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日中国交正常化を提言したのは池田大作

中国といえば、
国交が正常化した時に首相だった田中角栄や、
外相だった大平正芳が有名なんですが、

創価学会の池田大作とも親密な関係にあって、
これは、この交渉に先立って、
提言を行っていたからだといわれているんですね。

アメリカと中国との国交正常化では、
ヘンリー・キッシンジャー元国務長官が有名ですが、
この人も、昨日ですか、お亡くなりになられたそうです。

ということで、きょうは、
このあたりの記事を、紹介していこうと思います。

まずは、年表をご覧ください。↓

日中国交正常化の年表

石橋湛山元総理と周恩来総理との共同声明

1959年9月20日

両国民の友好の促進に努力し、
国民の相互信頼を深め、
両国の現在の関係を改善し、
また一日も早く両国の関係を回復するよう協力すべきである。

https://worldjpn.net/documents/texts/JPCH/19590920.D1J.html
https://youtu.be/H22zqC2zP3g?t=88

データベース「世界と日本」

" 言論出版妨害事件の“解決”から2年後の昭和47年7月、
田中は首相の座にすわった。

同年9月、田中は早々と「日中国交正常化」を実現させるのだが、
その“先遣隊”として訪中し、
中国側の考えを田中に提示したのが竹入だった

いわゆる「竹入メモ」である。"

https://www.npn.co.jp/article/detail/23727518/

「週刊実話」2019年11月25日


" じつは、この問題が表面化する前の昭和43年、
田中と竹入が2人だけで会うことがあった。

田中に関する女性問題国有地払い下げ問題を、
公明党の参院議員が
国会で追及する姿勢を見せたからである。"

https://www.npn.co.jp/article/detail/23727518/

週刊実話」2019年11月25日

"公明党が国交相のポストに狙いをつけたのは最近の話ではなく、
70年代から『土木と建設こそ権力の源泉』と見抜き、
着々と準備を進めてきたのです」(同・元幹部)"

" 公明党も野党として自民党の金権体質を批判した。

ただし、攻撃一辺倒ではなく、
秘かに“角栄流の政治手法”を分析し、
自分たちのものにしようと研究していたという。"

つまり、公明党は田中派の手法を学び、自公連立政権で再現したのです。"

https://web.archive.org/web/20231121151416/https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/dailyshincho/politics/dailyshincho-1024173

「デイリー新潮」 8/28(月)

しかし、第二次安倍晋三内閣で太田が起用されて以来、
四代十一年間にわたって国交相ポストを独占し続けたことで
公明党の「自民党化」が進んだのである。

懇話会に出席したある住宅建設業者は、
「市議選や区議選のような選挙まで年に何回も支援要請がくる」とこぼし、「沖縄の知事選や市長選でも名簿を出すだけでなく、
電話掛けのノルマも課せられ、結果を報告しろと言われた」と証言する。

自民も公明の国交省支配に手をこまねいていられなくなり、
「比例で公明支援に回るな。名簿を出すな」
と業界を締め付けた時期もあったが、効果は薄かった。

この十一年の間に、建設業界に影響力を持つ自民議員は、
二階俊博らごくわずかに激減してしまったからだ。

今では自民党議員が国交相に陳情を申し込むと、
「公明党議員に陪席させるのが常態化している」(自民党秘書)といい、
完全に主客逆転した。

https://www.sentaku.co.jp/articles/view/23643

「選択」2023年11月号

ロッキード事件で田中角栄元首相が1976年7月に逮捕された部隊裏では、
キッシンジャー氏が巧みな仕掛けでロッキード社の関係文書が日本側に渡されるよう工作していたことが、筆者の取材で判明し、拙著『ロッキード疑獄』(KADOKAWA、2020年)で明らかにした。

https://www.fsight.jp/articles/-/49813

新潮社「Foresight」春名幹男 2023年5月30日

"昭和五十八年末、ロッキード裁判で懲役四年,
追徴金五億円の実刑判決を受けて
田中角栄は窮地に追い込まれていました。

ところが、この時の総選挙で
田中は予想外の二十二万票を得ました。

田中のそれまでの最高得票は、
総理に就任した昭和四十七年の十八万票です。

この四万票増のカラクリは何だったのでしようか。"

"「公明党票の大多数が、
表向き自由投票といいながら田中に流れたと、想定することが出来る。

事実、新潟三区の選挙関係者は
口をそろえて「公明党が田中のために猛烈な選挙運動を展開した
と話している」(毎日新聞政治部『自民党金権の構図」角川文庫)

すなわち、創価学会が組織をあげて応援した結果なのです。"

https://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/da37e5a1750110039d6c6527d4c4e40a

池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道

先日、竹入義勝さんがお亡くなりになりましたので、
竹入氏が果たした役割について、少し追記しておきます。

外務省の資料には、次のように書かれていて、
最初はスムーズには行かなかったようなんですが、
かなり貢献されていたようです。↓

"中国側が、なぜ公明党に着目したのかは
今なお不明な点が多い。

公明党は、前年六月に竹入を団長とする訪中団を派遣し、
後に日中国交正常化交渉の焦点となる「復交三原則」
(当初は「復交五原則」 )を発表するなど、
日中関係打開に向けて積極的な野党外交を展開していた。"

"しかし、竹入の独断専行は、
結果的に日中国交正常化への扉を押し開いた。

周恩来は、 「竹入私案」と竹入との会談を基に、
中国側共同声明案を起草し、毛沢東の裁可を得た上で、
二九日の第三回会談で竹入に示したのである。"

https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/gaikou/vol7/pdfs/gaikou_vol7_15.pdf

史料が語る日本外交(1)「竹入メモ」日中国交正常化を進めた公明党委員長の独断専行 外務省


追記。↓

 政界引退後、
竹入氏は朝日新聞に掲載した回顧録で、
公明党が創価学会に支配されていると指摘。

双方から激しい反発を受け、
日中国交正常化交渉に関与していないような扱いを受けた

だが、
「週刊新潮」の記事が出た翌年に刊行された
『記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』(岩波書店)
という書籍で
「竹入メモ」と共に、当時の様子を本人が証言している。

 晩年の竹入氏は
「池田大作(創価学会名誉会長)氏より先には死ねない」
と周囲に語っていたという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/add7d02d9cc076035ec088d77a2544801e962cb7?page=3

2024年1月3日 ディリー新潮

中国による対日工作、NPOや創価学会がパイプ役=米シンクタンク報告
https://www.epochtimes.jp/2020/08/60384.html

2020/08/04 大紀元

「一帯一路」構想 日中協力し地域の繁栄に貢献を
https://www.komei.or.jp/news/detail/20180113_26934

公明新聞:2018年1月13日

公明党はなぜ「親中」なのか カギは50年前、歴史に自負【政界Web】
https://www.jiji.com/jc/v8?id=20220311seikaiweb

2022年03月11日 時事通信

周首相と会談、LT貿易に道筋
「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(7)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0901H_Z00C12A4000000/

2012年4月15日 日本経済新聞


米国の有力シンクタンク・戦略国際研究所(CSIS)は7月21日、
中国共産党による対日工作についての報告
「China’s Influence in Japan」をまとめた。

報告に当たって、関係者の取材から、
共産党に対する融和姿勢を構築するため、
NPO法人や宗教法人がそのパイプ役を担っていると指摘した。

https://www.epochtimes.jp/2020/08/60384.html

2020/08/04 大紀元

中国との結びつきやイデオロギーの背景からすると、
日本の一部の官僚や(教 育)施設は中国の自然な仲間です。
日本の仏教団体、創価学会とその関係政党で ある公明党は、
平和主義の思想を受け、日中関係の回復と改善に役割を果たして きました。

政府レベルでの不信感にもかかわらず、公明党の竹入義勝委員長は
周 恩来氏に会う目的で訪中し、田中角栄首相が就任して間もなくの
1972年7月に 2度目の訪問をする土台を築きました。

竹入氏が必ずしも日本政府を代表して いるわけではありませんが、
竹入・周会議(後に「竹入メモ」として知られて います)のメモは、
田中首相が正常化を進めることを説得するのに役立ちまし た。

会議ノートから、中国が日本からの戦争賠償を求めていないこと、
及び、 共同声明が日米安全保障同盟と「台湾条項」について
言及を避けることができ たことを明らかになっています。

1972年には、中国と日本の指導者たち も尖閣紛争を短期間で否定し、
中国は帝国日本の侵略について「漠然とした謝 罪」に満足を示しました。

http://www.obpen.com/salon/pdf/salon_2020_12_01.pdf

China’s Influence in Japan: Everywhere Yet Nowhere in Particular
https://www.csis.org/analysis/chinas-influence-japan-everywhere-yet-nowhere-particular

July 23, 2020  CSIS

公明党のウェブサイトには、1964年の党の設立以来、
日中関係の正常化促進 が優先事項であると主張しています。

実際、池田大作第3代会長は、実 際の正常化の数年前の1968年9月、
日中正常化を推進する演説を行っています 。

1972年の正式な正常化に続き、池田氏は1974年5月に中国を訪問し、
同年12月に周恩来氏の招待で再び中国を訪問しました。

翌年、創価大学 (創価学会が設立)は、日本で初めて
中国政府の奨学金を受けた留学生を受け 入れた日本初の大学となりました。

私たちの複数のインタビューによると、
中 国共産党は創価学会を日本国憲法9条維持に向けて
内閣に影響を与える自然な 味方と見なしていますが、
組織は宗教的であるため、中国共産党は
ある程度の 距離を保つ必要があります。


これら元留学生の中の6人には、
チェンヨンファ元駐中国大使がいました。

彼は 2010年から2019年まで
その役職で最も長く就任した大使でした。

148 2018年9 月、現在の公明党代表である山口那津男氏は、
天津にある周恩来氏の母校である 南海大学を訪問し、
池田氏による二国間関係正常化に関する提案の50周年を記念 しました。

この訪問により、長年にわたる公明党の日中友好の促進という立場が
再確認され 、 同月、中国共産党が後援する外交友好協会は、
池田氏の日中 関係への貢献を表彰しました。


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