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【短編小説】少女と母

 以下の小説は第57回北日本文学賞で一次選考落ちした作品「少女と母」です。約1万字程度の短い小説なのでお暇つぶしにご覧ください。

 

 死んじゃったら何も分からないんだよ、と母は時々言っていた。だから死んだ人に対して色々やってあげる必要はない、と。それは死んだ人に対して自分が何かをしたくないという意味ではなく、自分が死んだ後に自分に何かしてくれなくて構わない、という意味の遠慮だったのだと思う。母自身が故人に対して何もしていなかったかと言うと、そんなことは決してない。葬儀や法事の類はしっかり参加する人だ。
 母は、死んじゃったら何も分からない、と心底から思っていた訳ではないはずだ。だって母方の祖母が亡くなった後、母は祖母の遺体に何度か話しかけていた。母より遅れて通夜の会場に兄が現れた時、母が遺体に「来てくれたからね!」と話しかけていたのをよく覚えている。兄は少し驚いた表情をしていたけれど、何も言わなかった。母の気持ちが分かったからだろう。私もそうだ。
 もう一つ印象的なのが、通夜から帰る前のこと。皆が会場から出ようとしている時に、母は棺桶を覗きこんで「明日も来るからね」と言っていた。まるで少女のようだと思ったのをよく覚えている。私にはいつも厳しく説教ばかりしていたその人が、祖母の前では子どものようだった。なんだか背中が私に似ている気がした。その時の母はもう五十歳も過ぎた立派な大人だったのに。
 母は祖母の前ではいつも少女だったのかもしれない。死んじゃったら何も分からない、なんて頭では考えていても、親の前ではそう考えないのかもしれない。私はどうだろう?振り返るといくつになっても子どものように母に接していた記憶ばかり蘇る。今でも、これからも、ずっと母の前では子どもなのかもしれない、なんて。

 二十五歳の頃、初めて子宮がん検診をした。職場の健康診断の時に自己負担費を千円払えば、細胞自己採取の検査が可能だったからだ。検査キットを使って自分で検体を取り、検査機関に提出するやり方だった。病気になるのは怖いから一応、という軽い気持ちだった。少し雑なやり方で検体を取ってしまった気もする。
 結果は、要再検査だった。
 その結果を見た時はとにかく戸惑った。要再検査って、つまり、何か悪い細胞が見つかったということ? そういうことだよね? 何度か検査結果の文字列を見直したが、何度見ても同じだった。私の子宮には、何か異変がある?
 いっきに恐ろしくなった。再検査が必要な程度には何か異変がある、という事実だけで、自分の将来が不安になった。がんは現代医療では完治する場合も多いけれど、少なくとも治療には苦痛が伴うに違いない。それに、何より。
 私は子どもを産めなくなってしまうのか?
 その可能性を考えた時、反射的に「嫌だ」と思った。子どもを産みたいかどうかも殆ど考えたことは無かったくせに、いざ子宮を失う可能性を目の当たりにすると、絶対に嫌だった。子どもを産むかどうか、決める余地すら与えられないのは辛い。怯えながら再検査を受けに行った。
 再検査のために訪れた婦人科の病院で、乳児を連れた女性が待合室にいた。少し離れたところに座っている私に、その子は微笑みかけてくれた。まるで私を励ますみたいだった。
 それまで真剣に出産について考えたことはなかった。いつかは結婚して出産するかもしれないと漠然とした想像しかなかった。でも、産みたくなった。子宮の異常を見つけるための検査を受けに来た場所で、私を励ました笑顔はとても可愛かったから。私は、子宮を失うわけにはいかないのだと思った。

  再検査の結果は、異常なしだった。拍子抜けした。後から医師が教えてくれた話では、細胞自己採取の検査は正確な結果が得られにくいという。それに加えて私は少し雑に細胞を取ってしまった。だから不正確な結果だったのだろう。
 医師の話を聞いて急激に安堵しながら、じゃあ子どもを産めるのか、と考えた。恐れていた不安要素は消え、むしろ早く子どもを産みたい、と考え始めた。健康なうちに、なるべく安全に、子どもを産みたい。そのために結婚もしたいから、パートナーも探したい。急に具体的に考えた。
 検査のあと、気付くと婚活のことを調べていた。友人数人にもどんな婚活をすると良いか助言を求めた。そこで従姉妹が結婚相談所を利用して結婚相手を見つけたことを思い出し、従姉妹に電話をしてどうだったか聞いてみた。
「結婚相談所は一人一人の利用者に担当のコンシェルジュがついてくれるよ!」
 詳しく聞くと、相談所の方で一人一人の顧客に担当コンシェルジュを決めて、そのコンシェルジュが相性の良さそうな相手を見つけたり、良い印象を与えられるプロフィールの書き方を伝授してくれるらしい。もちろんマッチングアプリ等に比べて格段に利用料がかかるわけだが。でも値段が高いだけに真剣に結婚したい利用者しかいないよ、と従姉妹は言った。彼女が欲しいだけで結婚する気のない利用者がいない、というのは魅力的だ。私は彼氏が欲しいのではなく、結婚してともに子を育てるパートナーが欲しいのだから。
「結婚相談所、使ってみようかな」
 そこから私の婚活が始まった。
 従姉妹が使ったという結婚相談所は全国各地に店舗があり、電話をすればお薦めの店舗を教えてくれるという。まず電話したら、一度無料のサービス紹介を聞きに来てもらえないか、と言われたので行ってみることにした。「本日はよろしくお願いします」
 担当してくれる女性はそう言って、にっこりと綺麗な笑顔を見せた。なんだかバリバリ仕事ができそうな格好いい女性だ。高橋です、と名乗って、彼女はサービスを説明してくれた。私は一通り説明を受けてから質問もしてみた。成婚率の高さから、とても魅力的に感じた。それでも月額三万円という金額に煮え切らずにいる私に、高橋さんはこう言った。
「お客様はとても魅力的な女性ですから、もし入会していただければ、きっと三か月もせずにパートナーが見つかりますよ」
 心強いその言葉に、思わず入会してしまった。
 今思うとその言葉は説明を受けに来た全ての客に言っているのかもしれない。でもその当時の私は高橋さんの言い方や笑顔や人を奮い立たせる目力に、気が大きくなっていたのだ。彼女がそう言うならきっと、と思って入会を決めた。

 最初の一か月、なかなか相性のいい相手が見つからなかった。私は元々、恋愛経験が豊富ではないのだ。自分では会話が弾んだと思っても相手はそう思っていなかったことが後から分かったりして、お互いに好感を持てる相手がなかなか見つからなかった。高橋さんに言わせると、こういうことだ。
「そんな簡単に両想いになれる相手が見つかるなら、結婚相談所なんて必要とされませんよ。一か月では見つからないのが当然です」
 それもそうだな、とは思いながら、徐々に婚活へのやる気は失われていった。私は魅力がないということか。自信がなくなりかけると、高橋さんにアドバイスを貰いに行くのも億劫になっていった。それでも一応定期的に結婚相談所へ足を運び、高橋さんに励まされ、相性の良さそうな男性を紹介されお茶をしていた。そんなある日、彼に出会った。
「はじめまして。斉藤光紀です」
 そう言ってその人は、サラリーマンばかり歩いている駅前の待ち合わせ場所に現れた。なんだか地味で、腰が低くて、事前に写真で見た雰囲気とは違っていた。でも悪い印象はなかった。痩せて背が高くてポロシャツとチノパンを身に着けていて、清潔感のある人だった。はにかんだような彼の笑顔を見て、なんとなく私は緊張が解けた。この人、いっしょに居て落ち着くなあ、と。そうして静かな昭和風の喫茶店でコーヒーを飲みながら仕事のことだとか家族構成の話をした。
 他愛もない話が途切れた時に、彼は切り出したのだ。
「河合さんは」
 彼は私の名を呼んで、躊躇うように一度口を閉じて、そして意を決したようにもう一度口を開いた。
「河合さんは、いつごろ結婚したいか考えていらっしゃいますか? 例えば何年以内か」
 聞きにくそうだった。きっと彼にとって重要な質問で、しかし初対面の相手に対して踏み込んでいいか分からない部分へ踏み込んだのだろう。彼が踏み込んだ距離だけ、私からも歩み寄りたくなった。
「二、三年以内には結婚したいです。私、早く子どもを産みたくて」
 彼以上に距離を詰める答えだったかもしれない。しかし彼は、安心したような、同志を見つけたような微笑みを見せた。
「僕も、子どもが欲しいんです」
 その反応が嬉しくて、私はどんどん距離を詰めた。
「どういう方針で育てたいか、考えていらっしゃいますか」
「あまり勉強や習い事を強要せずのびのびと育てたいです。でも本人が望めば中学校から私立に通わせてあげられるような、経済的な余裕のある暮らしにしたいです。そのために働いています」
「そのために? たとえ仕事が辛くても?」
「辛くはないです。充実していますし、きっと将来の自分のためになるから」
「子どものためではなく自分のため?」
「子どもを幸せに育てることは自分自身の幸福のためでもありますから」
 きっと僕の子どもの幸せが僕を幸せにしてくれます、という言葉に、私は彼のパートナーになりたくなったのだ。会話に夢中になって少しぬるくなったコーヒーは、乳児が飲むミルクのような温度だった。

 「ご成婚おめでとうございます」
 高橋さんはにっこりと笑顔で言ってくれた。ありがとうございます、と答えながら私は、退会の手続きをしようとした。しかし高橋さんは私を止めた。
「カップル成立しましても、退会の手続きは必要ございません。会員として籍はそのままで、サービスは提供せず月額の費用は頂かないようにする、という形はいかがですか」
 その言葉に虚を突かれて戸惑う私に高橋さんは説明してくれた。カップル成立したとはいえ、入籍前にまた別れて入会しにくる顧客もいるという。そういう場合に改めて入会手続きをしなくて済むように、サービス提供休止、という形もできるということだ。入籍したら改めて退会の手続きをすればいいという。 
 そういうものなのか、と納得した。高橋さんの言うことはいつも説得力がある。不思議と背中を押されたり、今後について考える時間をくれる。
「どうしてそんなに説得力があることを言えるんですか?」
 妙な質問をしてしまったが、高橋さんは照れたように答えてくれた。「私、離婚した経験があるんです」
「えっ」
「でも、バツ一でこの結婚相談所に来た私を、コンシェルジュは励まして再婚のために奮い立たせてくれました。私もお客様を励ます仕事をしたくなったんです」
 説得力があるのはその経験のおかげかなあ、と思いながら結婚相談所を後にした。今は再婚相手と娘さんと幸せに暮らしているという高橋さんは、私の励みになる。次に高橋さんに会えるのはいつかな。次に会ったら、子どもの写真を見せて貰おう。そう思って軽やかに帰路についた。

  斉藤さんはお互いの両親への挨拶とか同居する新居を探す時間を考え、とりあえず一年後に入籍するのはどうか、と提案してくれた。私は同意した。半年後には仕事の繁忙期もあるし、そのさらに半年後なら妥当だと思う。
 結婚相談所でパートナーを見つけたことを友人達に報告すると、おめでとうと言って貰えて嬉しかった。みんな優しい。なのに一人だけ眉を潜めている友人がいた。恭子という友人だ。
「どうしたの?」
 聞いてみると何故か苦笑いで言いづらそうに、ううん、おめでとう、と言われた。何か引っかかる言い方だと思った。でもその場では、ありがとうと言うほか無かった。恭子は時々お茶する仲で、いつも恭子の彼氏の惚気話を聞いていて微笑ましかったのだけれど。私に彼氏が出来たことを喜んではくれないのだろうか。何か引っかかった。
 しかしその後は斉藤さんとのデートや両親へ挨拶したり引っ越し先を決めるスケジュールを組むのに忙しく、恭子のことは頭から抜けた。斉藤さんは女性経験が少ないらしくて連絡するにもデートするにも不慣れな様子だったが、私も男性経験が少ないからお互い様だと思えて安心した。私は大学生の間に一年ほど付き合った彼氏がいた程度でどうすれば良いか分からない、と言うと「僕もだよ」と斉藤さんは笑ってくれた。やっぱりこの人と付き合えて幸せだと感じた。優しい人なのだ。
 すれ違う時もあったし、少し口喧嘩もした。それでも私達はどんどん仲良くなった。そんなある日、彼の家で食事を終えた後、顔を真っ赤にした彼が私に小さな箱を差し出した。
「結婚してください」
 改まったプロポーズだ。小箱にはダイヤの指輪が収まっていた。出会ってから六か月が経った頃。私は疑いようもなく幸福だった。

  結婚前提の彼氏ができたと報告をすると、母はとても喜んでくれた。
「相手を大事にしてね。大事に大事にね」
 にこにこしながらそう言った。元々ちゃんと大事にする気でいた私は、分かってるよ、と言いながら照れ笑いをした。結婚相談所で彼と出会ったことを話すと、意外そうな表情をされた。
「そんなに結婚を焦ってたの?」
 と尋ねられて、曖昧に頷くことしかできなかった。何というか、子どもが欲しかったこととか、母性が芽生えた気がしたことを話すのは気恥ずかしい。別に誰かから結婚するようにプレッシャーをかけられた訳でもないのに勝手に焦っていたことにも気が付いた。
「別に焦らなくても良かったのに、勢いで行動しちゃったかな」
 と零すと、母は懐かしいものを見るように目を細めた。曰く、そういう勢いも結婚には必要だし、人生はそういうタイミングで行き先が決まるものだとか。私よりずっと長く生きた経験が滲む発言だった。
「焦ったにしろ、あなたが今、幸せならそれで良いわ」
 そう言うささやかな声が耳に流れて来て、これが母性なのかな、と思った。私もいずれこれが身に着くのかな。

 結婚式と披露宴の詳細を決めるのは骨が折れた。というより、結婚式場を見学に行ったりゼ○シィを買って色々なやり方を調べているだけでも、膨大な情報量に疲れてしまった。だから友人達と食事に行った際に結婚式の準備を進めていることを話してみた。彼氏と結婚について話し始めたという友人は、興味深そうに聞いてくれた。既に結婚している友人はいくつかアドバイスをくれた。でも、恭子は。
「結婚式ってさ、海外でお洒落な式をやる人もいるけど、見せびらかしたい欲が見え見えだよねー」
 そんな発言をした。一瞬その場の全員が静まり返って、空気が冷えた気がした。準備は大変だけれど良い式にする為に奔走している相手に、こんな発言をする意図は何だろう。私には全く分からない。戸惑う私に助け舟を出すように、結婚した友人が言った。
「別にそんなことないんじゃない? 海外でやるから家族しか呼べないんですよって言えば少人数で済むから、かえって安く簡単に式が出来るって聞いたこともあったし」
 苦笑いのフォロー。それは私も聞いたことのある海外挙式のパターンで、私は納得したし安心した。しかし恭子は続けて言った。
「そのパターンだと、友達を結婚式に呼びたくない人だよね? 友達に対して冷たいよね! どっちにしろ酷いね!」
 あからさまに結婚式を挙げる人間に対して皮肉を言っている。この場合、つまり私に皮肉を言っている。何故こんなことを言うのだろう?
「でも私はたぶん国内で結婚式やるよ」
 苦笑いでそう言ってみた。でも恭子は、ふーん、と興味無さそうに相槌を打っただけだった。何故そんな態度を取られたのか分からないまま、共通の知人が彼氏と同棲し始めたらしいという話題が出て、私は恭子の皮肉のことはすぐに忘れてしまった。今思えば、この時もっと恭子とちゃんと話をするべきだったかもしれない。

 無事に引っ越し入籍し私の苗字は斉藤になった。正確に言うと新居の鍵を貰う予定だった日に不動産屋に行ったら「まだ用意できていないから明日もう一度来てください」と言われて予定が狂ったり、多少のアクシデントはあったけれど。とはいえ新居に引っ越して住民票の異動と婚姻届けの提出を終えると、穏やかで幸福な生活が始まった。周囲の人々は祝福してくれて、私はくすぐったい気持ちで照れ笑いを繰り返した。
 夫のことを光紀さんと呼ぶようになり、呼ぶたびに彼は嬉しそうに笑顔を見せてくれた。私も嬉しかった。母は早く孫の顔を見たいと言っていたし、私もそれを実現するつもりでいた。
「こんなこと言うのもなんだけど、たとえ離婚してもいいから子どもは産みなさい。子どもを産み育てることは人生を豊かにしてくれるから」
 母は穏やかにそう言った。ああやっぱり早く子どもを産みたい。光紀さんも望んでいたから、きっとすぐに実現する。私は元々母のことが大好きで、母を喜ばせたい気持ちもあった。実現する日を思い浮かべて私の胸は高鳴った。
 そんなある日、また恭子と数人で集まりランチした。
「先週の土曜日にこのお店で焼肉を食べたの! 私の誕生日だったから彼がサプライズを用意してくれていて、ケーキみたいに花火が立てられた肉の盛り合わせが出てきたの」
 恭子は嬉しそうに惚気話をした。豪勢な肉の盛り合わせに花火が突きたてられた写真を見せてくれて、でれでれしながら喋っていた。ケーキならお洒落だけど肉って面白いよね、などと言いながら嬉しそうだ。幸せそうで良かった、と思っていると、ふと恭子が私の方へ挑発的な視線を寄越した、気がした。
「良い彼氏じゃん! 私の彼氏なんてさー」
 と他の友達が彼氏の愚痴を言い始めたので恭子の視線も逸れた。あの視線は何だったのか、考える前に私は恭子の視線のことなど忘れてしまった。そうして忘れてしまったのは、今思うと軋轢が生まれる前兆だったのに。

  ある日たまたま夫の後ろを通りかかった時に、夫のスマートフォンの画面が見えた。そこに映し出されている写真に、私は呼吸の仕方を忘れた。なんとか絞り出すように「その写真、どうしたの?」と尋ねた。
「先週の土曜日に焼肉を食べたんだ」
 花火が突きたてられた肉の盛り合わせの写真。皿の模様、テーブルの模様、少し傾いた花火の角度、何もかも恭子の写真と同じだった。そして、先週の土曜日、というのも同じ。恭子は、彼氏が誕生日を祝ってくれたって言っていたのに。
 夫が言うには、店のクーポン利用で誕生日サプライズの肉盛り合わせが注文できたから、誕生日が近いメンバーを祝うついでにその肉盛り合わせを注文したということだった。そんな偶然があるだろうか? 写真を撮っている角度も恭子と同じなのに?
「その写真、私の友達も見せてくれた。その友達も先週の土曜日の写真って言ってた」
 そう呟くと、夫は激しく動揺した。私の無表情を見て、狼狽して、一瞬言葉を失っていた。それから早口で弁解し始めた。
「いや別に誕生日だったのは女友達じゃないよ。恭子ちゃんと同じ誕生日かもしれないけど…」
 と口走って、あ、と失言に気付いた顔を青ざめさせた。つまり彼は、私に恭子という友人がいることを知っているのだ。私は彼との会話でその名前を出した記憶はないのに。
「恭子と知り合いなのね」
 夫は、いや、その、としどろもどろに目を泳がせていた。別にただの友達として恭子の誕生日を祝ったのならこんなに動揺しないはずなのに。やましいことがあるから動揺しているに違いない。それが分かるから私は傷だらけになった。とにかく全て正直に話してほしい、と要求してみたら、夫は観念して白状した。
 実は三か月くらい前に会社の最寄り駅で恭子から声を掛けられたこと、私が見せた光紀さんの写真で顔を知っていたから声をかけたらしいこと、その時お茶に誘われてお茶して、その後よく二人で会うようになったこと、恭子の彼氏に悪いから二人でお茶したことなどは口外しないように頼まれていたこと。それでは、私が聞きたい肝心なことはよく分からなかった。
「恭子と二人きりで誕生日を祝ってあげるなんて恋人みたいね。どれくらい親しいの?」
 その質問に、夫は口を閉ざした。答えづらい質問なのだろう。私は傷口から血が滲む心地だった。でも感情的になって怒鳴ったりすれば相手は怖気づいて何も打ち明けなくなるだろうから、耐えるように黙って夫の答えを待った。
「手を繋いだことがある。それくらいには親しい。でもそれだけだよ」
 信じてもらえないかもしれないけれど、と言って夫はまた口を閉ざした。私も口を開けなかった。手を繋いだことがあるだけなら浮気ではない、のか? それだけの関係だというのが本当かどうかも分からないのに? 本当だとしても、つまり夫は恭子を恋愛対象として見ていることは間違いない。「恭子のことが好きなの?」
 ようやく出て来た質問は、まるで中学生の女の子のような言い方だった。わからないと答えた夫も、まるで中学生の男の子のような途方に暮れた表情だった。 

 恭子は実は彼氏と上手くいっていなかったらしい。二年ほど付き合っている彼氏と結婚したいと思っているものの彼氏は煮え切らなくて、悩んでいる時に私が結婚相談所で彼氏をつくったと聞いて、嫉妬していたらしい。それ以前に私に惚気話をよく話していたのは、彼氏のことを誰かに自慢することで自分は大丈夫だと自分に言い聞かせていたらしい。元々そうやって私を舐めていて自慢する相手と見なしていたから、私に先を越されて悔しかったと。だから少し嫌がらせしてやろうと思ったと、悪びれずにそう言った。「私、謝らないよ。別に手を繋いだだけだし、誕生日を祝ってもらったからって浮気じゃないでしょ」
 と開き直る彼女には呆れた。反省してもいないらしい。私は芯から冷えて行くのを感じて、温度を消した声で告げた。
「私達はもう友達じゃないね」
 そう言うと彼女の表情が傷ついた色を帯びた気がした。けれど私は構わず千円札を置いてその喫茶店を後にした。披露宴の招待客リストから恭子を削除しなければならない。ただでさえ披露宴の準備は忙しいのに、こんなことになるなんて。溜め息を吐いて歩き出すが、足取りは重い。これから夫と暮らしていくにあたってどんな態度で居ればいいのだろう。別に浮気ではないはずだけれど。夫を信じられなくなるには十分な出来事だ。
 お母さんに相談しようかな、と少し考えた。でも心配をかけてしまうだけだからやめた。母は子どものことばかり考えて生活していた人で、ようやく子どもが手を離れたことを実感している頃だろうから。また手がかかる子どもになりたくはない。私はもう大人だから。
 そういえば私に子どもが出来るのを母は楽しみにしていた。こんな状況で子どもなんて作れる訳ないのに。

  それは突然のことだった。訃報を聞いた私は理解が追いつかなかった。電話で訃報を知らせてくれた父も、まだ状況を飲み込めていないようだった。それもそうだろう。突然の事故で母が亡くなったのだから。
 交通事故で、トラックに跳ねられた母は即死だったそうだ。
 私は何の実感も湧かないまま病院へ行き、もう目を覚まさない母の顔を見て泣き崩れ、感情が追いつかないまま通夜や告別式の準備をすることとなった。父は喪主を務めるために業者と連絡を取り合ったりして忙しく、地方に住んでいる兄は明日やってくることになっていた。ぼろぼろ泣き続けている私を、夫は肩を抱いて落ち着かせようとしてくれた。信じられない夫でもその温もりは有り難かった。
 悲しい時に受け入れてくれること、それが夫婦にとって大事なのかもしれない、なんて、泣き疲れた目をこすりベッドに横になりながら考えた。夫は眠る前に手を握ってくれた。恭子と繋いだ手だと思うと複雑だったけれど、有り難かった。
 母の思い出を夢に見た。まだ私が小学生だった頃に、それまで専業主婦だった母がパートに出ることになった。初めて母がパートに出かけて帰って来た時、私は家の前でシャボン玉を飛ばして遊んでいたのだ。夕暮れで薄暗くなっていたのに、ずっと外で遊んで待っていたのか、と母は申し訳ない気持ちになったという。寂しかったのかな、と思って少し心が痛んだと、後に母から聞いたものだ。そんな風に子どもに寂しい思いをさせることを気にする人だから、私は母が大好きなのだ。
 目を覚ました時、私は自分が泣いていることに気が付いた。もう母はいないのだ。どこにも。これからは母ではなく、夫が、私に寂しい思いをさせることを気にしてくれたらいいのに、とぼんやり考えた。夫は母の代わりにはならないのに。それにこれからは、もう私は子どもではなく大人として、自分が子どもを産み育てるはずなのに。

 母が埋葬された墓石を眺めながら、私には一つの予感があった。そういえばもう三週間ほど生理が遅れている、と今朝気付いたのだ。私は恐らく妊娠している。このお腹にきっと今、一つの命がある。横で手を合わせている夫の横顔を眺めながら、上手く仲の良い家庭を築けるだろうか、と不安になった。夫に対する不信感はまだ燻っている。
 でも、完全に信頼しきっていて何の欠点もなく幸福な家庭なんてそう無いのではないか? 私だって母のことは大好きだったけれど、憎らしく思う瞬間も時々あった。不信感を覚えた時も。それが普通かもしれない。親子も夫婦も。そう思って、できるだけ仲の良い家庭を守る様に私が、努力しなければいけない。私はもう母親なんだから。
 墓を後にして墓地を出ようとした時、高橋さんを見かけた。声をかけると高橋さんも驚いていた。立ち話をしたところ、どうやら高橋さんも親族の墓がここの墓地にあるらしい。高橋さんの夫と娘さんも来ていた。
「可愛いですね」
 そう言って二歳の娘さんに微笑みかけると、娘さんは小さな手をこちらに伸ばしてくれたので握手をした。高橋さんもなんだか嬉しそうだ。
 再婚相手と娘さんと幸せに暮らしているという高橋さんも、夫に不信感を覚える時くらいあるかもしれない。仲良くできない時もあるかもしれない。でも今、二歳の女の子の笑顔はとても可愛い。こんな風に私の子どもが笑ってくれる瞬間を見たい。小さな手を握りながら、いずれ産まれる我が子の手の平を想った。
 親が子どもを幸せにすると同時に、子どもは親を幸せにしてくれるはずだ。私の子どもの幸せが、きっと。

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