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活動そろそろ四年目のVTuberの魂が配信で顔出し(イラスト出し)した話

 今日は、今後ことあるごとに振り返る「記念日」になるかもしれない日でした。英日両語で行われたYouTube配信の通訳を務めたのですが、その際に配信画面に通訳として私の立ち絵が表示されていたのです。

かんたんたんたん(TwitterID: kantan_2525)さんに描いてもらった立ち絵

 それがどうしたと思う人もいるかもしれませんが、普段通訳の現場では黒子なので、イラストとはいえ画面にどどんと自分が出ているだけでなく「シイヤパニック」という名前も表示されていて、しかも通訳時にはアバターが光るという存在感たっぷりの状態だったことがとても新鮮でした。

 通訳というお仕事も幅が広く、業界やジャンルによって事情は異なります。これはあくまで私個人の話ですが、私が普段やっているお仕事では通訳は存在感がなければないほど良いとされています。ある時「通訳の人がいるのを忘れていて、自分がその言葉が分かっていて、その言葉で話しているような錯覚を覚えた」と言っていただいたことがあり、とても嬉しかったのを覚えています。かといって今回の立ち絵表示が不本意だったのかといえばそういうことでは全くなく、業界が変われば役割の立ち位置と振る舞いも変わるってことだなと再認識した次第です。

 もう一つ、自身の覚書も兼ねて準備段階での裏話を。
 配信に先立って、配信画面に表示する全員のアバターなり立ち絵なりを確認する段階がありました。そこで私の立ち絵も提案していただいて、あっそうか私も「顔出し」するんだ、と思い、そうか今回の役割は「話し手」ではないけれど配信の性質上いつ誰が発話しているか分かりやすくする意味で、全員のアバター/立ち絵を表示して発言者が光るようにする、VTuberの配信ではごく一般的な見せ方になるんだな、わーなんか普段の仕事の緊張とは別の緊張があるな、と思ったりしました。そしてそこで出していただいた立ち絵が、普段私が動画や配信で利用しているイラストだったんですね。これを、「今回は通訳なので」とTwitterの「シイヤパニック」のアカウントで使用している立ち絵に差し替えてもらいました。なぜそうしたのか、その時の自身の思考の流れを完全に説明できるわけではありませんが、自分自身の意見や考え、体験を述べる「発言者」ではなく、他者同士のコミュニケーションを支援する「通訳者」として配信に参加するにあたり「発言者」として使用している立ち絵はノイズになると自分の中で感じたのかなと、振り返って思っています。キャラ立ちしている通訳者や、既に名前が知られている人が何かの機会に通訳をする、というケースとは違い、私はあくまで今回の仕事では通訳者としての意識があって、Twitterで益体もない発信をしている「シイヤパニック」なりゆるゆるVTuberをやっている「吟硝子」なりが通訳をしているのではなく、通訳者である自分がその仕事をしている、という感覚とでもいいましょうか。

 なんて言いつつ、この記事のタイトルは VTuberの魂が通訳したよ!と書いてしまっているわけで、そのあたりがまだ自分でも、普段わちゃわちゃやっているコミュニティの普段の活動に近いところでお仕事として通訳する場合の自分の立ち位置、というものを掴みかねているのかもしれません。

 それはそれとして、配信は一参加者としても一視聴者としてもとても興味深く勉強になったので、みなさんももし良かったら視聴してみてください。バ美肉前史とある通り、バ美肉という存在が生まれるよりまだ前に、どんな文化がどんな風に存在してどう変容してバ美肉が生まれる土壌を培っていったかが紹介されています。ちょっと長いですが、それでもまだまだ語り足りない様子も見てとれます。
 配信を見ての感想や質問をコメントに書いたり、思惟かねさんに投げたりしたらまたそこから議論が深まるかもしれません。ぜひぜひ。

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