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<番外編>「クズ人間」通関士になる。(前編)

今回は「番外編」として、私「元」通関士が「通関士を目指すことになった」話をしてみたいと思います。

現在、「通関士」のみならず、「資格取得」を志ざし、自ら机に向かって勉強をされている方は、多かれ少なかれ

「自分の人生、このままではダメだ!何かキッカケが欲しい!!」

と思っておられるのではないかと思います。

私にとって「通関士」は「人生好転のキッカケをくれた『神資格』」であったことに間違いありません。

 インターネットや書籍等でたまたま「通関士」を知り、私の「怪しい」記事にたどり着いた皆様に、「こういう人間でも通関士になることができました」という一例をご紹介させていただきたく思っております。

あくまで「番外編」として、「元」通関士の「ど底辺人生」を気軽に読んで、楽しんでいただければ嬉しく思います。(最初は「重め」の内容であっても、安心してください「私、結果として、通関士になります」から)

 私が通関士になったのは「20年前以上前」のことになります。私は「異業種転職組」であり、通関士として転職する前は「トラックの運転手」でした。

 今でいう「Fラン大学の経営学部」卒業の私は「バブル崩壊後の就職氷河期に突入」した時代に就活を行い、会社説明会には30社以上参加するも、面接まで辿り着いたのは「片手」程度。2次面接、3次面接で、結局落とされてしまい、「最終面接」まで辿り着くことはありませんでした。

(もう、就職できないかもしれない。)

厳しい就職活動の中でも「やや好意的」であったのが、「物流」業界でした。

 ただ、当時の物流業界は「3K(キツイ、キタナイ、キケン)」と悪評高い業界であり、ましてや「大卒の人間がトラックに乗る」などということは『まともな就職先』とは認識されていませんでした。
 私は、覚悟を決め「物流業界」に飛び込み、トラックの運転手を始めます。

周りからの目は·「冷たい」ものでした。

 同窓会等で就職戦線を勝ち抜いた同級生には「遠まわしにバカにされ」、傷ついた私は「それ以後、人生で一度も同窓会に行くことがなくなってしまった」ほどです。

この時には、もちろん「就職氷河期」などという言葉はありません。

就職できないのは「すべて自己責任」という社会の中で、

私は

「親に大学まで卒業させてもらっても、就職もまともに出来ない、親不孝者の『クズ人間』」

として、「生き恥をさらしている」日々。

それでも、この「クズ人間」に働くチャンスを与えてくれた「運送会社」は、私にとって

「唯一、私が存在している意味」

であり、とにかく働いて、振るい落とされないように、必死に食らいついていました。

AM7:00に出社し、23:00を回ったころに帰宅(月の休みは5日程度)

当時は大阪市都島区に「会社の社宅」があり、社宅に一人暮らしをしていた私は、

「家に帰って、寝るだけ」

これが、私の20代前半の生活でした。

そして、「約15時間労働」を約3年間繰り返した、ある日、

「もう、疲れた。会社行きたくない。」

ベッドから起きることも「イヤ」になってしまった私は、人生に疲れきってしまい、後先も考えず「退職願」を提出することになります。(当時25歳)。

 住んでいた社宅は、当然に「強制退去」となり、行くアテもない「野良犬」状態の私は、実家(名古屋市)に戻るしかありませんでした。

まともな就職もできなかったことで、親を悲しませ、始めた仕事もロクに続けられず、「実家に帰りたい」と親に頭を下げる。

さらに、

「(同級生から下に見られ、バカにされた)トラックドライバーも満足に続けられなかった」

という、とてつもない「敗北感」と「劣等感」。

無職になった私は、その後も「どうしようもないクズ」であると、自分自身を「責め」続け、

この時は

「もう、楽になりたい。人生を終えてしまってもいい。」

と本気で考えていました。

 12月末に退職した私は、「プー太郎(当時に流行った無職の人間をさす言葉)」として、年を越し、結局「人生を終える勇気もなかった」ことで、ダラダラと過ごし、「ゲームセンター」に「パチンコ」と明け暮れ、転落人生まっしぐら状態でした。

退職から3カ月を経過した「4月」を迎え、「新社会人」が新しいスーツを身にまとい、最寄り駅でも、チラホラ見かけるようになった頃、

「一体、自分は何をやっているんだ」

何か、新しい情報が欲しくて「何気に立寄った本屋」で「資格ガイド」が目に留まりました。

百科辞典のような「分厚い」冊子をパラパラめくりながら、

「トラックの運転手も、広くいえば『物流』だよな。物流に関する資格って何かあるのかな?」

本当に「安易な、軽い気持ち」でした。

『通関士』
国際物流のスペシャリスト。貿易に関する唯一の国家資格。誰でも受験可能。試験日10月中旬。

当時、私の住んでいた実家である「名古屋市」は「中部国際空港の開港」が話題となっていたこともあり、

「通関士になって、航空貨物に携わる仕事に就けないか?航空貨物もトラック運転手も『物流』なのだから、何かしらの接点あるでしょ。」

今、思うと、こんな「単純バカ」な発想で通関士の仕事を自分で調べていくことになりました。

 (オレは、今まで、人生で何も成し遂げることのなかった『クズ人間』。人生で一度くらい『死ぬ気』で勉強してやる。)

25歳、無職であった私は「時間だけは、有り余っている」状態でした。

「よ~し、オレは絶対に通関士になる!!」

クズ人間の人生好転劇は、こうして始まったのです。

後編に続く


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