろうか?」

私は、確かに「殺している」とは物騒だがその通りだと思う。しかし、そのように感じる人は私だけでなく皆さんにも当てはまるのかと

実際、殺人事件のことの発端は自分の不満が「殺されている」から起きるのであって、だからと言って「私が殺されたからあの人を殺した」というのは支離滅裂である。しかし、だからと言って「自分を殺す」のは良くない。私の環境が、世界が、抑制されていては自分の権利が殺されてしまう。かといってあなたに高圧的になるのは、あなたを私が「殺して」しまう。難しい問題である。どうすればより良くなるのだろうか?妥協、寛容、中立、流れに身を任せて私とあなたとの間に流動性を与えて雰囲気をかえるのが

「私が人を殺さない」大きな一步になるのではないか!?

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