キミがいた場所 | あの古書店での後日談
彼女がいなくなった後も、ボクはあの古書店に通い続けていた。ある時、店主が彼女のことについて話始めた。ボクはそれを流すように聞く振りをしていたが、内心ではとても気になっていた。
「どうしてあの時、何も言わなかったんだ?」
古書店のカウンターで手に取った本を眺めていると、向かい側で腰掛ける店主が唐突に呟いた。
「言わなかったって?」
「そりゃ、言わなくても分かるだろ、お前さん。何かしらアクションを起こしていたら、あの子を引き止められたと俺は思ったけどねぇ」
「別に本当にそういうのじゃないんですよ」
「へっ!カッコつけ」
「恋愛だけが物事の見方じゃないんですよ、社長」
「若けぇのが何言ってんだ。カッコつけすぎなんだよ、文学青年。彼女はずっとお前の話をしていたよ。あれ買ってった、これ買ってった。私の趣味と同じ。あの人は誰なんですか?何してるんですか?ってね。俺だって知らねえよ、自分で聞けよって言ってやったがな」
「へぇ」
「お前さんがカメラをやってるって言ったら、撮られたいって言ってたな」
「まあ、ボクは腕の良いカメラマンですからね。なんて。でもそんなこと、彼女は一言も言わなかったな」
*この時ボクは、商業カメラマンの道も考えていた。どこにいくにも一眼レフを携え、写真を撮る毎日だった。そんなもの好きが高じてか商業カメラマンとしての内定をもらっていたが、結局はその道には進まなかった。それでも、写真はボクにとって今でも重要なもので、力強い武器となっている。
「当たりめぇだろ、そんなこと女の方から言わせんじゃねえ」
「いや、でも言われなかったら分からないですよ......」
「お前さん、見てくれだけは立派だが、本当に中身は小学生以下だな。雰囲気みたいので分かるだろ。学校で何を学んでやがんだ」
「写真と考古学」
「馬鹿か、そう言うこと言ってんじゃねぇ!」
「分かってますよ」
「彼女について知りたくないのか?教えてやってもいいんだぜ」
「詮索は良くないし、別に良いですよ。本当にそういうのじゃないので」
「お前さん、ほんとつまんねえな!」
「ボクはここで探してる本が買えれば良いので」
「お前、一生独身だろうな」
「ボク、客なんですけど!」
「それにしても、新しいバイトを入れんとな。バイトに仕事は任せて、俺はのんびりしたいわけよ」
「なら、また頑張って金髪美女を雇ってくださいね」
「お前みたいな女目当てが釣れそうだな」
「だから違うでしょ!」
でも、確かに一枚くらい写真を撮らせてもらえば良かったとも思った。CANON EOS 1DXで、レンズはポートレートの王者、単焦点EF 85mm F/1.2 USM II。F値は当然F/1.2の最大開放。合焦範囲は、カミソリように薄く難しい。だが、キャッツアイのない自然な光玉に、溶けるように滑らかなボケは見事である。この組み合わせなら、彼女の輝く髪と白い肌が最高に映えると思った。そして、背景は代々木公園の新緑。美しい彼女ならシンプルな白シャツで十分。むしろ、シンプルな方が良い。目立った服は返って邪魔だ。高級車にステッカーを貼らないように、美女にも飾りはいらない。白シャツはレフの代わりになって顔も明るくなる。そういう計算もきちんと入っている。ボクは撮影ではテンポやスピーディさを重視するから、極力、屋外撮影でレフは使いたくない。それから、彼女は髪をいつも下ろしていたが、ポニーテールにしてもらって、生い茂る緑の下、木漏れ日を浴びた状態で、こちらを真っ直ぐに見据えてもらう。青い瞳は、観る者に訴えかける強い力を持つことだろう。いろいろとシチュエーションを想像した。最高の写真が撮れていたに違いない。
「あの子は都内の大学の留学生で、卒業後、向こうに戻ったんだが、地元でパッとした仕事に就けなかったみたいでな。それでまた日本に来て、いろいろ職探しをしていて、とりあえずここでバイトしてたんだが、家族にいろいろあったようでな、また国に帰っちまったってわけ。まあ、あの子もいろいろあるみたいだな」
何も訊いてないが、店主は自分から話始めた。
「まあ、やりたいことを仕事にするってのは難しいもんだな」
「社長は今、やりたい仕事ができていて良いですね」
「は?何言ってんだ。俺は古書なんかに全く興味なんざねぇぞ。だからこうやって売り捌けるんだろうが。こんなもん、やんなくて済むんなら、明日からでも辞めてえよ」
「そうですか。幸せなお悩みですね」
ここに通い続けていれば、何だかもう一度彼女に会えるような気がした。というか、ここでしか会えないように思う。ボクらの接点は、この古書店しかないからだ。次にもし会うことがあれば、写真を一枚撮らせてほしいとでも言ってみようか。いや、たぶんそんなことはヘタレのボクには言えそうにない。以前と同じく、当たり障りのない、つまらない会話しかきっとできないことだろう。それでも、次に会う時までには、何とかラッカムたちの本を出していたいと思う。おかえりの挨拶は、一冊の本。そんなことをボクは夢見ていた。
それからしばらくして、あの古書店は閉店した。経営者が高齢化し、継ぎ手もいなかった。たまに店の跡地の前を通ることがある。その度に、あの頃のことをボクは思い出す_____。
James Hamiltonによって米国で1990年に出版されたラッカムの作品と彼の経歴をまとめた一冊。この書籍一冊でラッカムの歴史は、ほぼマスターできる良書である。ラッカムを知るのであれば、必須の書として紹介された。A4サイズ、フルカラーでボリュームも満点。現在では入手が難しい貴重書だが、発売当初の1990年には米40ドルで販売されていた。絶版古書のため、米国ニューヨークから取り寄せてもらった。
Shelk🦋