見出し画像

社会契約論からの自分なりの現代の発展

一般意志とは
国民の意思あるいは民意を指している。
そこにこそ主権があるのであり
これは中間に介在する議員に権限が移譲されはしない。

代議士は一般意志の代理者でもなく、また民意は誰かがそれに代わって代表するものではない。

これを現在の議会制民主主義は、
あきらかに曲解し、すり替えた解釈で議員が民意を代表しているとして、権力を掌握し政治的実行支配をしてしまっているといえる。
ここに大きな誤りがある。

社会契約論は人と人が社会を介して契約がなされるものであり、借り物やオリジナリティが属するのはあくまで社会であって、そこに人と人の間に付加価値をつけるものではない。「お金」とか「権威」が判断できるのは無機質で欲望に囚われてはならない。ならばどのようにして社会生活を送るか?

中立、節制、無機質、な「社会」
あくまで公平な飾らない

「リヴァイアサン」ホッブズ
自然状態、な社会と契約する
「統治二論」ロック
現代の一番統治形態に近いと現代政治

ここからどのようにして根底にある人間のエゴを取り除くか、組織化していると尚難しい。

この2冊を更に昇華させたのがルソーである。
しかし、理想はなかなかに難しい。

近年、デジタル化が著しく進み、AIがその役目を出来るという考えと作品を通じて警鈴を鳴らす動きがある。

画一化が進むのは良くないが、「社会」のしくみとしては帰結するのも至極当然である

まとめとして、【社会契約論】から現代に学べることは、ひとりひとりの個でも組織の力でも公平になれる「社会」が一日でも早く、読者の目に入って問題提起するアクションがあれば、読んでいただき幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!