今回は表題の通り、ロシア帝国の都市伝説のひとつアナスタシア伝説について紹介していく。ロシア皇女アナスタシアは処刑されたが、実はどこかで生きているという生存伝説が根強かった。偶然にもアナスタシアという名は「復活する者」を意味し......。そして、彼女本人を名乗る者がついに現れる。永遠の伝説の真相に迫る!
ロマノフ王家ニコライ2世の第4皇女アナスタシア。1917年のロシア革命で臨時政府により一家と共に幽閉される。1918年にエカテリンブルクのイパチェフ館で家族と共に処刑されたが、彼女が生き延びているという噂が流れた。アナスタシア伝説として語り継がれ、その後、アナスタシアを名乗る人物が現れた。
彼女の証言によると、イパチェフ館で臨時政府に銃撃されたものの、姉の背後にいたことから重症を負うも自分だけ死を免れたという。そして、一家の遺骸が地下室から運び出された際、ルーマニア人の兵士が自分を匿い、ロシアから脱出。その兵士と結婚して子どもも産んだが、その後、夫は戦死したそうだ。
アナスタシアを名乗るその者は耳の形が似ている他、同じ足の奇形を持っていた。加えて、イパチェフ館で受けたと思われる銃創のような傷が身体にあった。また、ロマノフ王家のことに関して詳しく、質問にも流暢に受け答えした。だが、なぜかロシア語は話せず、ドイツ語で話すという不可解な点もあった。
事のカラクリはこうである。ベルリンの爆弾工場で出稼ぎ労働者として働いていた彼女は勤務中に誤って手榴弾を落とし、身体に傷を負った。事故のショックで精神不安定になり、飛び降り自殺を図って瀕死状態になっていたところを保護され、精神病棟に入れられた。その際、記憶喪失に陥っており、身元が判明しない状態になっていた。
身元不明の彼女を病棟の人間は面白がってロマノフ王家のアナスタシアなのではないかと噂した。記憶を喪失していた彼女は次第に周囲の話を鵜呑みにし、自分がアナスタシアだと思い出したと誤認識する。本人が最初からアナスタシアを自称したというより、真相は周囲に擬似記憶を植え付けられた形に近い。
身体の形の一部がアナスタシアに似ていたのは偶然にしても、銃創のような傷痕は爆弾工場の事故で負ったものであり、ロマノフ王家の知識やアナスタシア本人と思い込む誤認識は周囲の人間が植え付けたものだった。彼女の正体は、フランツィスカ・シャンツコフスカという名のポーランドの農家の娘だった。
20世紀末にアナスタシア本人の遺骨が発見されたことで、アナスタシア伝説には完全なる決着がついた。DNA鑑定の技術が発展したことにより、フランツィスカ・シャンツコフスカがロマノフ王家とは全く関係がない人物だったこともはっきりと証明された。では、なぜアナスタシア伝説は生まれたのだろうか?
それは、人間の心理の奥底に隠れているのではないか。若き皇女を死に追いやってしまった国民たちは、彼女がどこかで生きていると思うことで、罪の意識を和らげたい心理があった。フランス革命のルイ17世の生存説が信じられた時と全く同じ構図である。罪の意識からの逃避が、伝説を生み出したのだった。
Shelk 🦋