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マークの大冒険 現代日本編 | 遣わされし者 第15使徒と幸運の6ペンス

前回までのあらすじ
過去のローマに戻り、マークの協力を得て果実を手にした夜。だが、果実を手にした彼女は不気味な笑顔を浮かべ、豹変した。願いへの思いが強すぎる夜が果実を持つことは危険と察したマークは、彼女に手放すように声を張り上げたが、もはや全てが遅すぎたのだった。


「アイ......オーン......」

夜はそう呟くと地面に倒れ込み、彼女が持っていた果実は足元に落ちて転がった。だが、その果実を拾い上げる者がいた。果実を拾い上げた者は、倒れた夜の背後から急に姿を現した。男は茶色の亜麻布製ローブを着ており、フードを深く被っていた。顔には影が落ち、よく見えないが、彼はフードを下ろしてマークの方をぼんやりと見つめた。

「久しぶりだね、マーク」

「アイオーン.....!?」

マークはかつて倒したはずのアイオーンの出現に驚きを隠せず、その恐怖に硬直した。

「私は何度だって受肉する。新しい肉体はやはり心地が好いな。力がみなぎる。この女の願いは、私の再臨だったようだね」

受肉(じゅにく)
神が人間の身体を通して地上界に現れること。神と人間は存在する世界のチャネルが異なるため、神が人間の前に姿を現すには受肉という変換工程を経る必要がある。

マークの大冒険『追憶のバルベーロー編』で、アイオーンはエジプトで2000年の時を超え十三使徒と共に再臨を果たした。この時、彼は無数に存在する世界線の淘合計画『エウアンゲリオン』を試みるが、マークとホルスによって阻止されたのだった。

「違う!夜の願いは、瞳の復活。お前が仕組んだのだろう!」

「彼女は、私が遣わした15番目の使徒、マティアに継ぐ者にして私の眼。この女を使ってキミのことはいろいろ調べさせてもらったよ。母親を救いたい一心で、果実の秘密やキミの過去を取り憑かれたかのように調べていたが、それが役立った。以前はキミを少し見くびりすぎていたね。キミは人間にしては少し賢い。それが敗因だった」

使徒
キリストの12人の弟子。通常、十二使徒と呼ぶが、ここではマグダラのマリアを第1使徒とし、順番を繰り下げ筆頭のペテロを第2使徒、イスカリオテのユダを第13使徒と数え、マティアを第14使徒とする。一般的にはマグダラのマリアは使徒には含まず、十二使徒は男性のみで構成される。マリアはユダヤ貴族の令嬢で、イエスの有力なパトロンだった。元娼婦という設定は、中世の教会が捏造したものである。イエスは生涯独身だったというが、当時のユダヤ文化を鑑みるにいつもそばにいた彼女がイエスの妻だったと考えるのが妥当だろう。というのも、当時のユダヤ社会の既婚率は99%以上で、独身はそれ自体が罪であり、男性としての機能の欠如を示していた。そのため、もしイエスが独身であれば、侮蔑するための最高の材料となるわけだが、彼の敵対者は誰一人としてこの点を追求していない。すなわち、それがイエスの既婚を裏づけている。ヨハネの福音書 2章1〜11節の「カナの婚礼」では新郎が誰なのかが明記されていないが、おそらくこの新郎はイエス自身である可能性が高い。

マティア
イスカリオテのユダの裏切りにより十二使徒に欠番ができたため、新たに選出された人物。イエスの直弟子の一人。

アイオーンは、足元で気絶して横たわる夜を見て言った。

「だから、今度はキミの弱点を突く」

アイオーンがそう言うと、気絶して地面に倒れていたウェスタと夜が宙に浮かんだ。

「何をする!?」

マークは驚きの声を上げた。そして、ウェスタと夜が突如出現した十字架に架けられた。

「この砂時計が全て落ちる前に私を殺せなければ、ロンギヌスの槍が彼女たちの心臓を貫くだろう」

アイオーンがそう言うと、ウェスタと夜の胸の前に鋭い槍がそれぞれ出現した。

「果実が砂時計に変化した......!?」

ロンギヌス
ゴルゴダの丘で行われたイエスの処刑に立ち会った人物。ユダヤ属州に駐留していたローマ帝国軍の老兵で、イエスの死亡を確認するために脇腹を槍で突いた。ロンギヌスは白内障を患っていたが、イエスの脇から噴き出た血を浴びると目の濁りが消えたという。この時ロンギヌスが使用した槍はイエスの血を帯びていたため、聖遺物として扱われ、ロンギヌスの槍と呼ばれるようになった。ロンギヌスの槍の保持を自称する教会がこれまでに幾つも存在したが、いずれも年代が新しすぎる偽造品で、オリジナルの所在は不明である。というより、既に現存してない可能性が極めて大きい。

「キミはちっとも変わらないな。いや、もっと臆病になったかな?あの頃は、もう少し勇敢だったか」

「どうしてこんなことを」

「......」

アイオーンはマークの問いかけに答えず、空を静かに見つめていた。

「新約の先を行く契約。旧約、新約、そして集約。バルベーロー、世界線の淘合?」

再びマークは、アイオーンに問うた。

新約の先を行く契約、旧約、新約、そして集約
イスラエルの神ヤーウェと人類の間に結ばれた最初の契約を旧約と呼ぶ。この契約はユダヤ人のみが救済される選民思想だった。だが、イエスが自ら十字架に掛かり、死をもってヤーウェと取引したことで、神を信じ祈る者は人種を問わず全て救済される新しい契約内容に書き換えられた。これを新約と呼ぶ。本作のアイオーンは新約の次のフェイズにあたる契約を人類との間に結ぶことを目的としている。具体的には、不幸な世界線を淘汰して最も幸福な世界線に集約することで、人類の救済を果たそうとしている。だが、他世界線は全て統合され、事実上抹消されるため、マークは自分たちの世界線を死守するためにアイオーンを食い止めようとしている。

淘合(とうごう)
通常、統合という漢字を使うが、ここでは敢えて統に変わって淘という漢字を当てた。アイオーンの目的は無数に存在する世界線の統合であり、アイオーンが選んだひとつの世界線以外は全て淘汰されることから淘合という筆者の造語を使った。

「エウアンゲリオン」

アイオーンは、マークの方を向いてそう呟いた。

アイオーン
至高者を意味する古代ギリシア語。すなわち、神、宇宙の創造者。新約聖書は古代ギリシア語で書かれた書物のため、宗教用語は古代ギリシア語で表される。

バルベーロー
ユダの福音書で言及されているキリストが来た高次元の世界。

エウアンゲリオン
良き知らせ、すなわち福音を意味する古代ギリシア語。

「ふざけやがって。さっき夜を使ってボクを調べたといったが、生憎ボクもお前のことは学校で嫌というほど学んだよ。どれもこれもくだらないと思ったが、『敵のために祈れ』という言葉だけには感動したよ。たまには良いことも言うみたいだな。だから今日は、お前のために祈ろう」

マークはイングランド国教会傘下の学校で学んだ。諸教養を重視したリベラルアーツを掲げる学校で、その中に必修科目で聖書講読の授業がある。必修科目なので単位が取れないと進級できず、どれだけ興味がなくとも勉強に励むしかない。

敵のために祈れ
マタイの福音書 5章44節に記されたイエスの言葉。正確には「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ」。家族や友人を愛することは誰にでもできる。だが、イエスは敵さえも愛し、彼らのために祈るほどに人類に対する深い愛(アガペー)を持っていることを示している。

マークはそう言うと指輪の力で12本の剣を展開し、その中から白百合の紋章フルール・ド・リスが彫刻されたテンプルソードを握った。

テンプルソード
テンプル騎士団が使用していた長身の剣。十字架をイメージしたデザインで、キリスト教のシンボルである白百合が装飾として彫刻されている。

「一度倒した相手だ。また潰すだけのこと。しぶとさだけは認めてやるが、何度やったって結果は同じ。こいつがどれだけのエジプトの神を殺してきたことか。死んでいった同胞たちのためにも、こいつは殺さないといけない」

隣にいたホルスがマークを鼓舞し、マークが展開した剣の中から彼はケペシュを手に取った。

4世紀末にローマ帝国のテオドシウス帝がキリスト教国教令を出すと、キリスト教徒たちはキリスト教以外の神々の神殿を破壊し、その信奉者たちを異端として虐殺した。この時、エジプトの神殿は破壊された上、強制的に閉鎖され、その信奉者たちは容赦なく惨殺された。

ケペシュ
刃が湾曲した鎌のような形状を持つ古代エジプトの剣。

「剣を取る者は剣によって滅びる」

「マタイ、26章か。だが、滅びるのはお前の方だ」

マークは聖書の引用先を呟いた後、アイオーンを挑発した。

「殺し合いを始めよう。キミはキミの、私は私の成すべきことのために」

剣を取る者は剣によって滅びる
マタイの福音書 26章に記されているイエスの言葉。ゲッセマネの園でイエスと弟子たちが祈っていると、裏切りのユダが軍勢を連れてやってきた。イエスの一番弟子ペテロは剣を抜いて反撃を試みたが、イエスに「剣を取る者は剣によって滅びる」と諭された。

イエスが好戦的な人物だったことは、聖書内や諸外伝から窺える。これは旧約聖書に見られるヤーウェの荒々しい性格に共通している。聖典のマルコの福音書には、神殿に集う両替商や露店主にイエスが暴力を振るう描写がある。外伝の異端書トマスの福音書では、少年時代のイエスが律法学者のアンナスという人物を殺害する描写がある。また、聖典のルカの福音書19章35〜38節では、イエスは弟子たちに剣の購入を命じている。こうした描写から史実のイエスはローマ帝国からの独立を目指す革命家、悪く言えばテロリストであり、ローマ政府から目をつけられて治安維持のために処刑されたと考えられる。弟子たちがイエスを神格化し、創作を加えた物語、すなわち神話が現在の新約聖書である。



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「装備を整えたい。一旦、ボクの家に帰って良いかい?取りに行きたいものもある。それと出発の前にお茶でも飲んで、一度気持ちを落ち着かせよう。具体的にどう動くかの最終的な調整もしたい。チャンスはきっと一度切りだ。絶対に失敗できない」

「ええ、賛成ね」

夜はマークの提案に頷いた。そして、マークと共に彼の自宅まで向かった。

Great Britain Six Pence 1967

「幸運の6ペンス。コレクションしていたコインはルイの学費に充てるために全て売っ払ったが、これだけは取っておいたんだ」

マークはデスクの引き出しから1枚のコインを取り出して言った。

「小さなコインね」

夜はマークの手の平にのせられたコインをまじまじと眺めた。

「ああ、かつてのイギリスの小銭だが、幸運を呼ぶコインというジンクスがあってね。今回の旅にも幸運が訪れるように、このコインを持っていきたかったんだ」

幸運の6ペンス
イギリスの古いジンクス。当のイギリスではとっくにこの風習は廃れており、日本が遅れてこのジンクスを商用に使っている。『マザーグース』を典拠とするジンクスで、かつてのイギリスでは花嫁の左靴に6ペンスを入れておくと、生涯お金に困らないという言い伝えがあった。

「教授は迷信とか信じないタイプだと思ったけど」

「もちろん迷信は信じないが、気持ちの部分は大きい。気持ちで負けたら全て上手くいかなくなる」

「そうね。それじゃあ、そろそろ具体的な作戦会議に入りましょ」

「ちょっと待ってて、お茶を淹れてくる」

そう言ってマークは、キッチンの方に走っていった。

「早くしなさいよ!全くマイペースなんだから!今がどういう状況か分かってる?」

「こういう状況だからこそ、お茶を飲むのさ。世界一美味しいお茶を淹れてやろう。ミルキーウーロンというお茶をね」

ミルキーウーロン
東アジアを中心に人気を誇る茶葉の銘柄。ミルクの芳香と熟れた果実がはじけるようなクリーミーな味わいが特徴の高級ウーロン茶。日本国内でミルキーウーロンが味わえる場所はまだ数少ない。台湾産の茶葉はほのかに香る控えめさを持つが、ロシア産の茶葉は香り強く、一口にミルキーウーロンといっても地域によって風味が異なり、人によって好みも分かれる。




To Be Continued...




Shelk 🦋

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