「私は人を殺した」某にそう言った 某は、「あなたは人を殺してません」 しかし、私は、直接ではなく間接的に殺してしまった。 人が話をしているのを遮ってしまった。人が欲しいものを奪ってしまった。私を大事に想っている人を忘れてしまった。 某は、「それは自分の認識だけで殺しているかは分からないのではないだろうか?」 私は、確かに「殺している」とは物騒だがその通りだと思う。しかし、そのように感じる人は私だけでなく皆さんにも当てはまるのかと 実際、殺人事件のことの発端は自分の
人を殺してはいけない。私は、古い昔から伝統を受けついできた。では、人を殺すとはどういうことなのだろうか? 某は答える。 「文字通りの意味ですよ。それ以上に答答えなどいりますか?」私は曖昧にその答えを受け入れる。しかし、それらの答えでは、私が殺されてしまう。つまり、私が空気のように存在してはいないと感じてしまうのだ。生物には、生物として成り立つために、いらないものを「殺して」自己を成り立つ機能が備わっている。私が殺されるとは、自然の摂理と同じなのだろうか? 私を殺しているのは、
一般意志とは 国民の意思あるいは民意を指している。 そこにこそ主権があるのであり これは中間に介在する議員に権限が移譲されはしない。 代議士は一般意志の代理者でもなく、また民意は誰かがそれに代わって代表するものではない。 これを現在の議会制民主主義は、 あきらかに曲解し、すり替えた解釈で議員が民意を代表しているとして、権力を掌握し政治的実行支配をしてしまっているといえる。 ここに大きな誤りがある。 社会契約論は人と人が社会を介して契約がなされるものであり、借り物やオリジ
儒教で説く五つの徳目がある この五徳を拡充していくことにより、人の道を全うすることが出来ると言われています 仁は、情け深さや人を思いやる心。己の欲望を抑えて慈悲の心で万人を愛すこと 義は、人の行動や思想、道徳で「よい」「ただしい」とされる概念。私利私欲にとらわれず、人としてただしい行いをし、自分のなすべきことをする正しい生き方 礼は、社会的な作法や儀礼のこと。社会秩序を円滑に維持するために必要な礼儀作法 智は、知恵や理性。知性や知識だけではなく、道徳的な認識や判断す
哲学における「普遍性」 ・「抽象概念」を使用する。 ex, 全体、無限、完全、同一、一、多 ・世界の「原理」とは何か→見出すこと ↓ 概念の実体化←具体的に論理を空洞化をふせぐ 形而上学 形ないもの ex,プラトン「魂」 神の視点 精神的なもの 思想というものは過剰な成功ゲームの論理から生じる人間性の危機を立て直そうとする動機を持っている ↑ 哲学、思想の世界史はこの反動形成の長い歴史である 魂の至上主義 ・成功ゲームの価値を
大局から小局へ 国をよく治めた ↓ 家を整えた ↓ 個人の一身を修めた ↓ 心を正した ↓ 意念を真実なものにした。 ↓ 認識を十分にきわめた ↓ 認識の対象であるものごとについて それぞれの道理をきわめめ尽くすことである。 小局から大局へ ものごとの道理がきわめ尽くされる ↓ 認識が十分になる ↓ 意念が真実になる ↓ 心が正しくなる ↓ 一心が修まる ↓ 家が整う ↓ 国家がよく治まる ↓ 世界中が平和になる。
「義」 卑劣な行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない 「勇」 勇とは義(ただ)しき事をなすことである 「仁」 愛・寛容・愛情・同情・憐憫は古来最高の徳とする。 「礼」 他人の感情に対する同情的思いやりの外にあらわれたるモノである 「誠」 信実と誠実なくしては礼儀は茶番である